第4章 碧血丹心

第28話 風雲児 再び

 石部宿の襲撃事件から一ヶ月。岡田以蔵は土佐勤王党の血判状から名を消され、京の町からも姿を消した。

 以蔵を幼い頃より慕う佐々木鉄蔵は、石部宿での失態の責任を取らされた以蔵の処分に不満を持っていた。以蔵が姿を消す前日、ひょいと現れた以蔵に鉄蔵が今回の処分について、あれこれと愚痴をこぼした。

 以蔵は、鉄蔵の肩を叩きながらいつもの様に軽口かるぐちで言う。


「鉄蔵。儂あ暫く旅をしてくるき」

「それまで、武市さんを頼むぜよ」

「儂あ、すぐ戻って来るきに」

 

 一緒に旅するとごねる鉄蔵をなだめ、以蔵は姿を消した。

 同じく土佐藩を脱藩し、今は薩摩藩邸に庇護ひごされている旧友の那須慎吾も、武市半平太に以蔵の除名処分の取り消しを何度も願い出たが、武市半平太は聞き入れてはくれなかった。

 慎吾と鉄蔵の二人が、不機嫌な様子で土佐藩邸から出ようとしたところ、前から土佐藩士を連れた田中新兵衛が歩いて来る。


「ちっ!」

「武市先生と義兄弟の契りを交わしとはいえ、土佐藩邸を我が物顔で歩きよって!」


 お互い道を譲る気は無く、歩みを止めず進む。

 

 田中新兵衛が、口をとがらせ、下から慎吾と鉄蔵をにらむ。

 お互いぶつかる寸前で止まった。

 

 慎吾は、新兵衛に比べ頭一つ高い大男。並ぶ鉄蔵も慎吾に比べれば若干低いが、骨格のしっかりした長身である。

 対する新兵衛はさほど背は高くないが、着物の襟元から見える筋骨が起伏し、鍛錬の様子が想像できる。


「なんじゃい!」


 慎吾が低い声で言う。

 新兵衛は、何も言わず下からにらみ返す。


「・・・・・・」


 一度、新兵衛に斬られかけ、失態をさらした鉄蔵に怒りが込み上げる。

 新兵衛が、つかに手をかけ、刀を抜こうと身構える。

 が、すかさず慎吾が腰のさやを突き出し、新兵衛のつかを押さえつける。

 さすがに慎吾から押さえつけられた刀は、こうにけない。


「おまんらっ! 何しちゅうがかっ!」


 門番に立つ侍たちが、その場の異変に気付き三人を怒鳴どなる。


 三人は無言のまま下がった。


「鉄っ! 行くぞっ!」


 慎吾は鉄蔵に声をかけ、”ちっ!”と吐き捨ててその場を去って行った。


◇◆◇◆長州の風雲児

 土佐勤王党を除名され、京都から姿を消した以蔵は、単身、江戸に向かっていた。

 町の人々が忙しく行き交う、年暮れである。

 剣術修行に明け暮れた江戸。ここで自分の人生が変わった・・・


――― 春蔵先生は元気にしちょるかのう・・・


 しかし、腰に差す半平太からゆずり受けた、この大業物おおわざものの刀を想うと、事の重大さが身に染みる。

 

 東海道・横浜宿。相変わらずこの町ははなやかで活気がある。

 日も暮れかかった頃、以蔵は収二郎にもらった路銀ろぎんを数え、横浜宿の安い宿を探していた。町外れの寺にでも頼み込んで泊まればいいのだが、このはなやかな横浜宿では、酒の一杯でも飲みたい気分である。

