第31話 女剣士

 江戸の町を流れる川のほとりは見渡す限りの桜色に染まり、緩やかに流れる川面には、春を楽しむ屋台船が数隻浮かぶ。遠くから囃子と笛の音が微かに聞こえ、川沿いを行き交う人々の顔にも笑顔がこぼれる。

 江戸の町で暮す人々の順応性は早い。尊王攘夷の風が吹き荒れ、全国からこの江戸に不定な侍たちや浪人が集まり、刃傷沙汰の揉事が後を絶たない。決して治安の良い町とは言えたものではなかった。

 しかし、江戸の町の人々は季節を楽しみ、食や娯楽を楽しむ。

 ここ“恵比寿屋”も“江戸の食事処番付け”に毎回、名を連ねる人気の店である。

 一階は、大衆向けに江戸の人々の舌をうならす美味い食べ物を出す。二階は、個室造りの料亭である。この店から眺める、四季折々に移り変わる景色も、江戸に住む人々からの人気が高い。


「ふうー」


 そんな人気の景色が見渡せる壁ぎわの席に頬杖をつきながら、遠くをぼんやり眺め、深く溜息をつく一人の若侍。

 後ろに束ねられた長い黒髪に整った顔立ちに切れ長の目。藍色の着物に白い羽織をの袖口そでくちからのぞく白い肌。口元に酒を運ぶ仕草は、凛としているが、なんとも艶やかで美しい。

 ひとり手酌てじゃくで空になった杯に酒をそそぎ、一口、口に含む。

 手元に置いている朱鞘の刀を腰に差し、町を歩けば、さぞ噂になりそうなほどに目を引く美剣士であろう。

 そして、口に運んだ酒を一気に飲み干した。


「ふうー」

「・・・」


 自分が選んだ仕事とはいえ、毎日、毎日、雑多に追われ、時には血生臭い事件にも出くわす。最近の江戸の町の治安の悪さには、気が休まる暇がない。

 江戸の治安を護り、不逞な浪士たちの達の取り締まりの任に着く“新徴組しんちょうぐみ”。今後一層、取り締まりを強化する様に幕府の上層部から通達を受けたばかりである。


 今日は久々の非番ひばんの日。好きな酒を飲みながら、今人気の食事処で一人のんびり春を味わうつもりである。


 酒を飲みながら、ふと幼い頃を思い出す。

 物心ついた時から、竹刀を握り、駆けまわる元気な子であった。

 父は、江戸からさほど離れていない小さな町で剣術道場を開いている。

 稽古に厳しい父であったが、文才もあり、文武両道を極める武士のお手本の様な男であった。竹刀を握り兄の後を追いかけ、父や兄の強さに憧れ、一生懸命稽古に励む毎日であった。

 そんな兄が突然、京に上洛する将軍様を御守りする為、護衛隊として京へ行くと言う。兄は江戸で募った“浪士隊”に入隊し京に向かった。

 

 戦の無い平和な世が続き、武士として戦で武功を立てる機会は失われている。

 ある時、自分の“剣術の才”を確信した頃から、強さを求め、剣士として生きたいという欲望が自分を駆り立てた。

 ”名を残す剣士”になりたいと願った。


――― 自分も兄と一緒に京に行きたい・・・剣士として生きたい。


 しかし、遠く離れた危険な京へ行かせるなど、父が許すはずがなかった。

 何度も何度も父と話した。そして、ついに父を説得し、兄の後を追い京へ向かった。

 京の町の噂は聞いていたが、長州藩や薩摩藩、土佐藩など尊王攘夷を掲げる藩士や、浪士、人斬りなど無頼ぶらいの者があふれかえり、極めて治安の悪い状態であった。

 しかし京に到着したばかりの“浪士隊”は、突然、江戸に引き返すと言う。

 江戸に引き返した隊は名を改めた。今は江戸の町を護る為に働く、“新徴組しんちょうぐみ”である。

 

 一人、外の景色を眺めるこの若侍、新徴隊の中でも誰もが、その剣術の腕前を認める女剣士。中澤琴である。

 

 ◆

 店の片隅から、元気な娘の笑い声が聞こえる。

 中澤琴は、娘の声がする方を何気に目をやる。


 非番にも関わらず新徴組という仕事上、ついつい人の素性について詮索してしまう。変な仕事癖がついてしまったと自分自身に呆れてしまう。


――― 浪人か?

――― しかし一緒にいる娘は、身形みなりが良い。武家の娘のようだが。

――― 歳の離れた仲の良い兄妹の様にも見える。


 無邪気に笑う娘と、時々照れくさそうに笑う侍の姿に自分も小さい頃から大好きな兄の手を引っ張り、一緒に祭りに行った事を思い出す。

 中澤琴は、二人を見つめつつ顎に手をやる。

 

 仲の良い兄妹に見えたのは、岡田以蔵と勝海舟の娘・サツキである。

 勝海舟から頼まれた御使いの帰り、サツキの誘いで二人は評判の店に立ち寄り休憩をとっていた。

 暫くすると二人は食事を済ませ、店から出て行った。


「・・・」

「きゃああっ!」


 二人は店から出た直後、店の外から先ほどの娘の悲鳴が聞こえる。

 中澤琴は、素早く側らの刀を掴み、店の外に飛び出した。

 

 先ほどの兄侍を囲む様に五人の侍が、恐ろしい形相で怒鳴る。

 娘が一人の侍に後手を取られ、人質として拘束されている。


「貴様! 岡田以蔵じゃな!」

「我ら勤王の志士を裏切り、幕府の犬となったかっ?」


 リーダ格の男が激しく怒鳴る。


――― 岡田・・・以蔵?


