第27話 狂う歯車
多忙な武市半平太が、久しぶりに京の土佐藩邸に戻った事を聞きつけた岡田以蔵は、その夜、半平太の好物の饅頭を持って半平太の元に訪れた。
すると薄明るい半平太の部屋から一人の男が出て来た。
細身ではあるが、ピンと背筋とおり盛り上がった首筋や肩をみれば、着物の下にはかなり鍛えられた筋肉が想像できる。
以蔵とその男がすれ違う時、その男が以蔵を
以蔵は直感的にその男に
「武市さん、入るぜよ」
障子を開け、以蔵が半平太の部屋に入ると、半平太は無言のまま以蔵のほうをゆっくりと見た。
「武市さん、今の男は?」
「・・・」
半平太が無表情な顔で答える。
「薩摩の田中新兵衛じゃ」
「おまんも名前は聞いた事あろう」
少し考えて、以蔵が答える。
「寺田屋や薩摩藩邸で暴れて、姿を消したヤツか?」
「ああ。そうじゃ」
「上役の藩士を斬って、
「儂はヤツとは親交があってな・・・」
「暫く、
「・・・」
「
以蔵が眉間にしわを寄せ半平太に言う。
「しかし、剣の腕は確かじゃ」
「・・・・・・」
半平太は自分が一度口にした約束は
その性格を解っている以蔵は、半ばあきらめた。
「以蔵。おまん、儂しと出会って良かったと思うか?」
突然の真面目な問いに、以蔵も返答に困る。
「・・・・・・」
以蔵は暫く考え、ふと頭の中で答えがまとまったのか、力強く答えた。
「武市さん・・・」
「儂は、武市さんに翼をもろうた心地ぜよ」
以蔵は膝元に置いていた、刀を握ると顔の前に掲げた。
「これじゃ」
「・・・」
その時、障子の外から半平太の片腕である平井収二郎の声がした。
「武市先生。入るぜよ」
中に入って来た収二郎は、以蔵を見て一瞬驚いたが、平常に戻る。
「以蔵、来てたんか?」
「ああ、収二郎さんも忙しそうじゃのう」
「以蔵は、相変わらずじゃのう」
と言いながら眉毛を下げる収二郎。
「それじゃ、儂ゃあ帰るけえ。二人でこれ食べてつかあさい」
以蔵は、手土産の饅頭を渡すと、そそくさと出ていった。
「・・・・・・」
「やっぱり、以蔵も加えるんか?」
以蔵の遠くに去っていく背を見ながら、収二郎が半平太に問いかけた。
「ああ!。そろそろ儂らも“けじめえ”つけにゃならん時じゃ」
◇◆◇◆石部宿の襲撃
数日後、平井収二郎からの指定の場所に集まる様に伝言があった。
以蔵は、収二郎から指定された場所に向かう。
裏通りにある土佐勤王党の志士らが集まる常宿に着いた以蔵は、奥座敷に案内された。
平井収二郎を中心に京にいる土佐郷士たちが集まっている。
島村衛吉、広瀬、小畑兄弟、豪次郎に菊次郎、鉄蔵、いずれも腕に自信のある郷士たち。他に長州藩士が数名座っている。
そして、部屋の隅に、先日すれ違った薩摩藩士・田中新兵衛。
――― この光景は・・・
――― 以蔵はあの時、慎吾たちの緊張した面々を思い出す。
収二郎が、集まった
「今回は、
「先の安政大獄で罪なき者を陥れた幕府の
「京都町奉行所・同心たちに、天誅をくだす」
数名から驚きの声が小さく揚がる。
事前に用意していた京都町奉行同心たちの名を連ねた紙を広げ、一人一人の罪状を読み上げる。
町奉行同心によって、罪の有無に関わらず幕府に意見した数多くの者が捕縛され、投獄され処刑された。
天誅と猛る諸藩の志士たちであったが、さすがに町奉行同心という幕府の威光を持つ者たち、たやすくは争えない。
失敗すれば、幕府と藩の間で抗争に発展する可能性があるからである。
