第35話 二人の以蔵
「武市先生。聞きましたか? また“人斬り以蔵”が出たそうです」
「岡田以蔵が、この京に舞い戻っているのでしょうか?」
先ほどから京都・土佐藩邸の書庫室で書類の整理をしていた男が、いぶかしげな表情で武市半平太に訪ねた。
京都に駐在する土佐勤王党では、既に“天誅”を行う事を厳しく禁止し、朝廷に仕える臣下として振舞う様に土佐勤王党の党首である半平太自ら党員に諭していた。
しかし、全国から集まった他藩の勤王の志士や不定浪人たちは、事有る事に“天誅”を振りかざし、辻斬りや悪事など揉め事を起こしていた。
「以蔵ではなかろう」
半平太がきっぱりと男からの問いを否定する。
「しかし、武市先生。斬られた者の傷が、どうやら岡田以蔵の太刀筋とよく似ておるそうで、左袈裟で斬りつけている様なのです」
さすがの半平太も顎に手をやり、苦々しい顔をする。
――― はて? 以蔵が、日頃から研鑽していた太刀筋じゃが・・・
◆
人々で賑わう京の町。
春の小雨に降られたのか、一人の体格のいい若侍が、傘を片手に店が建ち並ぶ大通りを歩いている。
仕立て生地の良い着物に、しゃれた小物を身に着け、白足袋に下駄を履く姿。
一見、裕福な
若侍の半歩後ろを歩く顔立ちの愛らしい娘、芸者風の色香を漂わせている。
すれちがう町の人が振り返る様な二人。今、京で話題の連れ合いの風景である。
「佐々様。雨が・・・」
娘の声に岡田以蔵の弟分、佐々木鉄蔵が傘を広げ、娘を雨からかばう。
「・・・」
そんな、連れ合いで歩く二人の姿を
「・・・」
二人の前を塞ぎ、ニヤリ顔で
若侍の反応に頭にきたのか、難癖をつける侍たちの声が徐々に声高になり、三人の侍が殺気立つ。
「ぐえっ」
一人の侍が悲痛の悲鳴を上げ、膝から崩れ落ち、地に伏せた。
岡田以蔵らと共に修羅場をくぐって来た、佐々木鉄蔵に
既に腰の刀は抜き放たれ、正面に居た男が斬り倒され足元に転がった。
残った二人の侍にも斬りかかる勢いである。
さすがに周りに居た町の者たちが騒ぎ始めた。
侍たちは、地面に倒れた侍を抱え起こし、人混みの中に消えって行った。
鉄蔵は、クルリッと刀を回転させると、元の鞘に刀を納めた。
娘は、鉄蔵の腰に抱きついた。
そして鉄蔵が娘に声をかけると、二人も町中へ消えって行った。
◆
佐々木鉄蔵は一人、常連の酒店で飲んでいた。兄貴分の岡田以蔵が京の都を去り、那須慎吾も
昔は三人で朝日が昇るまで飲んでは、師の武市半平太に叱られた事を思い出す。
「くそっ」
鉄蔵は、机を叩き鼻をすする。
剣術一辺倒に進んで来た鉄蔵であったが、最近では半平太を取り巻く口達者な者に活躍の場を奪われ、自分の立つ瀬がない。
運ばれて来た酒の入った徳利を奪う様につかむと、そのまま酒をあおった。
――― どれくらい寝ていたのか?
酒店の店主から閉店の言葉を受け、酒代を置くとふらふらと店を出る。
賑わっていた町の通りも、既に人通りはまばら。
鉄蔵が千鳥足で寺院の角を曲がると、目の先に蕎麦屋の提灯が一つ。
――― ふうっ。蕎麦でも食っていくか・・・
と、酔った顔を手で摩る。
その時、前から覆面姿の数人の侍が向かって来る。後ろから二人。
鉄蔵は覆面姿の侍たちに挟まれ、囲まれた。
「おまんら。どこのもんじゃ・・・」
「がはっ」
背後から木刀で殴られた様な衝撃で激しい痛みがはしる。
足がもつれ、地面に膝をついた。
「こんっ、土佐もんがあああ」
罵声と共に囲まれ、足蹴にされる鉄蔵。
「ぐふっ」「がはっ」
どれくらい殴られたか・・・鉄蔵は痛みの為、地面にうずくまる。
「もう、よかろう」
声がかかり、覆面の男たちは、数歩後ろに引いた。
「斬れ!」
「・・・」
侍の一人が刀を抜く。
「思い知ったかっ! 儂らを馬鹿にするとは」
刀を振り上げ叫ぶ。
「天誅っ!」
大声で叫ぶと、覆面の一人が鉄蔵に斬りかかった。
「ぎゃあっ」
悲鳴と共に血しぶきが舞う。
地面にうずくまっていた鉄蔵が、地面に沿って、大きく刀を薙いだのだ。
地面を
「・・・」
「天誅ちゃあ、何じゃあ」
「あっあああ!」
鉄蔵が、
そして、ゆっくり立ち上がる。
「おまんらが、軽るう使える言葉じゃあ、無いがじゃ!」
そう言うと、刀を振り上げ、正面の覆面の侍を袈裟に斬り落とした。
「ぎゃあっ」短い悲鳴が夜中の通りに響く。
「・・・」
「この・・・”岡田以蔵”。”人斬り以蔵”を斬ってみいっ」
返り血を浴びた鉄蔵が、鬼の様な形相で、刀を振り上げる。
「ひっ!ひっ!人斬り以蔵!?」
「へっ!」
