第33話 志士の誓い

 公卿の攘夷派筆頭である姉小路公知が一人、自分の部屋に籠り、古めかしい装飾が施された小さなつずら箱の蓋を開ける。そこには、自分が集めた当代の名剣と名高い刀剣が収められていた。その中の一振ひとふり、代々家に伝わる大太刀を手に取り、部屋から見える月に向かい座った。

 月は氷の様に薄く青白く光り、触れれば砕けそうなほどに弱々しかった。

 大太刀を抜き、顔の前に刃をかざす。

 かつて朝廷が権力をほこっていた時代、この大太刀も戦場に出て活躍したのだろうが、今はひっそりと誰の目にも触れず、つずら箱の隅で静かに眠る。

 刃に映る自分の顔を見ては、自分の無力さに落胆する。


――― いっそのこと・・・この刃で・・・


 ◆公の姫君

「公知様っ。お帰りなさいませっ」


 京都御所の周辺に建つ公卿屋敷に在る良く手入れされた庭園。咲きほこる花を手入れしていた黒髪の娘が、鈴が揺れた様な声でこちらを振り返る。

 幼い頃より、この庭が気に入ったと言い、この娘は一人でよくこの屋敷に訪れる。  

 若い二人にとって、これが当たり前の光景であり、この光景がずっと続くと姉小路公知は思っていた。

 しかし、この娘が大きくなり、庭に咲く花より美しくなった頃、現実を知った。


――― この美しい娘が、江戸城へ嫁に行く・・・。


 娘は、不安そうな顔で涙を貯め・・・そして全て心得たかの様に小さく笑い、去って行った。その小さく笑う娘に言葉もかける事が出来ず、姉小路公知は娘の後ろ姿を見送った。

 

 ◆

 静かな公卿屋敷の一部屋に薄灯りが灯り、姉小路公知を囲み三人の公卿たちが密談を重ねていた。


「ここで、後ろ盾になる藩の選択を誤れば、我らにとって命取り。慎重しんちょうにのう」


 公卿政治から武家中心の幕府政治に実権が移り、既に六百五十年余り。

 攘夷の勅使として江戸城に訪れ、徳川幕府二百五十年の歴史の中で、将軍自ら京都上洛の確約を成功させ、勢いに乗る公卿衆。その中心的な人物、若手指導者である姉小路公知が、ついに国事参政こくじさんせいの役職に就き、国家の政治に参加する。

 今や権力の陰りを見せ始めた徳川幕府。幕府の権力を削ぎつつ朝廷の権力を復活させる。朝廷の臣下としての長い間の悲願であった。

 朝廷内の保守派が提案する公武合体策を抑えつつ、長州藩の力を借り、まずは武市半平太が提案した京都周辺の領地を江戸から朝廷へ返還させる。そして朝廷の権力を取り戻す。

 開国派も味方に取り込み、力のある諸外国からの技術を吸収し、国力も蓄えなくてはならない。

 姉小路公知にとって、己が志す一世一代の大仕事が始まろうとしていた。


 ◆

「武市先生。 入ります」

 

 部屋の障子を開け、薩摩の示現流じげんりゅうの使い手、田中新兵衛が武市半平太の部屋に入って来る。

 武市半平太と義兄弟の契りを結び、今や半平太の左腕と称される二人目の刺客 ”人斬り新兵衛”。表裏で半平太と行動を共にする。

 

