第3話 電脳セレナーデ Ⅲ
「…そうだ!」
僕は思いついたままその子の手を取り、駅の駐輪場に急いだ。この駅は高校の最寄りということもあってか、割と大きい。ここの駐輪場なら、鍵をかけ忘れた自転車が一台くらい、あるに決まっている…!
今はただその賭けに頼るしかなかった。無論、駐輪場に使える自転車が無ければ警官に囲まれて僕達は終わりだ。そんなの絶対やだ!
駅の外を出ると、あたりはすっかり暗くなっている。等間隔に建てられた街灯が簡素な駐輪場を静かに照らす。
「どこだ…なんか走れそうな自転車ないのか??」
「わ、私も探す!」
だが、こんな時こそ神は救済を無視する。鍵のかかってない自転車など無いのだ。
「いたぞ!!!」
警官数名がこちらに駆けてくる。
「クソ!!よし…こうなったら…」
ガンッ!
僕は庭木に置いてあったレンガで自転車の鍵を壊した。ごめんよ持ち主。今は見ず知らずの君に同情してる余裕はないんだ!!
「さあ乗って!!!」
「うん!!」
僕たちは自転車に乗り、走り出した。僕が運転、この子は僕の後ろから背中に抱きついている。
「いけぇぇぇぇ!!!!!」
僕たちは勢いよく走り続ける。自転車とか言う無力な人力車が、今では世界で一番頼りになる気がした。こんな焦燥感と疾走感、いつぶりだっけ…。
意外とこの近くは山が多く、田んぼに沿った平坦な道が続く。
「しっかり捕まってろよ〜!」
「うん!!」
追われてるはずなのに、僕たちはどこか楽しかった。この子も、笑みを浮かべていた。
しかし青春という清流は、止まることを知らない。
後ろからパトカーのサイレンが聞こえてくるのだ。とてもこのママチャリが自動車を上回る速さで逃げ切れるわけがない。
ここまでなのか?この子が流した涙は、失ってきた大切なものの対価は。ここで終わってしまうようなものなのか?
「うあああああああああ!!!!!」
僕は自転車を全力で漕ぎながら叫んだ。叫び声が、耳元で騒々しく駆け抜ける風と共に後方へ散っていく。
その時。
ビリッビリビリビリッ
背中に抱きついているこの子から微力ながら電流を感じた。右手ハンドルを見れば6段階ギア。そうだ……。
「ねえ君!!君の電撃はきっと君の感情の高まりによって発生する電気エネルギーなんだ!!」
「んー?風できこえなーい!!」
「だーかーら!!君の感情がカギなんだ!!その感情を爆発させて!!このママチャリを動かしてくれ!!!!」
「えっとー!!まって!やってみるー!!!!」
ビリビリビリビリッ!!ビリビリババババババババ!!
「きゃあっ!!」
「大丈夫か!!!うがががが」
僕の体にも彼女の電流が伝わってくる!苦しいけど進め僕!!!
「頑張れ!!!最強のパワーを出すんだ!」
「でもこれ以上は…うぅ…」
「僕と君は、この先もずーっと一緒にいるんだ!!僕は君が大好きだ!!!!!」
僕はありったけの言葉を募らせて彼女に想いを伝えた。
しばらくの沈黙。高速で回転し続けるペダル、タイヤ、風、僕達の瞬間。
「私も大好きーーー!!!!!!!!!!」
ギュイイイイイイインンン!!!!!!!ビリビリビリビリビリビリビリビリババババババ!!!!
おそらく最強の電流がママチャリのモーターに注がれた。
ペダルが勢いよく加速していく…!!
「ママチャリ最高ぉぉぉぉ!!!!!!!」
僕たちはパトカーなんぞ目もくれず、風のように駆けた。おそらく地球史上最高速の愛だ。
「先生!!自転車、浮いてる!!!」
「え、ええ!?はぁ!?!?」
僕たちの自転車は高速の風に乗ったまま、間違いなく空を飛んでいた。なんだこの光景は。見下ろす街並み、驚くほど近い月。
いつもの暗い日常なんて吹っ切れてしまうくらい、綺麗な夜空だった。それに、今この瞬間を共有できて…
「私、怖くないよっ。先生と一緒だもん。どこへだって行ける!」
「僕も!君と一緒にいれて本当に嬉しい!出会えてよかった。ありがとう。愛してる。」
ペダルを漕ぎながら後ろを向くと、彼女は明るく微笑んでいた。僕はとっさに聞く。
「そういえば君の名前なんて言うのー?」
「私はさゆり!もう、学生の名前を覚えてないだなんて!笑」
「ごめんごめん〜笑」
楽しい時間だった。月明かりに照らされて、自転車で夜空を駆けて、世界で一番大好きな君とふたり。
この時間が、ずっと続けばいいのに…。
ピッピッピッ…ピピピピッピピピピッピピピピッ
「んん…?朝か…」
僕は目覚ましを止めた。
いつもの朝が来る。パジャマのまま一階のリビングに降り、テレビをつけ、そのままソファーに座る。
「したくしなきゃ…」
眠い目をこすり、適当にパンを食べて歯を磨き、髭をそり、髪を整えてスーツに着替える。
やがていつもの授業をし、昼時に職員室でコンビニ弁当を食べ、午後も授業を受け持つ。
「起立、礼、ありがとうございました〜。」
気だるけな日直の声。放課後掃除当番の監視、解散。職員室での職員会議。無事に終了。
部活動を持っているわけでもないので、家へ…。
あれ…。
「何か置き忘れたかも。」
その忘れ物がモノなのか、もっと大事な何かなのか…感情の赴くままに廊下をさまよい、空き教室の入り口にたどり着いた。
トントン「入るぞ〜」
