第23話 刺客 前編 薄恋

 十四代将軍・徳川家茂の京都上洛の約定を取り付けた、姉小路公知ら勅使一行ちょくしいっこうは、この歴史的な成果を掲げ、京に凱旋した。

 このまま進めば、朝廷を軸とした尊王攘夷そんのうじょういが国政の方針として動き始める。

 長く強大な力を持ちすぎた徳川幕府が、朝廷の臣下として下り、朝廷が力を取り戻す。そして、この国の本来の姿に立ち戻る。

 武市半平太の中に染み込み、そして芽生えたその血や細胞が感無量の喜びに熱くなった。

 

――― これから・・・変革の一歩が始まる


「さあ。武市先生」

「皆に御言葉をお願いいたします」


 武市半平太の横に座っていた、長州藩の桂小五郎が、半平太をうながした。

 

 半平太が目を開けると、目の前には顔を見知った野暮な若者たちが瞳を輝かせ、半平太の発する言葉を待っていた。


 祇園の老舗料亭で勅使護衛についた土佐勤王党の志士、長州藩から桂小五郎を頭とする若い志士たちが、成功を祝し、盛大な宴を開く為に集まっていた。

 

 桂小五郎は、今は亡き恩師を武市半平太に重ね合わせ、涙ぐむ。


――― 長州藩士は涙もろい・・・。


 気丈に振舞っていた半平太も、時折、話の途中で感極まって言葉を詰まらせた。

 集まった志士たちは、明日の自分たちにその雄姿を重ね、これなら訪れるであろう苦難の闘いを思い描いた。

 

 そして、宴は進む。

 集まった志士たちは、酒の力に魅入られ、ひと時の夢に酔った。


「武市先生。一献どうぞ」


 半平太の前に貫録のある長州藩の侍が酒を勧める。


「申し訳ない。わしは、酒が飲めないので・・・」


 と酌を丁重に断り、手元の徳利を差し出すと、酒を勧めに来た侍に酌で返す。

 すると、以蔵が半平太と侍の間に割って入り、二人で酌を交わす。

 そして、肩を叩き合い席に戻って行く。


――― ふっ。以蔵・・・いつもすまんな・・・


 ◆刺客

 宴も終盤にさしかかった頃、酔い覚ましの風に当たる為、以蔵は一人、かわやへ向かった。

 後の座敷では時折歓声が上がり、皆、上機嫌で宴が盛り上がっている。

 ふと廊下で美しく着飾り楽器を持った芸妓むすめたちとすれちがう。

 なぜか懐かしい香りが鼻をかすめた。

 

 座敷から廊下に控えていた芸妓むすめたちに声がかかる。

 障子が開けられ、楽器を手にした煌びやかな芸妓むすめたちが部屋に入って来る。

 芸妓むすめたちは中央に座るとうたを奏で、宴が盛り上がる。


「武市先生。一献おひとつどうぞ」


 酌をする為に付いた、艶やかな芸妓むすめの一人が、半平太に酒を勧める。

 着物の襟元から覗く真っ白な肌とが、夜の妖艶さを漂わす。


わしは、飲まんのだ」と半平太が手で酌を制止する。


「そんなら、わしが頂こうかいのう」


 以蔵が半平太と芸妓むすめの間に割って入り、さかずきを上げた。


「・・・・・・」


 以蔵が手にした杯に芸妓むすめが酒を注ぐ。

 

 以蔵は、その芸妓むすめの顔を凝視する様に見つめた。

 

 杯に注ぐ酒が溢れ、以蔵の手を伝う。

 芸妓むすめは、杯に注ぐのを止めず、酒を注ぎ続ける。

 

 何やら甘い香りが微かに鼻を通った。


「ガシャン」「ガシャン」

「キャアアアー」


 今まで、陽気に酒を飲んでいた男たちが、その場に力無く崩れ落ち、食膳を散らし畳に転がった。


 以蔵の目の前で酌をしていた芸妓むすめが、信じられない勢いで横に飛び退いた。

 芸妓むすめが、三味線に仕込んでいた剣を抜き放ち、武市半平太に狙いを定めた。


「ガシャン」


 食膳が飛び散る音と共に、半平太が側らに置いていた刀を抜いた。

 間髪入れず、女に向かって横一閃に斬り払った。

 

 ザンッと女は軽やかに後方に飛び、慌てもせず、刀の間合いを外した。


「幕府の刺客かっ!?」


 半平太は、片膝を立てたままの低い姿勢で、抜き放った刀を女に向け叫ぶ。

 

 女は無言のまま、冷たい目で半平太を見据える。

 そして半平太に斬りかかる隙と間合いを計る。


「・・・」


 半平太が、刺客の女に仕掛ける。

 刀を大振りせず左右の動きを押さえつつ、突きを繰り出す。


「キンッ」

「ガキンッ」


 刃が重なる。

 半平太の長剣と長い腕、そして瞬時に繰り出される突き。

 女の読む間合いが狂ったか、徐々に後ろに押し込まれていく。

 

 騒ぎを聞きつけた、外の志士たちが部屋になだれ込んできた。


「先生っ! ご無事ですか?」


 女が懐に手を差し込む。


――― いかんちや!


