第34話 海の向こう
「以蔵! いるかい?」
屋敷の裏庭で朝の素振りをやっていると、この屋敷の主人、勝海舟が岡田以蔵を探してやって来た。
「先生っ」「こんな朝早ようから何ぜよ!」
「おおー、以蔵。朝から精がでるねえ」
皮肉まじりに聞こえる先生の言い回しも、最近では慣れ、何故か耳に心地いい。
「実は大事な会合があってな。おめさん、今日は幕府の要人の護衛をしてくれねえか?」
――― また先生の急な思いつきか?
と考えつつ、しぶしぶ頼みを引き受けた。
◆
早速、勝海舟は娘のサツキを呼び、紋付、袴を用意させ、以蔵に着替えさせる。
サツキは、手際良く以蔵の着付けを済ませると、以蔵の脇差を手渡す。
以蔵の差し方が甘いのか、サツキは首を傾げると脇差を差し直す。
最後に大刀を両手で持ち以蔵に手渡した。
着慣れない紋付袴におたおたする以蔵であったが、満足そうな顔のサツキである。
玄関先で、以蔵の着物の衿を背伸びして直した。
「行ってらっしゃいませ」
サツキは凛と立ち、両指を重ね御辞儀をする。
そして以蔵を送り出し、消えていく背中を心配そうに見守った。
◆
勝海舟に指示された屋敷に向かう以蔵。
着慣れない紋付袴でゴソゴソと着物を探り、持たされた紹介状を屋敷の門番に手渡し、面会を求めた。
その幕府の要人は、以蔵を待っていたかの様に姿を現した。
日に焼けた骨格のしっかりした大柄な男。以蔵を見ると親戚の子を迎える様に近づき、日に焼けた大きな右手を以蔵に差しのべた。
「キミが岡田以蔵クンかっ」
「今日は、宜しくっ」
戸惑う以蔵を見て、男は以蔵の右手を取り、手を握った。
「はははっ。アメリカ風の挨拶じゃ」
その合わせた大きな手の平は、固く鍛えられ力強かった。
「早速、行こう」
この男、中浜万次郎。またの名をジョン万次郎。
以蔵を急かし、屋敷を出て行った。
◆
すでに昇った太陽が西に傾きかけていた。
二人は、幕府が購入したばかりの外国船軍艦の甲板の上に立ってる。
先ほど幕府の役人と異国人との間で、今回購入する軍艦の引き渡し調印が無事終わり、二人は連れ立って海の見る船の甲板に出た。
港に停泊した、この軍艦から見渡す景色は、グルっと周りを見渡せ遥か水平線の向こうの島々の有り様が一望できる。
「はああっ、終わった」
万次郎は、大きく背伸びをし、海に向かって大声を出す。
以蔵は、万次郎の背を見つめる。
先ほど、万次郎と異国人の会話は、まるで見当がつかない。
ただ、万次郎が真剣に異国人と交渉し、互いに手をしっかり合わせ握手するする姿は、以蔵にとって新鮮であった。
異国人はこの国から追い出すもの・・・
以蔵の周りの人々は、皆、口々に叫び、それが当たり前であった。
そんな考えがどことなく遠く、違和感を覚える。
吉田松陰先生の”外国に行かねば”と迫った顔が、目の前にぼんやりと浮かぶ。
「以蔵クン。アメリカという国を知ってるかい?」
「アメリカはいいよ」
「自由だ」
「人もでっけえが、考えがでっけえ、やることもでっけえぜえ」
「俺は、元漁師だ。嵐にあって、漂流した」
「一週間近く、海を漂っていた所にアメリカの漁船に助けられた」
「奴ら言葉は解らなかったが、良くしてくれたよ」
「奴ら不器用でな・・・俺が細かい作業得意だと知ると、もう引っ張りだこよ」
「言葉も教えてくれて、アメリカ人の様に接してくれた」
「日本に帰りたいと言ったら、幕府に交渉して仕事までくれた」
「いいヤツらだよ」
「・・・」
「俺は、俺のできる事で日本を守りたいと思うちょる」
“ふふっ”と、照れくさそうに万次郎が笑う。
「久しぶりに、土佐の言葉でしゃべれたぜよ」
万次郎は、近く訪れるであろう国の危機を予想し、動き出している。
