第29話 人斬り以蔵

 旗本武家屋敷が建ち並ぶ本所深川。人々が寝静まった人気の無い真夜中に、ある屋敷を探る様に、動く人影が三つ。

 その人影は、集まり何やら相談する様に頭をつき合わせた。


「・・・・・・」


 集まった三人の背後に音も無く近づく大柄な侍。手拭いで顔を隠しているが、露わな目には殺気が漂っていた。

 そして三人の背後に近づいたと思うと、手に持つ短刀で一人の男を刺貫いた。


「うっ」


 短い悲鳴と共に、男が膝から崩れ落ちる。


「きっ貴様っ、誰・・・じゃ・・・」


 異変に気付いた二人がその場から動こうとした瞬間、体に走った激しい痛みと共に二人は力無く地面にうずくまった。

 その大柄な侍は、動かなくなった三人を側に流れる川に次々と投げ落とした。

 そして、手にした短刀も川に投げ捨てた。


◇◆◇◆謎の刺客

「お嬢様。御気を付けてお出かけくださいませ」


 玄関先の庭を手入れする手を止め、六十過ぎの初老の男が、孫ほど年の離れた娘に声をかける。


「最近、御屋敷の周りを怪しい風体ふうていの男がうろついていると奥様が心配されていました」


 声をかけられた娘は、初老の男に向かってニッコリ笑うと門を出て行った。

 

 屋敷の角を曲がると数人の侍とすれちがった。

 先ほどの言葉が気になり、行き交う人々が皆、怪しく思えてくる。


――― 父上は、暫く屋敷に帰ってはいない。

――― 今もどこかで忙しく飛び回っているのだろうか・・・

 

 娘は、今しがた買い終えた荷物を抱え、暮れようとする空をながめた。

 

 ◆

 用事も無事終わり、屋敷の門をくぐろうとしたところ、一人の侍が娘に声をかける。


――― キャ!


 娘は驚き、心の中で悲鳴をあげる。

 背が高く肩幅の広い大柄な侍が、娘を見下ろす様にたずねた。


「勝海舟先生は・・・おっ、おられるかいのう・・・」

「・・・」


――― 首元に巻かれた手拭いが、着物の生地と不釣り合いに感じる。

――― 大柄な男のくせに・・・はにかんだ笑顔が、妙に可笑おかしい。


「勝は、長らく外出しております。暫くは戻らないかと」

「行先は、わかりません」


 娘は武家の娘らしくきっぱりと答える。


「・・・・・・」

「ほうかあ」と大柄な男はあごをさすりながら、一寸、困った顔をする。

「ほな、また来るきに・・・」とニコリとする。


 そこに前方から息を切らせ、向かって来る中年の侍が一人。


 その侍に続いて、後方を気にしながら早足で駆けてくる若侍。


「・・・!?」


 後ろから駆けて来た若侍が、娘の横に居る大柄な男に気付いた。


「勝先生。止まるんじゃ」


 後ろから駆けてくる若侍が、前を歩いていた”勝海舟”に向かって止まる様に叫ぶ。

 そして、若侍は立ち止まった”勝海舟”を一気に追い抜き、大柄な男の前に立ちふさがる。

 そして、腰の刀に手を掛け、低く構えると大柄な男をにらんだ。


「以蔵っ!」

 

 駆けて来た若侍は、目の前の大柄な男に向かって叫ぶ。


――― 龍馬っか?


「・・・・・・」


 土佐勤王党であり尊王攘夷の志士、“人斬り以蔵”の名は、既にこの江戸でも知れ渡っている。以蔵は、任された仕事は確実にこなす。その事は昔から体験している龍馬である。

 二人の間に緊張が走る。


「斬りに来たかっ」


 二人は、刀のつかに手をかける。


「おまん、なんでここにおる?」

「勝先生を斬りにきたがか?」


 二人は、かなり昔に決別したきり、お互いの事情も知らず疎遠になっていた。

 互いに真意を探る様に、刀の柄を握ったまま、前に重心を移す。


「・・・・・・」


 そこへ勝海舟と龍馬の二人を追ってか、笠を深くかぶった侍達が現れた。

 

 龍馬は、勝海舟を背に守りながら壁際に押しやる。

 

 右に以蔵、左に笠をかぶった侍達。


――― いかんちや・・・


 後を追って来た笠をかぶる侍が、刀を抜き、勝海舟を襲おうと迫る。

 

