第30話 安息日

「ふわっああ!」

 

 大あくびをしながら、猫が背を伸ばす様な動作で腕を伸ばし、いかにも退屈な素振りの男。岡田以蔵。

 暖かな陽気に涼やかな南風が吹き抜け、庭の木々をサラサラと揺らしていた。

 部屋の柱を背に縁側で一人、庭を眺めながら座っていたが、心地良い風についウトウトと・・・いつのまにか横になり、居眠りしてしまったようだ。


「ふわっああ!」


 また縁側にゴロンと寝転がり、天井をぼんやりとながめる。


「ふっ」

 

 何やら一人で思い出し笑いし、ニヤニヤする。

 

 江戸に来てから幕府軍艦奉行・勝海舟の護衛を始め、既に四ヶ月。

 勝海舟という人物と行動を共にしていると実に面白おもしろい。


――― 最初は口の悪い、口の上手うまい御役人と思ったが・・・

――― 知識の豊富さ、少年の様にキラキラと目を輝かせ、絵空事えそらごとを語る。

――― そしてるぎない信念と行動力。

――― ふっ。今度、将軍様に会わせてくれるそうだ・・・

――― そして・・・酒好きである

――― げにまっこと・・・面白い御人ぜよ・・・


「以蔵さん!」「以蔵さんっ!」

「退屈そうですね!」

「お茶でもお持ちしましょうか?」


 以蔵の夢見心地でぼんやりした頭に、幼さを含んではいるが、凛とした、しっかりした声で娘の呼ぶ声が聞こえる。

 以蔵は目をこすりながら声がするほうへ顔を向ける。

 

 声をかけて来た娘は、勝先生の娘。歳は十三才ぐらいであろうか。愛らしい大きな瞳でこっちを見ている。

 武家の娘といえば多くが、”おしとやかであれ”と教育を受けているものだが、さすが勝先生の子となれば親に似ているのかきが良い。

 開国論者の勝先生から教えを受けているせいか、人見知りせず社交的な娘だ。

 以蔵はこの娘の物怖ものおじしない度胸と言葉や態度から発せられる優しさが心地良く、少なからず好意を持っていた。

 

 以蔵は、ゆっくり体を起こすと、娘を見て目尻を下げ、目を細めた。


 ◆

 以前、この幼い娘 “サツキ”の身の上話しを聞いた。

 長崎の港町で生まれ、春になると生家の庭一面にサツキの花が咲く。

 母親はサツキの花が大好きで、この娘の名に“サツキ”と名付けたらしい。

 長崎で母親と二人で暮らしていたが、母親が早くに亡くなった為、その後、勝先生に引き取られ、この江戸にやって来たらしい。

 時折、見せるさびしげな表情が、まだ幼い娘の心を曇らせているのを感じた。


「サツキ坊は、さびしくないがか?」

義母上ははうえは大変良くしてくれますし、江戸にはいろんな人がいて面白いよ」


 と語る。

 ニッコリ笑った小さな娘の笑顔は、以蔵の脳裏に残り、二人の距離を縮めた。


 ◆

 縁側に座る、以蔵が退屈そうに”サツキ”に答える。


「勝先生は、朝から竜馬と大事な用で出かけて行ったけえ。儂ゃあ暇ぜよ」


 と二人が出かけた方角に目をやる。


「サツキ坊は、儂が怖くないがか」

「儂は、人斬り以蔵いうて、皆から嫌われちゅう」

「・・・・・・」


 サツキが、あごに手を当て、小さく首を傾げる。


「以蔵さんが悪い人だったら、お侍さんは、みんな悪い人だよ」


 サツキの怒ってふくれたっぺたに、目じりの下がる以蔵。


「そんなことよりー 以蔵さんっ! また勝負しましょう」


 腕まくりをしながら、あごをしゃくって、サツキが言う。


「儂ゃあ 女の子でも手加減せんぜよ」


 サツキは、以蔵が座っていた縁側にうつ伏せに寝っころがって、以蔵を見上げた。

 以蔵もサツキの対面にうつ伏せに寝っころがり、二人は、顔を突き合わせる。

 以蔵は日に焼けた太い腕を、サツキの顔の前に突き出す。

 サツキも白い腕を差し出し、以蔵の差し出した手の平と合わせる。


「私は両手ね」


 竜馬とやっていた腕相撲を観ていたこのお転婆娘は、えらく気に入ったらしく、自分もやりたいとひまをみては勝負をいどんでくる。


「・・・」

「用意はいいがかっ」

「以蔵さんっ。笑かしたら罰よ」


 と、サツキ。

 以蔵が目をパチクリさせ真面目な顔で掛け声をかける。


「いざっ!勝負っ」


 け声と共にお互い力を入れる。

 しばらく、最初の位置から組んだ腕は動かない。

 サツキが必死に両腕に力を入れる。


「くううっ・・・」


 サツキの白い首筋がだんだん赤くなり、っぺたがふくらむ。

 以蔵は、サツキが怪我けがしないように注意しながら少しずつ腕を押し倒していく。

 次第しだいにサツキの身体が浮き上がる。


「はっ!」


 サツキは、足を何度もばたつかせて、起死回生を試みる。

 身体が伸び切ったとこで、以蔵が勢いよく腕を押し倒す。

 勢い余った、サツキはそのまま、あおむけに転がった。


「キャッ!」

「あはははっ」「はっはっ」


 せきを切った様に、サツキは笑い出した。

 どうもこの負け方が気に入っているらしく、楽しそうに笑う。


「あはははっ」「はっはっ」


 ひとしきり笑った後で、サツキは乱れた衣服を整え、髪を整える仕草しぐさをすると、以蔵の横にちょこんと座った。


「ありがとうございました」


 と、両指を合わせ、深々とお辞儀をする。


「・・・・・・」

「ふふっ。お茶でもお持ちしますねっ」と元気に言うと立ち上がった。


 ◆

 そこへ突然、玄関先で騒がしく、人が飛び込んで来る。


「岡田様!」「大変だ!」「大変だ!」


 入口から慌てて飛び込んできたのは、勝先生にともする小姓のおやじ。


「大変だ。旦那様が、旦那様が、無頼ぶらいどもに襲われてるっ!」


「何じゃと!」「竜馬はどうした! 一緒じゃないがかっ!」


「坂本様は、途中で別れて・・・先生だけで・・・」


 以蔵は、横に転がっていた刀を持ち、さっと立ちあがると同時に着物のすそをからげ、腰帯に突っ込む。


「勝先生っ! すぐ行きますけえっ! 無事でいてつかあさい!」


 そう叫ぶと、裸足はだしのまま庭に飛び降りたかと思うと、「勝先生」と叫びながら小姓のおやじが来た道を脱兎だっとのごとく走っていった。

 

 サツキは、走り去った以蔵の後ろ姿を見送る。

 そして小さな両手を顔の前で合わせて、両目を閉じた。


――― どうか・・・ご無事ぶじで・・・



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