第22話 勅使護衛 後編 風雲児

 長州藩の尊王攘夷志士たちが常宿として集まる船宿。

 日暮れの西日が差し込む奥の部屋に、片膝を立て、部屋の柱に背を持たせながら三味線を抱き、ポロン、ポロンと爪弾つまびくく男。高杉晋作。

 恩師である吉田松陰先生が亡き後、門下の中で頭角を現し、現在、長州藩を動かせる若き指導者。

 諜報力に長け、全体を見る桂小五郎。他藩との交渉力、人脈を持つ久坂玄瑞。そして志士たちを掌握しょうあくし行動できる男、高杉晋作。

 

 空になった杯に酒を注ぎ、一口、口に運ぶ。

 三味線から発する一音に意味があるのか、静かに目を閉じ、音を聞き分ける。

 杯に注いだ酒を一気に飲み干し、床に置く。

 そして閉じていた目を、カッと見開くと三味線を高く掲げ、床に置いた杯めがけ三味線を振り下ろす。

 短い異音と共に杯は、微塵みじんに砕け散った。


「栄次郎っ! 行くぞ!」

「おうっ」


 高杉晋作の前に居た侍が即答し、それに呼応する様に周りの侍たちが、刀を握りしめ一斉に立ち上がった。

 高杉晋作は、江戸に向かう朝廷の勅使一行ちょくしいっこうを護衛する土佐藩と同行する、長州藩・桂小五郎からの良い知らせを待っていた。


――― 遅い! 

――― 予想はしていた。しかし、もう待てん。

――― 亡き師が説いた“王政復古”。

――― 難しい交渉である事は頭では解っている。

――― しかし体を巡る血が・・・

――― 沸々ふつふつと湧き上がる血が、もうおさえきれない。


「キミらの命っ!。 この高杉晋作にあずけてくれ」

 

 そう言うと、高杉晋作は目の前に立ち並ぶ、猛る長州藩士の一人一人の目を見定めると、志士たちの中央を割り進み出た。

 志士たちは、高杉晋作の背を追い、後に続いて部屋を出て行った。

 

 ◆

 武市半平太から密命を受けた、島村衛吉たちは目立たぬ様に二手に分かれた。

 桂小五郎から得た情報で、高杉晋作一派が襲撃する予定の大使館の近くに有るという、長州藩士らが集まる宿に急いだ。

 午後十時、諸外国と交易の為に設けられたレンガ造り洋館が立ち並ぶ西洋通り。

 時折、火の用心を兼ねて町方の役人が見廻りを行うのみ、人通りはまばらである。

 衛吉たちは、人目を避けながら大通りを渡る。

 高杉晋作らが襲撃前に集まる宿に近づくと、その宿を見張る顔見知りの長州藩士が衛吉たちに合図をした。


「中に十五人ほど集まっております」


 見張る長州藩士も緊張した様子で報告する。


「くそ! 多いな!」


 衛吉が吐き捨てる。


「いいか皆っ!。 計画を止めれば、それでいい!」

「もしもの時は、高杉晋作だけをねらうぞ」


 衛吉が押し殺した低い声で言う。

 

 宿の中からときの声が上がり、中の様子が騒がしく動いた。


「行くぞ!」


 戸口から、衛吉を先頭に以蔵たちが続いてなだれ込んだ。

 

 ◆

 中庭に篝火かがりびが焚かれる中、各々の武器を手にした長州藩士たち。

 背後に突然、侵入して来た者達に驚き、凝視する。


「なんじゃあ、きさまらっ!」


 突入した土佐藩士たちは、各々が刀に手をかけ、低く構えた。

 

 見知った顔が数人。

 衛吉が前に進み出る。


「高杉っ!」

「もう襲撃の計画は、ばれちょるぞ!」


 集まった長州藩士たちが半分に割れ、中央奥に高杉晋作の姿が現れた。


「・・・」


 高杉晋作は、うつむき肩を震わす。


「はっはは」


 高杉晋作の以外な反応であった。


「桂さんかっ」「あの男は・・・」

「ははは」

「・・・」


 高杉晋作は、左肘を腰に差す刀のつかの上に置くと左肩を突き出し、突入して来た土佐藩士たちを一人一人見定め、威嚇いかくする様に声を発する。


「お前らあああ」

「ぬるいんじゃ!」

「・・・」


 そして、あごをしゃくる。


「俺らが、火いつけちゃろ!」

「幕府ごと・・・燃やしちゃろうかいっ」

「・・・」


 そこに居た土佐藩士の誰もが、“まずい”と思った。


 ――― この男、人をわせる・・・


 晋作の一言で静寂せいじゃくに包まれる中、以蔵が刀を抜いた。


「高杉っ」

「おまん、面白いおとこぜよ」


 土佐藩士たちが夢から覚めた様にハッとする。

 皆、慌てて以蔵にならい、一斉に刀を抜く。

 

 高杉晋作を中心に長州藩士。島村衛吉、岡田以蔵を中心に土佐藩士が、武器を構え、対峙する。


貴様きさまっ!」


 長州の若侍が一人、威勢いせい良く前に出る。

 沈黙を破った以蔵に斬りかかろうと進み出た。


「カアンッ!」

 

 すかさず、衛吉の短槍たんそうが若侍の刀を弾く。

 二手、三手、そして器用な槍さばきで長州の若侍を組み伏せた。

 

 倒れた若侍は、地面に張り付いたまま動けない。

 

 今まで、後ろに居た高杉晋作が前に歩み寄る。

 

 そして、腰を落とすと刀を抜き、構えた。

 左肩を前、下段の構えで刃先を後方に隠す様に腰を落とした。


――― 柳生新陰流の構え?