「たっ!助けてくれっ!」
おびえて逃げようとする、侍の背を追いかけて斬りつける。
動ける覆面の侍たちは、後先にと逃げ去った。
「ふうっ。ふうっ」
息を切らしながら鉄蔵が叫ぶ。
「岡田・・・以蔵っ! 人斬り以蔵っおおおお」
「儂っあ・・・人斬り以蔵 じゃあああああっ!」
鉄蔵は、ふらふらしながら闇夜に消えていった。
◇◆◇◆誘い
佐々木鉄蔵の元に薩摩藩邸から消息を消していた、那須慎吾が密かに訪ねて来た。
日に焼けた大男は、ニカッと笑う顔に変わりがなかった。
慎吾の指示で二人は、人気の無い場所に移動する。
そして肩を組む様に身を近づけ、声を落として言う。
「鉄蔵。おまん、儂と一緒に大和の国へ来んか?」
「儂は今、脱藩した吉村寅太郎と一緒におる」
「儂らは、”天誅組”を名乗っておるがじゃ」
「・・・」
「そいて、大和の国を儂らが盗るがじゃあ」
「・・・」
「公卿の偉い御方も味方に付いちょる・・・」
「既に準備はできちょるんじゃ。あとは、儂らが決起するだけじゃ」
さらに、身を近づける。
「武市さんは、京都留守居役として出世して上士身分となった」
「とはいえ・・・参謀の平井収二郎が捕まって、今は動けん状態じゃ」
「以蔵も行方不明じゃ」
「今こそ、武市先生の為に儂らが、外から幕府に圧力をかけるがじゃ」
暫く二人は話しをした。
そして慎吾は天誅組が集まるという常宿の場所を言い、去って行った。
◆
灯りがともる小さな部屋。女物の家具と三味線が壁の隅に置かれている小さな部屋で佐々木鉄蔵が一人、手酌で酒を飲んでいる。部屋の障子が開き一人の娘が入って来る。
部屋に入って来た、その愛らしい娘は、心配そうな瞳で鉄蔵をみる。
「佐々様。なんかこの頃、へんやわあ」
と、猫の様に鉄蔵の腰に手を回す。
鉄蔵は、無言のまま杯を飲み干す。
「なんか、怖いおす・・・」
「・・・」
鉄蔵が思い切った様に口を開く。
「すまん・・・儂ゃあ近々旅に出んならん・・・」
娘が驚く。
「どうゆことですの。うちを嫌いにならはったんですか?」
鉄蔵は、娘の手を握る。
「儂ゃあ、やらにゃならん事が有るがじゃあ」
「
と、娘の手を強く握る。
「いやや。うち、いやや。離れとうない」
娘は、鉄蔵の腰に回した手に力を入れ、顔を押し付ける。
「あんたが、居らんようになったら・・・」
「うちは、また一人ぼっちや。いやや。いやや」
泣いてすがる娘。
鉄蔵は娘をなだめる様に、慎吾から聞いた計画を話し事情を説明した。
それから数日間、鉄蔵は娘との別れを惜しむ様に娘の元に通い詰めた。
◆
数日が過ぎた。鉄蔵は旅立ちの準備を済ませ、いつもの様に、娘の住む部屋から土佐藩邸に向かった。
武市半平太に慎吾の元へ旅立つ事を相談するか迷ったが、決心が揺らぐ事を懸念し相談はせず、ひと目、半平太の顔だけ見ようと土佐藩邸に訪れた。
「早う用意せえっ!」
屋敷の門から慌てた数人の侍たちが出て行くのが見えた。
土佐藩邸は、蜂の巣つついた様な騒ぎである。
既に武器を持ち、武装した侍たちが
「鉄蔵っ! おまん何処に居ったんじゃ」
「一大事じゃ」
「姿を消してた那須慎吾と吉村寅太郎らが、大和の国の代官所を襲って、代官所を占拠したがじゃ」
「これから何が起こるか判らん。おまんも備えるんじゃ。武市さんからの指示じゃ」
「武市さんが、おまんを探しちょったぞ。すぐ、武市さんの所に行け」
鉄蔵は、その場に立ち尽くした。
忙しく動く藩士たちが、鉄蔵の横をすり抜け、武具が身体にぶつかる。
――― 慎吾さん・・・儂は何をしよるがじゃあ・・・
土佐藩邸に、武装した土佐勤王党の志士たちが次々と集結する。
◆
次の日。思いもよらぬ事態が起こった。
薩摩藩と朝廷の保守派が手を組み、今まで、長州や武市半平太に味方していた尊王攘夷派の公卿たちが、朝廷から追放されたのだ。
旗頭であった、三条実美ら公卿衆は、長州藩の志士たちに護衛され、京の町を落ち延び、長州に向かった。
そして、この事件に呼応する様に、土佐藩主・ 山内容堂公が動く。
公卿と手を組み勢力を伸ばしてきた土佐勤王党に敵意を持つ、吉田東洋派を中心に土佐藩手練れの藩士たちを集めた精鋭隊が、武市半平太の居る京都・土佐藩邸を急襲した。
事態収拾の為に散らばっていた土佐勤王党の志士たちは、捕えられた武市半平太を取り戻すべく、土佐藩邸を囲む。
一触即発の硬直状態のまま、土佐勤王党と土佐藩精鋭隊が対峙した。
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