万次郎の遠くを見、近い未来を探る目は力強かった。
「儂の尊敬する人も、万次郎さんと同じ様な、いい目をしちょります」
「・・・」
以蔵の言葉に万次郎は以蔵に振り返り、笑顔を向けた。
右手の拳を突き出し、空に向かって親指を立てる。
「Good!」
日に焼けた地黒な顔から白い歯をのぞかせ、満面の笑顔で返した。
「そりゃなんじゃ?」
「これは、アメリカの合図で、“おまんは、凄い奴じゃ”ち意味じゃ」
「ははっ。アメリカも面白いのう」
「はっはは・・・」と二人は笑う。
◆
大仕事が済んだ万次郎と以蔵は帰り道を急ぐ。
人気の無い川沿いの河原。既に日が暮れかかり、カラス達も家路に帰ろう鳴く。
カラスが三羽、頭上高く旋回し、嫌な感じである。
周りの草むらがガサガサと動いた。
侍が三人。顔を隠す様に手拭いで顔を隠し現れた。
以蔵達が足を止めると後ろからも二人。今来た道を塞ぐ様に現れる。
「ジョン万次郎だな」
「貴殿に恨みは無いが、国の為、お命ちょうだいする」
万次郎の斜め後ろに立っていた以蔵。突然現れた暗殺者の言動で万次郎の体が“ビックッ”と跳ね上がったのが判る。
前方の侍が、刀に手をかけ、重心を低くし身構えた。
以蔵は、万次郎の片方の肩をつかむと、横に押しやった。
そして自分が、中央に進み出る。
「護衛の者か?」
「怪我したくなければ、さっさと居ね」
脅しの効いた低い声で侍の一人が言う。
万次郎が自分の固まった筋肉を必死に動かし、懐の短銃を取り出そうとする。
そして、以蔵の顔を横目で見る。
「・・・」
以蔵の口元が微かに斜め上に引き上げられた様に見えた。
――― 笑った?
首筋、肩、背中に“ゾクリ”としたものが走る。
「かまわん。斬れ!」
「・・・」
「天誅!」
前にいた一人の侍が、気合と共に斬りかかった。
それを合図に、後ろにいる侍の一人が前後同時に斬りかかる。
「ヒュン」
以蔵の鞘から光るものが一閃、弧を描く様に下から上に走る。
振り上げられた刀が真上に達した所でキラリと光り、ひるがえる。
と同時に以蔵の身体が反転したかと思うと真上から真下に斬り下ろされた。
「ぐあっ」
以蔵の動作より遅れて、斬りかかった前後二人の侍の悲鳴が上がる。
「貴様らっ!」
「死にたい奴はどいつじゃ。覚悟せえっ!」
地響きの様な大声と共に雷の様な激しい叱咤の声。
そして、鬼の様な形相で相手をにらむ。
ひるむ相手に、刀を肩に担ぎ、重心を落としたまま、相手に滲み寄る。
以前、江戸の歌舞伎芝居で観た様に。
慌てた侍達は、急いで打倒された仲間を抱き起し、退散していった。
「・・・」
以蔵は抜いた刀を肩に担いだまま万次郎に近づく。
「ああいう相手は、脅して追っ払うのが一番効果的ぜよ」
平然と言う、以蔵がどれほどの修羅場をくぐって来たのかと思うと背筋が“ゾワッ”と浮き上がった。
◆
「以蔵クン」
「おんしゃあ、異国人を武力で追い払えると、思うちゅうがか?」
「・・・」
以蔵は、自分の頭をポンポンとたたいて、言う。
「儂の尊敬しちゅ人は、出来ると言うちょった」
「今も自分の志を信じて、走り回わっちゅう」
「儂は、そん人が日本を変えるち信じちゅうがよ」
万次郎は、別れ際、以蔵に言う。
「勝先生は、これからの日本にとって大事な御人じゃ。守ってつかあさい」
そう言うと、右手の拳を突き出し、空に向かって親指を立てた。
「Good Luck」
以蔵も万次郎をまねて、右手の拳を突き出し、空に向かって親指を立てた。
以蔵には、その言葉の意味は解らなかったが、何やら任された様な気がした。
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