教室を開けると、そこには見知らぬ女性が座り込んでいた。
何かを見つめながらすすり泣いているようだ。
「う…えぐっ…うぅぅ……」
「ど、どうしたんですか?こんなところでお一人で…」
僕は未だあの日の続きを見ていなかった。
「さゆり…私のさゆりぃ…戻ってきて…お願い…お願い…」
さゆり……?………あ…。
僕は目の前に立てかけてある写真を見て凍りついた。さゆりだ。あのさゆりだ。あの日あの夜、永遠に一緒にいようと誓ったさゆりだ。
「さ…さ…さゆ…あぁ…」
大きな棺。たくさんの花々。煙立つ線香。そしてさゆりの笑顔が映る写真。
「ああ…ああああ…あああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」
その時女性は何かに囚われたような恐ろしい顔で、目を見開いて僕に詰め寄ってきた。
「あなたが!!!…うぅ……あなたがああああ!!!あの時さゆりを助けていればああああああ!!!!」
僕は物事を飲み込むことに精一杯で、パニック状態だった。僕はあの夜あの子と結局どうなったんだ。自転車で夜空を駆けて、たくさん笑って…それで…そのあと…。
電脳少女は終わらない。それは死のレクイエム。宣告のタナトス。
彼女が奏でるセレナーデに、抗う者はいない。
僕は不思議と落ち着きを取り戻していた。
そして女性に優しく語りかける。
「さゆりは、とても優しい子でした。放課後いつも空き教室で僕のことを待っていてくれて、僕の顔を見るなり優しく微笑んでくれました。そんな美しい生徒に、一時期だけでも寄り添えた僕は幸せ者です。」
「ふっ!!!」グッ
女性は僕の顔にナイフを突きつけてきたが、その腕を片手で力強く掴んで続ける。
グググ…「だから…さゆり!戻ってきてくれ!!!こんなの嘘だと言ってくれ!!!」
彼女の持っていたナイフを掴み、床に投げる。
カランカラン…
緊張と悲しみで包まれた教室に、ナイフの転がる音が響き渡る。
僕はそのまま勢いに身を任せ、棺にかかっている花々をかき分け、こじ開けた。
「さゆり!!!!!!!」
棺の中の遺体はまだ綺麗だった。さゆりの可憐な表情と、美しい銀髪も、まだそのままだ。
「戻ってきてくれ…ッ!!!!」
気づくと僕の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。たった一人の命がこんなにも尊いなんて。
その時だった。
ビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリッ!!!!!!!!
「うっ…ゲホッゲホッ!…ぁあ…えっと…せ、先生…?」
信じられなかった。さゆりが今そこにいる。目の前にいる。喋ってる。息してる。まばたきしてる…。
「さゆり…!!!」
女性がさゆりに抱きついた。
僕もさゆりを抱きしめた。
か弱くて温かい、触ったら壊れてしまいそうなほどはかないさゆりの姿が、そこにはたしかにあった。
「…でも、どうやって生き返ったんだ?」
僕がそう聞くと、さゆりは微笑んだ。
「あの夜、あなたが教えてくれたじゃない。“君の電撃はきっと君の感情の高まりによって発生する電気エネルギーなんだよ”って。」
「でも、それでどうやって?」
「簡単だよ。あなたが私を強く必要としてくれたから…。」
僕の感情が不可視なエネルギーとなって空気に振動され、その動力が彼女の心臓マッサージになったとでも言うのだろうか…
なんにせよ、恋って恐ろしい。
そして同時に僕はもう一つ恐ろしいことに気づく。
「あれ、さゆりの両親ってもう既に亡くなってるんじゃなかったっけ?」
その時さっきまでさゆりを抱きしめていたさゆりの母らしき人物の姿はもうなかった。
「ここに私のお母さんがいたの?」
さゆりはきょとんとしている。
「うん!たしかにここにいた。僕のこと刺そうとしてきたし…だから振り払ったナイフがそこに…」
無かった。
「きっとあなたは、あなたの心が私を忘れたくなくて、そのきっかけになるように幻影を見せていたんじゃないかな…私にはお母さんなんて見えてないし…なんだかSF映画みたいだね。」
「ほんとだな…でもさ。」
ぎゅっ…
「戻ってきてくれてありがとう…」
僕は泣きながら優しくさゆりを抱きしめた。
そしてもうどこにも行かないでと伝えた。
あの日のように、僕らのいる放課後の空き教室には夕焼けが刺している。
下階の廊下で練習に励む吹奏楽部も、校庭の真ん中で身支度をするサッカー部の姿も、何一つ変わらないのに、ひとつだけ大きく変わったことがある。それは僕とさゆりの愛だ。
これは後日聞いた話だが、あの日夜空を駆けていたはずの僕たちは実はそのまま田んぼの用水路に落ちて頭を打って意識不明の重体だったそうだ。まあ自転車が空を飛ぶわけがないし、辻褄はそこはかとなく合う気はする。
恋って不思議だ。それはまるで電撃のように僕たちの心を感電させるし、取り憑かれたかのように虜にさせる。
きっと今の僕も、そしてさゆりも、神様が作った電脳セレナーデの旋律の中で未だ駆け抜けている最中なのかもしれない。
電脳セレナーデ 終
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