 次の瞬間、以蔵が大きく跳躍したかと思うと、勝海舟を襲おうとする侍に向かって刀を振り下ろした。

 

 振り下ろした刀の切っ先は、侍の深くかぶった笠をバッサリと切り裂く。

 突然の事に驚いた侍達の動きが止まる。

 

 以蔵は、低い姿勢から切っ先を侍に向け、突き出した。

 

 切っ先は、首をかすめ笠を貫いた・・・。

 驚いた侍達は、慌ててその場を逃げ去った。


「・・・・・・」

「庭先を汚しちゃあ、いかんけの」


 以蔵が刀を鞘に納めると振り向き、口を開く。


「儂は、長州の高杉晋作に勝先生の護衛する様に頼まれたがじゃ」


「・・・・・・」


 逃げ去る侍達を見ながら、龍馬が以蔵に近づく。

 二人の緊張は一気に解け、子供の頃に戻った様に腕を合わせた。


「これは、どういう訳じゃ!」

「はははっ」

「久しぶりに長い話になりそうじゃ」


 右手で茶碗を持つしぐさをし、高らかに笑いあった。


「勝先生。こいつは、“岡田以蔵” 儂の小まい頃からの知り合いですき」


――― 岡田以蔵?・・・!! ”土佐の人斬り以蔵”か・・・


 勝海舟は、紹介されたこの少年の様に笑う男の姿を、目を見開き、無言で見返した。 

 門の前で一部始終を見ていた娘が小さく飛び跳ねたかと思うと、慌てて屋敷の中に駆け込んで行った。


◇◆◇◆裏切り者

 幕府軍艦奉行・勝海舟は、十四代将軍 徳川家茂公の上洛に先駆け、幕府の軍艦で大阪に入港し、今、京に居た。

 勝海舟は、京都守護職・松平容保公と久々に面会し、時を同じくして、薩摩、長州の有力な指導者、京都近隣の徳川譜代の藩主たちと今後の国の方針について会合を開く様、申し出ていた。

 

 京都の寺町通り。古い寺院が建ち並ぶ。昼間は参拝客も多く行き交う人で賑わう通りだが、夜中の寺町通りは、人気も無く静かで不気味ささえ感じる。

 時折、腹を空かせた野犬の遠吠えが響き渡る。

 そんな静かな通りに提灯をかざし、歩いて来る一行がある。

 先導し提灯を持つのは町人風の男。

 その後ろに中肉中背の羽織、袴姿で正装した侍。

 その後ろに少し間をあけ、侍らしい男が続く。

 

 突然、羽織袴の男、“勝海舟”が大きな声で怒鳴る。


「頭が固えんだよ!」

「どいつもこいつも!」

「町人のおめえさんの方がよっぽど国の事を考えてるぜ」


 先導していた提灯を持つ男は、“また始まったか”とう態度で、毒舌を吐く勝海舟をなだめる。


「勝先生。そんな事は言わずに辛抱強くいきましょう」


 朝から京都の二条城に登城し、昼食もろくに食べず、今まで幕府の重役達との会議、会議で不機嫌な態度である。

 明日の朝も早くから雄藩の藩主達の所へ訪れる予定である。


「くそっ・・・」地面を腹立たしさのあまり、蹴散らす。


 暫く話しながら歩く一行の前に、突然、物陰から待ち伏せした四人の侍が現れた。

 四人の侍の一人が、低い声で尋ねる。


「軍艦奉行・勝海舟殿か?」


 侍は威嚇する態度で問いかける。

 しかも尋ねなくても素性すじょうを知っていい様な素振りで尋ねる。


「この国を異国に売ろうとする干物かんぶつ!」

「 天に代わって成敗いたす」

 

 侍達は、言い終わらないうちに、既に刀の柄に手をかけ刀を抜こうと構える。


「・・・」

「おめえさんたち。長州かい?」

「いやだね~」「いやだ」「いやだ」


 勝海舟の思わぬ返答にギョッとする侍たち。

 

 軍艦奉行を務める勝海舟が襲われるのは、これが初めてではない。

 海舟自身、開国論を唱え、自分の信念を通す為に幕府の重臣や藩主たちと言い争いになることもしばしば、国の干物かんぶつとみなす血気にはやった尊王攘夷派からも命を狙われている立場である。