 手紙を読んでいた半平太は、するすると手紙を巻き取り、机の上に置いた。

 部屋は、薄暗い明かりが照らされている。

 半平太は、部屋に入って来た田中新兵衛に向き直り、衣服を整えた。


「新兵衛。お主に頼みがある」

「姉小路公知様を警護してもらいたい」


 半平太は、身を乗り出す。


「今や姉小路様は、廷臣八十八卿をまとめられ、国事参政となられた」

「三条実美様に次ぐ実力者」

「我ら尊王攘夷派の旗頭として朝廷政権を実現できる御方じゃ」

「それゆえ、敵も多い。姉小路様を亡き者にしようと画策する者も多い」

「お主に密に密姉小路様の身辺を護ってもらいたい」


「姉小路様は、儂らの様な身分の低い者にも耳を貸して下さり、そして存分に取り立てて下さる」

「儂らにとって一筋の希望なのじゃ」


 半平太は、新兵衛の目を見据え、顔がグッと近付ける。


「・・・」


 田中新兵衛の頭の中に光がさす様な・・・何とも言えないものが巡る。


「わかっちょります。わいの命は、武市先生に預けちょりもんす」

「こん刀にかけて、御護りしもんそ」


 新兵衛は、手元の愛刀を目の前に掲げると、誓とばかりに鯉口こうくちを切り、青白く輝く刀身をゆっくりさやから抜いた。


◇◆◇◆謀略

 五月二十日。この日も深夜まで姉小路公知は、自分に賛同する公卿たちと会議を行う為に外出していた。

 密に姉小路公知の護衛をする田中新兵衛。小腹の空いた新兵衛は、姉小路公知が屋敷を出る前に、屋敷の近くの蕎麦屋で腹を満たしていた。

 五月とはいえ、深夜の夜風は冷たく、温かいそばが冷えた身体を温める。

 黒い着流きながしに下駄げたをはき、ほうかむりを巻き、夜風をしのぐ。

 腰には、師から受け継いだ愛刀 “奥和泉守忠重”


「田中新兵衛さあじゃなかと?」


 後ろから親しげに話しかける男。

 見ると以前、薩摩藩邸で同じ捕り方をやっていた男ではないか。

 愛嬌のある笑顔で新兵衛に近づく。


「なつかしか~。おまんさあが、薩摩藩から居らんこつなって・・・」

「今、どげんしよっとか?」


 親しげに話しかけながら新兵衛の肩に手をやる。

 その男の瞳の奥に一瞬、殺意の光が映った。


「くそっ」


 新兵衛は、下駄を履き捨てると脱兎だっとのごとく走った。

 公卿屋敷を駆け抜け、寺の釣り鐘堂の角を曲がった。

 向かう先で微かに争う声。

 姉小路公知の前に刀を抜いて対峙する侍が二人。

 公知の供は地面に横たわる。対峙する公知は武器も持たず丸腰の状態である。


「きさまら!」


 新兵衛が、吼える様に叫ぶ。

 その時、物陰からサッと人影が現れ、吼える新兵衛の前に立ちふさがる。

 現れた男は、姿勢を低くしながら、腰に差す刀の鞘を素早く返すと一閃、抜き放った。

 新兵衛は、放たれた殺気から身をかわす様に後ろにさがった。

 横一文字に着物が切り裂かれている。


「くそっ」


 現れた男は、抜き放った刀をスルリと元の鞘に戻すと、片膝をつくほどの低い姿勢で構える。


「どけっ」


 新兵衛が怒鳴る。

 現れた男は、笠を深くかぶり、顔の表情は見えない。

 笠男の背中越しに、姉小路公知が対峙した侍から追いつめられるのが見えた。


「くそっ」


 新兵衛は、手に持つ自分の大刀を、公知を襲うとしている侍めがけて投げつけた。

 投げられた刀は、侍の足元をかすめ地面に刺さる。

 慌てた侍は、意表をつかれ後ろに数歩さがる。


「・・・」


 公知は、地面に刺さった刀を片手で抜くと下段に構えた。

 そして、大きく振りかぶると対峙する一人の侍に斬りかかる。

 予想しなかった公知の流れる様な見事は太刀さばき。

 刃は対峙した侍を薙ぎ、斬られた侍は地面に立入れ込んだ。


「・・・」


 好機とみるや、新兵衛も脇差を抜き、目の前の笠男に仕掛ける。

 脇差を片手で天高く掲げ、示現流・ 蜻蛉の様な構えをとる。


「・・・」


 お互い間合いを計る様にジリジリと動く。


「・・・」

「しいゃあー!」


 先に新兵衛が動く。前に跳躍し、咆哮と共に脇差を振り下ろす。

 二人が交差する。


「・・・」


 笠男のかぶっていた笠が縦一文字に斬り裂る。

 笠男が斬り放った刀身に赤い血がツツッと伝った。

 すかさず、新兵衛が脇差を反転させ、下から斬り上げる。

 二人は、弾かれる様に後ろに飛びさがった。

 裂けた笠の隙間から、笠男の片目が新兵衛を”ギロリ”とにらみみつける。

 