 次の瞬間。銀色の光が数本、半平太を襲う。

 

 素早く反応した、以蔵が半平太の前に割り込んだ。


「カツン」「カツン」


 銀色の光が、硬い物にぶつかる。

 しかし、一本が以蔵の腕に食い込み、激しい痛みが走った。

 

 勝機を失ったと判断した刺客の女は、反対側の障子を蹴破ると中庭に跳躍した。


「追え。逃がすな」


 残った志士が女を追って、中庭に出る。

 

 女は、軽業師かるわざしの様な身軽さで塀に飛び上がると、半平太と以蔵をひとにらみし闇夜に消え去った。


 以蔵が女の後を追って外に飛び出す。


「追うな。もう無理じゃ」


半平太が志士たちに声をかけ、一同は立ち止まった。


 ◆刺客の正体

 以蔵は、刺客の女の後を追って走った。


――― あれは “あかね” じゃろ

――― くそっ。どうしてじゃ・・・


 女の後を追ったが、居場所に当てはなかった。

 ただ、ただ、あかねに問いたかった。


――― はあっ。はあっ。息が苦しい・・・


 体が重く膝に力が入らない。


――― くそっ・・・


 ついに以蔵は壁に寄りかかった。


――― はあっ。はあっ。


「以蔵っ」「以蔵っ」


 鈴の様な娘の声が聞こえた。

 

 目の前に旅先で出会った、あの幼顔の“茜”が現れた。


「どうしてじゃ」

「どうして・・・おまんが、武市さんを襲うがじゃ」


 以蔵は、茜の両肩をつかむと、子供が泣くような顔でたずねた。

 あかねを見つけて気が抜けたのか、以蔵の意識が薄ぼんやりと遠くなっていった。


 ◆

 男と女の微かな話声に目が覚めた。


――― あれは・・・夢だったのか・・・


 薬草の苦々しい匂いが、鼻につく。腕もひりひりと痛い。


「コホン。コホン」


――― 喉が渇く。

 

 目を開けると、大きな黒い瞳の娘が、自分の額を以蔵の額に近づけ、そっと当てた。


「ふうっ」

「熱は治まったみたい」


 と呆れ顔のあかねは、以蔵の手を取り、引き寄せると苦々しい匂いのする布を剥ぎ取った。


「薬を取り換えるから、おとなしくしてて」


 と、また、苦々しい匂いの元を、傷を負った手に塗り込めた。


「あんたねっええ」

「ほんとっ、長生きしないよっ」


毒針あれを受けて、走って来るなんて・・・」


 茜は、そう言うと布を巻き直した。


「コホン。コホン」

「水をくれるか?」

「・・・」


 茜は、以蔵を抱き起こすと、たらいに汲んであった水を片手ですくう。

 そして、以蔵の口にそっと運んだ。

 茜の柔らかな指先が口にふれる。


「・・・・・・」


 以蔵がさびしそうな声でたずねる。


「どうして、武市さんの命を狙うがじゃ」

「・・・・・・」


 茜は、静かに以蔵の背中に、自分の背をつけ、座った。

 そして以蔵に自分の顔が見えない様になったところで、ゆっくり答えた。


「依頼だから・・・」

「・・・」

「土佐勤王党党首・武市半平太・・・」

「京の公卿たちを後ろ盾に、薩摩、長州、外様大名の諸藩と結託して、尊王攘夷、王政復古おうせいふっこを掲げる男・・・」

「今、幕府にとって最大の脅威きょういは、武市半平太さ!」

「そんな脅威を幕府が見逃す訳はない・・・」

「それで、機会を狙って、密に武市半平太をねらったのさ」

「・・・」

「あんたの大将、武市半平太もそんな事は十分承知の上だよ」

「・・・」

「だから、“土佐の人斬り以蔵”という表の顔を利用して、武市やつは裏で動いている」

「“人斬り以蔵”の名を恐れる幕府の要人や反感を抱く藩の志士たちも・・・」

「土佐藩、いや武市半平太には簡単に手が出せない」


「まさか、あの時、会った侍が“武市半平太”と“人斬り以蔵”だったとはね・・・」


 以蔵は言霊ことだまを発する様に言葉を繰り返した。


「武市さんは、儂らの頭で夢なんじゃ」

「そやき・・・武市さんの邪魔するヤツは儂が斬る」

「・・・」


 茜が決心した様に優しく話かける。


「以蔵・・・このまま・・・“あかね”と逃げよう・・・」


「このままだったら、以蔵あんた・・・死ぬよ・・・」


「相手は、幕府だけじゃない。朝廷や薩摩や長州だって、いつ敵になるか解からないんだよ」

「あんた一人じゃ、武市半平太をまもりきれないよ・・・」

「・・・」


 以蔵が想い詰めた様に言う。


「よう言えんけんど・・・」

わしは、バカじゃけん・・・」

わしあっ、バカじゃけん・・・」


 茜が思い切って以蔵に言う。


以蔵あんた、武市半平太に利用されてるだけなんだよ」


 以蔵が、茜の言葉を遮る様に声を荒げた。


「おまんにっ何がわかる!」

「武市半平太は・・・」

「武市半平太は・・・わしより大バカで・・・」

「お人好しで・・・誰よりも真っ直ぐなおとこなんじゃ!」


「・・・・・・」


 二人は暫く、何も言わなかった。


「・・・・・・」


 茜が立ち上げると、大きく背伸びをした。


「あああっ」

「以蔵は、バカじゃ。大バカ者じゃ」


 と言うと茜は部屋から出て行った。


―――――― 

 次の日の朝。茜は、以前に旅先で出会った時の笑顔で以蔵を起こした。

 茜が用意した朝飯を二人で食べた。

 朝飯に付いた、焦げたメザシが何とも言えず、ほろ苦かった。

 

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