剣術の腕も並みの力量ではない、今まで対処してきた相手とは格が違う。
「皆っよく聞いてくれ」
「今回は、暗殺ではい」
「石部宿に宿泊する同心たちの宿に押し入り、堂々“天誅”をかかげ襲撃する」
「・・・・・・」
「尊王攘夷志士による、幕府に対する正面きっての闘いじゃ」
「この“天誅”をもって、幕府に戦を挑む」
「覚悟は良いかっ!」
集まった志士たちは、その言葉を待っていたかの様に気勢を上げる。
そして一斉に手に持つ刀を床に打ち鳴らした。
◆
数日後、以蔵たちは京を立ち、東海道を東へ石部宿へと向かった。
総勢、二十六名。収二郎の計画で四組に分かれて、同時刻に一斉襲撃の段取り説明する。
以蔵は主力の組に組み込まれた。すなわち
そして、同じ組には、指揮を務める島村衛吉、以蔵の弟分の鉄蔵、他数名。そして気のおけない薩摩の田中新兵衛が同行する。
以蔵らは、同心たちが宿泊している宿屋に、人目を避けながら到着した。
後ろを歩いていた田中新兵衛が声枯れた薩摩の
「岡田さあ・・・」
「おまんさあ・・・かなりの剣の使い手ち、武市先生から聞いとりますが」
「人は
田中新兵衛がまるでこの状況を楽しむ様に軽口で以蔵に話しかける。
「
「武市先生に拾ってもらった身じゃ」
「岡田さあらの出番は有りもはん」
新兵衛の揺るがない自信の口調に以蔵は返答に困惑する。
◆
平井収二郎の事前調査に抜かりは無い。
人目につかない様に表と裏に二人待機。逃げ出した者を斬る手はずである。
以蔵たちは、同士討ちを防ぐ為、白い
裏戸から実行部隊である、以蔵、衛吉、鉄蔵、そして田中新兵衛が侵入する。
「誰だ!」
外の様子に気が付いた一人が叫ぶ。
以蔵たちは、勢いよく障子を開け、部屋の中の者と対峙する。
腰に十手を差した同心が三人。中年の男が一人。女一人。
「貴様ら何者!」
既に三人の同心は、刀の
「我ら京都町奉行同心と知っての襲撃か?」
同心は、以蔵たちの素性を素早く判断し叫ぶ。
「貴様らっ!」
「世間を騒がす”人斬り”どもか?」
同心たちは仕事柄、危険を肌で感じたのか、十手を構えず、刀を抜く。
お互いの思惑がその場を硬直させる。
田中新兵衛が、無造作に前に進み出る。
無言のまま刀を抜くと刃を右肩口に運び、切っ先を天高く垂直に構えた。
「貴様っ。薩摩の示現流っ!」
京の町方同心の間で
薩摩の一太刀目は
「ちぇっ!」
短い気合の声を発したかと思うと、一番手前の同心との距離を素早く
「ひゅんっ」風を斬る。
肩口から左脇に一直線に刃を斬り下ろした。
同心の悲鳴と共に鮮血が畳に飛び散る。
「ううっ・・・」
同心の悲鳴が小さくなり途絶えた。
部屋のロウソクに照らされた新兵衛の影は、また長い一直線の影となった。
「・・・・・・」
そして何もなかったかの様に静まり返る部屋。
新兵衛の身体はゆっくり向きを変え、同心二人に視線を移した。
薄明りの中に無表情な新兵衛の顔を浮かぶ。
「・・・・・・」
二人の同心の顔が恐怖にゆがむ。
新兵衛が刀を振り下ろす。
「ちぇす!」
「ガキンッ!」
「ぐえっ」
相手が受けた刀ごと押切り、相手の肩口から斬りおろした。
振り下ろされた刀が、素早く左肩口から天高く垂直に立ったかと思うと、また振り下ろされる。
「ぐわっ」
ほぼ同時に二人の同心が、新兵衛の足元に倒れこんだ。
新兵衛の振り下ろす
斬られた相手は、一瞬、
部屋の隅に
声にならない泣き姿で、命乞いをする女。
「一人も残すな」
叱咤の声が飛ぶ。
新兵衛は、刀を高く構えると気合を込め、掛け声と共に刀を振り下ろす。