 

 衛吉は、若侍を放すと晋作と対峙する為、短槍たんそうを構えた。

 

 二人は、すり足で、わずかに左に移動していく。

 

 衛吉は、槍の端を片手で持ち大きく回転させながら振り回す。

 そして、狙いすました様に相手の喉元に槍を伸ばした。

 

 晋作は、軽く体をかわす。槍は届かない距離である。


「ちっ」


 衛吉は、吐き捨てる様に言うと、腰を落とし、槍を構える。


「シュッ!」「シュッ!」


 体を軸に槍の矛先ほこさきが、晋作を襲う。


「キンッ!」

 

 下段に構えた晋作の刀が、槍をからる様にやわらかく受ける。

 数回、衛吉は突きを放つが、そのたびに受け流される。

 衛吉は、大きく息を吸うと糸を吐く様に息を吐いた。


「・・・」

「でいえいっ」


 衛吉の渾身こんしんの突きが晋作を襲う。

 短槍の矛先ほこさきが、体をつらぬくほど踏み込む。

 

 晋作の衣服が裂ける・・・

 

 しかし、晋作が下段から抜き放った刀は短槍を跳ね上げる。

 と同時に返す刀で衛吉の腕を斬り落とそうとする。

 が、衛吉は素早く後ろに飛びのいた。


「ガキンッ!」


 横合いから割って入った以蔵の刀が晋作の刀を受け止める。

 

 以蔵と晋作、二人の目がお互いをにらんだ。

 

 二人は一旦、距離を取って別れる。

 

 以蔵が八相はっそうの構え、晋作が下段げだんの構えで低く構える。


「・・・・・・」


 以蔵が威圧をかけながらジリジリと間合いを詰める。


「・・・・・・」


 以蔵が後ろあしって素早くみ込む。


「せやあああああっ」「おおおおおおっ」


「ガキンッ」

 

 二人の刀が交差する。

 交差した刀は、お互いの肩口で均衡きんこうを保って止まる。

 しかし、上段から振り下ろした以蔵の勢いと剛力でジリジリと肩口に押し込まれていく。


「ギリッギリッ」


 晋作の切れ長の目に憎悪ぞうおがにじむ。


「お前らは引っ込んどれっ!」

「こっちは、松陰先生を失っとんじゃ!」


「松陰先生の仇打ちじゃ!」


 晋作のさけびが以蔵と二人だけの間に聞こえた。


「・・・」


 晋作の放った言霊ことだまが“とき”を巻き戻す・・・

 あの裏の畑で話した松陰先生の顔が、言葉が・・・以蔵の脳裏によみがえる。


「・・・」


 以蔵の丸っこい目に熱いものがあふれ、晋作のいかる顔がにじむ。


「・・・」


 激しく刀を合わせていた二人の力が抜けた。


「ああ、わかった、わかった」

きょうざめだ」


 高杉晋作は、茶化す様に言葉を吐き捨てる。


「今回は引くが、俺らいつ爆発するか、わからんぜ」

「あんたらの大将に言っときな」


 その時、裏庭の周りから大勢の侍達がなだれ込んできた。


「やめい!」「やめい!」

「刀引け!」


 入って来た侍達は、長州藩士と土佐藩士を一斉に取り囲む。

 遅れて、一見して判る高貴な着物を着た若侍が前に進み出た。

 

 若侍に気付いた長州藩士は、手に持った刀を地面に置き、一斉に地面に平伏した。


若殿わかとの!」


 若殿と呼ばれた若侍は、高杉晋作の前に立ち、晋作の目を見据える。

 若殿は、晋作の肩に手をえると溜息をもらす。


「晋作・・・国元に戻り、沙汰さたを待て!」

「・・・」


 立ったままの高杉晋作。

 頭一つ背の高い晋作は、こうべれた。

 

 高杉晋作は、何の抵抗も無く、後から来た侍たちにうながされる様に出て行く。

 若殿と呼ばれた若侍は、戸惑う衛吉ら土佐藩士に向き直り、軽く頭を下げた。


「高杉晋作ら全員、儂が身柄を預かる」

「皆の者、よう止めた。ご苦労であった」

「戻って首尾を武市に報告せよ」


 ――― 長州藩の若殿様、次代藩主様か?


 若殿は、そう言うと戦意せんいを無くした長州藩士をうながし、この場を立ち去った。


――――――

 高杉晋作らの襲撃未遂騒動から数日後、品川宿で将軍が自ら勅使一行を出迎え、江戸城に入城を果たした。

 そして十四代将軍 家茂は、朝廷に対して臣下の礼をとり、主従の関係を明確に表した。しかし、幕府が諸外国を追い出そうとする攘夷じょうい行動を実行する件は、くはぐらかされ、明確な回答は得られなかった。

 勅使一行は、この結果をもって一路、京に帰還する。

 やがて、この”勅書の策”が、二百五十年続いた幕府の権威を揺るがし、長州藩や土佐藩にとって藩の存亡に関わる危機に発展するとは、この時、勢いに乗る半平太たちにとっては想像もできない事であった。



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