 襲って来た相手に対して慣れた態度で余裕を見せ、時間を稼ぐ。

 まずは得意の話術で相手の士気を下げ、退散させ様と試みる。

 

 先導していた提灯を持つ男は剣術の心得がないのか、相手を刺激しない様に勝の後方に下がる。

 

 幼少の頃より剣術を学び、直心影流・免許皆伝を得た腕前だが、国事に奔走している昨今は、剣術の稽古もしておらず、剣術の腕はかなり鈍っている。

 ましてや自分を斬る気十分の相手が四人、どれだけ応戦できるのか。

 

 侍の一人が、勝海舟の話を遮る様に刀を抜き正面中段に構えた。

 侍の後ろにいた、数人の侍達も刀を抜く。

 剣の構えから、かなりの手練れと察した勝海舟も腰に差す刀の柄に手をかけ回避の行動をとる。

 

 侍は刀を振り上げ勝海舟の肩口から袈裟掛けに狙いを定めた。

 侍と勝海舟の間合いでは、まだ剣先が届かない位置。

 侍が間合いを詰めようと一歩前に出た。


「天誅!」一人の侍が問答無用に斬りかかる。


 瞬間。

 勝海舟の後ろにいた人影が素早く動く。


 人影は勝海舟の横をすり抜けると襲って来た侍の間合いを瞬時に詰める。


「あっ」と思った瞬間。


「カキーンッ」


 振り下ろされた刀が頭上に弾かれ、闇夜に刀と刀が交差した火花が散る。

 

 前に出た人影、その偉丈夫な男は、勝海舟をかばう様に前に立ちはだかる。

 そして、返す刀で目の前の侍を、ためらいも無く袈裟がけに斬り倒した。


「ぐわっ」


 侍は、短い悲鳴を上げ、二歩後ろによろめきながら仰向けに倒れた。

 倒れた侍は、全く動かない。


「この、弱虫どもが! 何をするか!」


 雷鳴の様な雄叫びが、目の前に立つ偉丈夫な男から発せられる。

 

 侍達は、一斉に困惑して言葉を失う。


「きっ貴様!」


 もう一人の侍が対峙する偉丈夫な男に叫ぶ。


「きさまっ! 岡田以蔵っ!」

「土佐の人斬り以蔵か!」

「・・・」


 以蔵は、無言で刀を顔の高さまで持ち上げ、構えると前に進み出る。

 一閃。もう一人の侍に振り下ろした。

 またも短い悲鳴と共に、その侍も地面に崩れ落ちた。


「・・・・・・」


 残りの侍達は後ずさりする。

 後ろの侍は自分の足にもつれ、つまずき尻もちをついた。


「うっおっ」声にならない。

 

 あまりの無常な剣に恐れをなしたか、残った二人は殺気を失い逃げ去っていった。


「・・・・・・」


 以蔵は、斬り倒した侍の着物の袖で刀に付いた血を拭う。

 そして刀を鞘に納めた。

 

 そして勝海舟の方に振り向き、ゆっくり戻って来た。

 

 闇夜の月を背にした以蔵の顔は、影になり見えないが、月に照らされ浮き上がった偉丈夫な輪郭は一層大きく映え、勝海舟の背中をゾックと震わせた。


「勝先生」

「危なかったぜよ」


 何もなかった様にいつもと変わらぬ口調で岡田以蔵は、首筋をさすりながら話しかけてきた。

 

 三人は、身なりを整え直すと又、無言で歩き始めた。

 

 何か気まずい空気に、思いを巡らせていた、勝海舟が後ろを歩いていた以蔵に言う。


「以蔵君よ」

「君は人を斬る事をたしなんではだめだ」

「今後、この様な振舞いは、やめたほうがいい」

「・・・・・・」


 少し沈黙が続いたが、以蔵が返答する


「勝先生! あんとき儂が斬らんかったら、今ごろ先生の首が飛んじょったぜよ」

「・・・・・・」

「儂あ、勝先生の警護やき、先生に刃を向けるヤツは、容赦なく斬るぜよ」


 その冷たい言葉に鳥肌が立つ。


「・・・」

「んんん・・・」


 勝海舟は、一本取られた思いで大きくうなり声をもらした。


「儂は、勝先生を護ると約束したけに」


 以蔵の屈託のない真っ直ぐな言葉は、勝海舟にとって複雑な気持ちであった。


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