「ガキンッ!」
耳をつんざく様な、金属音が部屋に響いた。
新兵衛の振り下ろした刀と、以蔵の刀がぶつかり合ったのだ。
「きさんっ。 なんすっと!」
薄暗いロウソクのゆらめく明かりが、返り血を浴びた新兵衛の鬼の形相を照らし出す。
「おまん!」
以蔵は、新兵衛をにらみつけると、気合とも叫びともわからない声を発し、斬り合わさっていた刀を押し戻す。
容赦ない力の反動で、新兵衛は後ろによろめき、以蔵も勢い余って後ろによろめく。
新兵衛は即座に体制を整えると、再び刀を高く掲げ、足元にうずくまった女に斬りかかる。
またも女の頭上で、以蔵が下から上に払った刀が交差する。
「ガキンッ!」
新兵衛ははじき飛ばされ、後ろによろける。
刀を振り払った以蔵は、女をかばう様に女の頭上で刀を構えた格好で静止する。
以蔵の刀を持つ両手が衝撃で
以蔵は、女の襟元を”ガシッ”と
「新兵衛!」
「おまんっはああ、それでも剣士かっ!」
以蔵の叱咤する
「きさんっ! そいつを生かしてどうするんじゃ!」
声が早いか、刀を振り下ろすほうが早いか。
新兵衛は高く掲げた刀を右、左と左右に振り下ろす。
一撃目は受け止めたものの激しい打ち込みに耐える事が出来ず、受けた刀ごと押し込まれ、新兵衛の刃が
近づいた野獣の様な眼差しは、以蔵を正面からとらえ、気迫で打ち倒そうと迫る。
以蔵の生きる本能もまた、新兵衛の迫る気迫を打ち砕く様に真正面から気迫で返す。
新兵衛が叫ぶ。
「きさんも、同じじゃろ」
「薩摩下士は食うもんにも困る生活じゃ」
「やせた土地で、
「
「・・・」
「おいたち薩摩下士が生きるには、剣しかないんじゃ」
「剣で生きるしかないんじゃ」
「おいはな! 目の前の敵は斬り倒して進むんじゃ」
「おいは・・・師も
そう言うと大きく息吸い、刀を高く掲げた。
高く掲げたその太刀姿は美しく、稲妻のごとく激しい。
正面に対峙する以蔵は、左下段に構える。
まるで水が天から地へ流れ落ちるがごとく。
「・・・」
「ちぇすとっ!」
その稲妻ごとき雷鳴が以蔵に打ちかかる。
以蔵も動く。
既に以蔵も呼吸を整え大きく吸った呼吸はへその下に収めていた。
全身にめぐる血は解放されるのを待っている。
新兵衛の稲妻の様な一撃さえスローモーションの様に感じる。
新兵衛の渾身の一撃が以蔵の肩口から斬り落とされた。
「あっ」
二人の戦いを観ていた者は、以蔵の肩口から切り落とされた刃が地面まで達したと思った。
「・・・・・・」
新兵衛が振り下ろしたはずの刀が地面に転がり落ちた。
そして新兵衛が、数歩、よろける様に後ろに下がると、大の字になって倒れた。
以蔵は、ほんのちょっとだけ身体をひねった様に見えた。
以蔵の握った刀は新兵衛の首の高さで制止し動かない。
「・・・・・・」
大の字に倒れた新兵衛から悲しい笑いにも似た声が発せられる。
以蔵は、首に当てたままの刃を離し、新兵衛から離れた。
「くそ! 」
「きさん! わいの負けじゃ。」
「・・・」
あたりはまた静まり変える。
「す、
観ていた鉄蔵は、目を見開き、賛美の声が漏れる。
新兵衛が、刀を振り下ろした瞬間、間合いを詰めた以蔵は、紙一重の見切りで相手の刃をかわし、ほぼ同時に下段から新兵衛の首筋に一寸の狂い無く刃を当てたのだ。
以蔵は、大の字で倒れていた新兵衛に右手を差し出し、立ち上がらせ様とした。
新兵衛は、以蔵の手を取ろうとはしない。
二人は一瞬だけ、目を合わせたかと思うと無言で、その場を去っていった。