 今晩は何処の飯屋で一杯やろうかと軒先のきさきを歩いていると、前から羽振はぶりりの良さそうな五人の侍たちが、酒徳利を片手に千鳥足ちどりあしで歩いて来る。

 真ん中の人物は、三味線しゃみせんを片手に派手な格好で上機嫌の様子。

 以蔵はすれ違う五人を無視して通りすぎ様とする。


「岡田君じゃないか!」


 陽気な声で以蔵を呼び止める。


「ボクだよ、ボク」

「長州の高杉晋作だよ」


――― あっ


 以蔵は思い出した。以前、剣を交えた時の刺々しさはなく、りんとした風もない。


 ――― こいつ、遊人あそびにんにしか見えない。


 高杉は酔いどれ口調で続ける。


「この岡田君は、めっぽう強いよ。君たちが一斉にかかってもかなわんよ」

「なにせ・・・ボクらの大使館襲撃を邪魔した男だ・・・」


 周りの男達の視線が一斉に以蔵に向けられ、身構える様にササっと動く。

 目の輝きからすると高杉の言葉を信じ、敵意より好意のまなざしの様である。


「岡田君。君はどうしてこんな所にいるのだ~」

「おまんこそ、こんなところでどうして・・・」


「ボクはね・・・」

「ボクを邪魔者扱いした、長州藩を見限ってだね~」

「この国を護る為にだね~」


 切れ長の目で、ギロリッと以蔵を見。低い声でささやいた。


革命クーデターを起こそうと思てる」


 思わぬ高杉の答えに以蔵は驚いた。


――― こっ、こいつは。いつも突拍子とっぴょうしも無い事を・・・


 以蔵は造り笑いで返す。 


「ほう、そうか・・・」

「実は儂ものう、武市さんから邪魔者にされて、京を出てきたところじゃ」


 二人は、お互いの真意しんいを探る様に顔を見合わせた。


「・・・・・・」


 以蔵を探る、高杉晋作の口元が微かに上がりる。

 切れ長の目が大きく開き瞳が輝いた。


「ははは・・・」「ははは・・・」


 二人は同調どうちょうした様に笑う。


「よし! 以蔵君! 今から日本国の為に語ろう!」

「さあっ君も行こう!」


 以蔵は、この陽気に語る高杉晋作の何とも言えぬ言葉を聞き、自分にまとわりついていた何かが、スッと消えた様な気がした。

 そして別の何かが腹から込み上げてきて、大笑いした。

 晋作もつられる様に大笑いする。

 

 以蔵を加えた男達は、横浜の繁華街に消えていった。


 ◆

 高杉晋作は、宣言どおり酒を一口飲んでは、饒舌じょうぜつに語る。


「以蔵君、ボクは異人たちを日本から追い出すよ」

「まずは最初に横浜の異人館に火を付け焼き討ちにする予定だ」


「君も一緒に来てくれると心強い」

「一緒にやろうじゃないかっ」


「・・・ふっ」

「おまんっ! 本当に面白いおとこじゃのう~」


 と、以蔵も杯を重ねる。

 

 などと話していると店の外で何やら騒ぎが起こった。

 外を見ると、異人の水兵すいへい数名が町人ともめている。


「以蔵君、あれだよ。あれっ」


 晋作は、あごをしゃくって、外の様子を指した。


「幕府が異人に有利な条件で、国の条約を勝手に結んだせいで、こちらは異人に手が出せない」

「ボクは、我慢がまんならんのだ!」


 と、手に持つ杯を机にたたきつける。

 

 高杉晋作は、手元に置いてあった刀をつかむと、刀を抜こうとする。

 酒のせいか? 高杉晋作の饒舌じょうぜつな言葉のせいか?

 血がさわぐ、血流が早くなる。

 以蔵はこの衝動しょうどうが抑えきれなくなった。


「儂がってくるきに」


 言うが早いか、以蔵は、手拭てぬぐいで顔を隠すと脱兎だっとのごとく走っていった。


「・・・」

「たっ、高杉さん!」


 一緒に飲んでいた侍達が驚いた様で高杉晋作に問いかける。

 

 酒店から遠目で以蔵の様子を見ていた、高杉晋作らは以蔵の行動に驚いた。

 異人の水兵数名と町人の口論の間に以蔵が割って入ったと思うと、次の瞬間、以蔵が屈強な水兵を投げ飛ばした。

 そして、また一人、水兵が地面にうずくまる。

 水兵がじゅうを向けようとする。

 以蔵が脇差を鞘ごと抜くと水兵のじゅうを叩き落とす。

 また一人、水兵が倒れこむ。


「なんじゃあ、あいつは・・・」

 

 あまりの信じられない光景に高杉晋作らは、歓喜かんきの声を上げ、飛び上がった。

 だが、倒された屈強な水兵は立ち上がり、以蔵につかみかかると、以蔵を囲みなぐり始めた。


「くそっ」


 高杉晋作ら侍たちも慌てて、以蔵を助けに向かう。

 

 酒店を出た瞬間、以蔵が水兵を振り払いなぐりかかる。

 水兵は、次々と倒れていき、最後に立っていた以蔵もふらついて倒れた。


「・・・・・・」


 高杉達は以蔵をかかえると、そそくさと路地裏に消えていった。


 ◆

 鼻先から、なんとも言えない花の様な甘い果物の様な香りがする。

 以蔵が起き上がろうと体を起こそうとした。


――― 痛っ! くううう、体中が痛い」


 片目を開ける。手にやわらかい感触。腹の横あたりに丸くて黒く重いものが・・・

 丸くて黒いものが、ごそごそ動いた。

 そして、大きな瞳が、こちらを見た。


「ダーリン、気がつきましたか!」


 大きな瞳がこちらに近づいてきた。


――― 娘?


 コロコロとした利発な声、ちょっと甘えている様な、心配している様子が混ざっている。

 その娘は、ちょっとほほを赤らめ、以蔵の顔に自分の顔を近づけてきた。

 以蔵は驚き、慌てて上半身を起こした。

 痛っ。全身に痛みが走る。

 

 その娘は、色白な顔に長い黒髪、黒目が大きく、整った顔立ち、一瞬で美人とわかる様相である。


「お前っ誰だ!」


 上半身をのけぞらせながら質問した。


「ダーリン。覚えてないですか?」


 娘の目が、逆に驚いた様に見開いた。


「ダーリン? 何だそれ」

「・・・」


 娘は、もじもじしながら答える。


「ダーリンは、旦那様のことです」


 ――― はっ、何っ?