 新兵衛は、横腹を手で押さえた。

 温かい血がじわじわと指の間に染み出した。


「・・・」


 一瞬、笠男は、地面の砂を素早くつかむと新兵衛に投げつける。

 不意に視界を失う新兵衛。

 そして笠男は、脱兎のごとく姉小路公知の方へ駆け寄った。


「はっ」


 新兵衛の中の刻が一瞬止まる。


「くそっ」


 笠男は、姉小路公知に迫ると横一閃に刀を薙いだ。


「キンッ」

「なに? 防いだ?」


 刀同志が交差する。

 しかし姉小路公知は、笠男の余力に押し込まれ態勢を崩す。

 笠男の放った刀は頭上で切り返し、上段から斬り下ろされた。

 二人は重なる様にぶつかり、そして、姉小路公知は崩れ落ちた。


「・・・」


 笠男は、止めも刺さず、そのまま走り去る。


 ◆

 新兵衛は、地面に倒れた姉小路公知の側らに立ち尽くした。

 事切こときれ、ピクリとも動かない。

 新兵衛は、目を閉じ、天を仰ぐと大きく息を吸った。

 先ほど、笠男から負った傷口を拭った真っ赤な左手で、額とまぶたに手を当てる。


「ぐっおおおっ」


 悲しい雄叫びだけが、京の町に響いた。


 

 翌朝、タイミングを合わせた様に京都奉行の捕り方役人が田中新兵衛を囲む。


「田中新兵衛! 姉小路公知様、殺害の犯人として逮捕する!」

「身命に縛につけっ!」


 新兵衛を囲む捕り方の輪が徐々に絞られ、一斉に捕り縄が投げられる。

 身体や首に縄が絡まり、新兵衛の動きを封じる。

 新兵衛は、地面に引き倒されたが、争おうとはせず捕まった。


 ◆

 町奉行所に連行された新兵衛は、取り調べの為、京都町奉行の前に引き出された。


――― 田中新兵衛・・・


 京都町奉行は、目の前に引き立てられた新兵衛を、目を細くしてながめる。

 この田中新兵衛とは以前に面識があった。新兵衛が薩摩藩の捕り方であった頃、また寺田屋の捕縛騒動では、自分の指揮の元に共に闘った。この愚直ぐちょくな青年を京都町奉行は少なからず好ましく思っていた。

 二人が対面したところで、京都町奉行が、一振りの刀を取り出した。


「この証拠の品が、現場に残されておった」

「これは、そなたの刀であろう?」

「既に、そなたの刀であるという情報があった」


 と、“奥和泉守忠重”の刀を新兵衛の前に差し出す。


「・・・」

「だが、妙な話じゃ。侍の命である刀を何故、現場に落としていく・・・」


 京都町奉行が、声を低くし体を乗り出す。


「儂は、そなたが犯人とは思っておらぬ」

「真相究明の為、そなたに協力してほしいのじゃ」

「今、この国を動かせる一等の実力者を殺害し、そなたに罪をかぶせ様と策がめぐらされておる」

「・・・」

「薩摩か長州か、いやそれ以外の何者・・・」

「どちらにせよ、事は大事じゃ。国が割れるぞ」


 京都町奉行が、手に持つ扇子で自分の首をポンポンと打つ。


「・・・」


 うなだれていた新兵衛が初めて京都町奉行に顔を上げた。


「その刀を確認させてたもんせ」

「・・・」


 京都町奉行が部下に命じて新兵衛の前に刀を運ばせる。

 新兵衛はゆっくり愛刀を鞘から抜くと青白く光る刃に自分の顔を映した。


「謙助さあ・・・武市先生・・・」

「おいは、誓いを果たせんかったあああ」

「・・・」


 新兵衛は、大きく目を見開くと


「はっ」


 突然、刃を自分の首に当てたかと思うと、首をかっ斬った。

 そのまま、うなだれる様に崩れ落ちていった。


――――――

 それから、わずか三ヶ月後。

 攘夷派の若きリーダー姉小路公知を失った、長州藩、土佐勤王党が目指す徳川幕府を朝廷の一配下とする尊王攘夷派に対し、朝廷穏健派と薩摩藩の徳川幕府と朝廷が互いに協力する公武合体派との水面下の争いは表面化し、ついに八・一八の政変が起こる。

 薩摩藩は官軍となり、長州藩は賊軍となり、長州藩は京都を追われる。

 土佐勤王党も姉小路公知という後ろ盾を失い、死地に追いこまれる事となる。

 時代の流れは、非情にも次の歯車を回そうとしていた。


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