◆決別の日
一夜明け、以蔵は新兵衛から受けた攻撃の痛みをこらえ、半平太の部屋に訪れていた。
部屋に入ると平井収二郎と大石弥太郎が半平太の左右に座っていた。
「以蔵」
「収二郎から話を聞いたぞ」
普段は自分の感情を表に出さない冷静沈着な半平太であったが、問い質す口調に怒りが露わである。
「武市さん」
「仕方なかったんじゃ」
「罪の無い女子を斬る訳にはいかん」
必死でその時の状況を伝え、弁明する以蔵であったが、半平太が以蔵の話を無残に遮る。
「おまんを土佐勤王党から外す!」
「おまんは、用済みじゃ」
「仲間を危険にさらしたんじゃ」
「わかちゅうがか?!」
「仲間に示しがつかんじゃろ!」
半平太の怒りが最高潮に達し、以蔵を怒鳴りつける。
「・・・・・・」
暫く三人の間に沈黙が続いた。
沈黙を
「以蔵! と言うのは
「実は、おまんしかできん仕事を頼みたい」
「・・・・・・」
「実はな・・・幕府の要人を一人、護衛してもらいたい」
「・・・・・・」
「幕府軍艦奉行・勝海舟殿の警護をしてもらいたいがじゃ」
そう言うと横合いから、土佐勤王党の策士的存在で、勝海舟の元で学んだ“大石弥太郎”が話に割り込んだ。
「勝先生はな、今やこの国の先を見通せる、この国にとって大事な御人じゃ」
「攘夷志士だけやない、幕府からも御命を狙われちゅう」
半平太が話に割り込む。
「勝海舟殿は、尊王攘夷志士にとっては政的」
「儂らは表立って勝海舟殿の助力はできんがじゃ」
そう言うと、半平太が以蔵の前に身を乗り出す。
「以蔵よ。お前に勝海舟殿の御命を
半平太の目と以蔵の目が、同じ高さで衝突する。
以蔵は、半平太の瞳の輝きを探った。
「・・・・・・」
武市半平太の瞳に迷いはなかった。
「承知したぜよ」
半平太の目元が微かにほほ笑んだ様に以蔵には見えた。
「これは、餞別じゃ」
そう言うと半平太の側らに置いてあった、刀を以蔵の前に差し出した。
”肥前忠広”の刀。
これは、半平太が山内容堂公より褒美に賜ったと自慢していた刀。
”肥前の
以蔵は、暫く差し出された刀を見つめた。
涙が目の前の畳にポツリと落ちた。
そして決心した様に刀を取った。
収二郎が、懐から袋を取り出し以蔵に渡した。
「この金を持って行け」
以蔵は無言で袋を
以蔵は畳に落ちた涙を
――――――
「半平太よ」
「これでよかったんか?」
収二郎が静かに半平太に問う。
「ああ」
「土佐勤王党の
「・・・」
「以蔵は・・・志士でのうて・・・剣士になりよった」
そう言うと半平太は自分の下唇を噛んだ。
「・・・」
「半平太・・・」
「これから、大殿・・・山内容堂公と会うんじゃろ」
「気をつけや」
「東洋暗殺以来、容堂公は土佐勤王党を嫌ろうちょる」
半平太は、真剣に半平太の身を案じる収二郎の肩に手をやった。
「収二郎も留守を頼むぜよ」
◆
以蔵が半平太の部屋を出ると、田中新兵衛が腕組みをして壁に寄り掛かっていた。
以蔵は、何も言わず、新兵衛の横を通り過ぎる。
「おい。岡田!」
「おまんさあとの勝負は、当分お預けの様じゃの」
何やら含んだ言い方である。
以蔵は、通り過ぎるかと思ったが、足を止めた。
「武市さんを頼む」
そう言うと、以蔵は軽く頭を下げる。
「・・・」
「ああっ。おまんさあが
新兵衛は
「ふっ」
以蔵は、無言のまま、
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