「昨日の夜は・・・あんなことがあったのに・・・」

「まさかっ覚えてない・・・」


 大きな瞳が、さらに大きくなる。


「あんなにすごいこと・・・」


 以蔵はあわてた! そして頭をフル回転し、思い出そうとした。


――― 町で偶然、高杉晋作と会って・・・

――― 高杉晋作たちと酒をたらふく飲んで・・・

――― 水兵となぐり合って・・・

――― 泣いている、娘がいて・・・

――― んんん、覚えてない・・・


 突然、部屋の障子が勢いよく開けられ、高杉晋作が部屋に入って来る。


「おお、目が覚めたか。以蔵君」


 ニヤニヤしながら、高杉晋作がもつれる男女を見下ろす。

 ニヤニヤが止まらない高杉晋作が話を続ける。


「ここは、ボクたちの常宿だから気がねなく使ってくれてけっこう」

長州ボクらは、君を歓迎かんげいするよ」


「高杉よ。昨日のこと、あまり覚えてないんじゃが・・・」


 以蔵は恐る恐る、高杉晋作にたずねる。


「それに、さっきから腕にくっ付いてる、この娘は・・・」


「あっはっはは・・」

「君は、実に面白おもしろい! 面白いよ!」

「以蔵君。人生楽しいね」

「ははは・・」


 ◆

 これから暫くの間、高杉晋作とこの娘との奇妙な生活が始まった。

 この妙になれなれしい娘は、“お由美ゆみ”という。

 この横浜宿の商家しょうかの娘。家が異人相手に商売をしているらしく外国の知識に詳しく、ハキハキした物言いは、さすが商家の娘といったところ。

 以蔵が気を失って、高杉晋作らにこの宿に運ばれた夜。

 自分が原因だと言っては、頑固がんこ看病かんびょうを譲らなかった。

 意識が戻ってからは、毎晩の様に、手には珍しい美酒と肴と用意し、この高杉晋作が用意した常宿に通って来る。

 最初は、この娘の出入りを用心していた高杉晋作だが、以蔵に対して献身的な態度にあっさり断念した。この天然娘にかかれば、さすがの高杉晋作も、周囲から見れば兄妹の様な振舞いになってしまう。

 

 ◆誓い

 以蔵の傷も癒えた、ある晩。

 お由美が持ってきた酒で、高杉晋作と岡田以蔵は杯を交わしてした。


「以蔵君。実は君に頼みたい事がある」


「君は・・・京都で“人斬り以蔵”と呼ばれているだろ」


 一瞬、口元に運ぼうとしていた以蔵の杯が止まる。

 

 高杉晋作が珍しく、神妙な口調で話す。


「ボクの昔の師に“勝海舟”という人がいるのだが・・・」

「幕府軍艦奉行・勝海舟先生の警護を君に受けてもらいたい」

「・・・・・・」

「勝先生は、この国にとって大事な御人」

「今や尊王攘夷の志士達からも命を狙われる立場」

「尊王攘夷の志士の代名詞である君、“人斬り以蔵”が、幕府の重要人物である勝海舟を護衛する」

「・・・これは、奇策だ」

「・・・・・・」

「すまない・・・」

「君にとって、尊王攘夷志士たちを裏切る事になるだろう」


「しかし、君しかできない・・・」

「君にしかできないんだ」


 高杉晋作は、杯を置くと以蔵に向かって深々と頭を下げた。


 以蔵と行動を共にているうちに高杉晋作は、以蔵の人品を見抜き、信頼たる人物として勝海舟のもとに送る奇策を思いついた。


――― あの高杉晋作が

――― 武市さん・・・


「はっはっはは・・・」以蔵が大笑いした。

「高杉っ。面白い奇策や」

「儂あ、おまんの奇策に乗るぜよ」


 頭を上げた、高杉晋作の目は大きく見開かれ、以蔵に迫る。

 あまりのあっさりした以蔵の返答に、提案した本人が驚く。


「以蔵君。・・・ありがとう」


 以蔵が、床に置かれた二つの杯に酒を注いだ。

 杯をつかみ、高杉晋作の前に掲げた。

 高杉晋作も杯をつかみ、以蔵の前に掲げた。


「・・・・・・」


 二人は、何も言わず、一気に酒を飲みほした。


 ◆別れ

 数日後、以蔵は世話になった、お由美に別れを告げた。

 お由美は、小さな手でポカポカと以蔵をなぐった。

 江戸へ出立の日。お由美は見送りの姿を現さなかった。

 だが、絹で仕立てられた、上等な手拭てぬぐいが以蔵のもとに届けられた。

 手拭てぬぐいにき込められた、花の様な甘い果物の香りが、その手拭いから微かに香った。

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