 中澤琴の脳裏に名前が浮かぶ。


――― “人斬り以蔵”と言われる土佐の岡田以蔵か?

――― 人斬りの噂はあるが、今や京都で朝廷を守護し、一大勢力を持つ土佐藩。土佐勤王党に守られている岡田以蔵。幕府の捕方とりかたもうかつに手は出せない。

――― 最近、幕府の軍艦奉行・勝海舟の元に身を寄せているとの情報があったが定かではない。


「岡田っ! 刀を置け!」

「抵抗するとこの娘の命はないぞ!」


 岡田以蔵を囲んだ侍達は以蔵の噂を恐れ、かけ引きし、容易には近づかない。

 中澤琴は、先ほど二人が見せた仲の良い笑顔に対して、侍達の卑劣な手段にいきどおりを感じ、手に持つ刀のつかに手をかけた。


「以蔵さん! 逃げて!」


 娘が気丈きじょうに叫ぶ。

 

 以蔵は、腰に差した大刀と脇差を静かに抜き取ると足元に置いた。

 

 そして、リーダ格の侍の前に、ゆっくりと歩いて行く。


「以蔵さん! 来ては駄目っ!」


 娘は、泣きながら叫ぶ。


「裏切り者がっ! 覚悟っ!」


 リーダ格の侍が右上段から袈裟掛けに刀を振り下ろした。


「駄目えええっ!」娘の悲鳴が響いた。


 以蔵は、左腕で振り下ろされた刀を振り払う。


「キインッ!」


 刀と金属が、ぶつかる甲高い音が響く。

 と同時に侍が振り下ろした刀が、弾かれ宙に舞った・・・。

 

 以蔵は、仁王立ちのまま、左腕を振り払っただけの動作で動じない。

 拳が硬く握られワナワナと震える。 


 侍全員に何が起こったか解らず、動揺が走る。

 次の瞬間。以蔵が獣の様に跳躍した。

 前に踏み出したかと思うと、侍の顔面にひじを叩き込んだ。


「ぐふっっ」


 短い声とともに侍は、吹き飛ばされよろけて転がる。


「・・・」


 刀を斬り下ろしたはずの侍が、回転し転がっていく。

 目にした侍達は、何が起こったのか把握できず茫然と立ち尽くす。

 

 機を見た以蔵。すかさず娘を捕えられた侍の間合いを詰める。

 娘をかばいながら同時に娘を捕えていた侍に突進した。

 侍は、以蔵に弾かれ人形の様に後ろに転がった。

 

 後ろの侍達は恐れで混乱したか、本能のまま刀を抜き襲ってくる。


「おっおのれ!」


 横合いから人影が動く・・・

 中澤琴が襲って来る侍と以蔵の間に立ちはだかった。


「キンッ」金属がぶつかる音。


 中澤琴が以蔵に一番近い侍の振り上げた刀を払い、返す動作で胴を払った。

 峰打ちが胴に食い込み。打ち払われた侍は悲鳴を上げ地面に倒れ込む。

 態勢を整えると、剣先を二人の侍の前に向け、中段の構えで立つ。

 

 まるで真っ白な鶴が舞い降りた様な出立ちである。


「きええいいっ」


 気合と共に、対峙する侍の刀を下から弾き飛ばし、振り上げた刀で袈裟がけに振り下ろした。


「ぐへっ」短い悲鳴と共に地面に倒れる。


 圧倒された侍は、その場から動けない。

 隙をみて、深く踏み込み、左から胴を払い抜いた。

 自分より体重がある侍を力で薙ぎ払った。


「・・・・・・」


 打ち払われた侍は、膝から崩れ落ち、地面にうつ伏せた動かなくなった。


「ふうー」


 中澤琴は、深く息を吐き、刀を腰のさやに収める。

 

 そして、ゆっくり以蔵とサツキの方を振り返った。

 サツキは以蔵にしがみついたまま。以蔵はサツキを抱きかかえたまま、片膝をついている。


「助かったぜよ」


 以蔵のはにかんだ笑顔と感謝の言葉で緊張感が一気に薄れる。


「大丈夫ですか?」

無茶むちゃをしますね」


 以蔵の武力と胆力を目の前で見せつけられ、中澤琴が呆れた様に問いかける。


「大事な御嬢さんやき」


 はぐらかす様に軽口で返答する。

 以蔵の着物の袖が赤く染まり、腕をつたって血が滴る。


「診ましょう」

「大事ないきに」


 断る以蔵の言葉を無視して、中澤琴は血が滴る腕を取り上げて袖をゆっくりまくった。

 深い傷ではないが、出血が多い。


「止血します」


 中澤琴は、手慣れた動作で懐から塗薬を取り出し、以蔵の傷口に塗ると手拭で傷口を手際良く巻くと、強く縛った。


「よしっ」


 処置が終わった事を告げる。

 以蔵がふと声をもらす。


「おまん、ええ匂いじゃのー」


 中澤琴は以蔵との距離が異常に近い事に気づき、ハッとしたのと同時に首筋から上が熱くなったのを感じた。


「腕が立つ美剣士か。こりゃたまるか~」

「・・・」

「ふっ」


 以蔵の心からの賛辞さんじ土佐訛とさなまりの変な言い回しに笑いが込み上げてきた。

 

 以蔵とサツキは中澤琴に何度も礼を言い、別れを告げた。

 暫くすると、以蔵が道にしゃがみ、娘が以蔵の背におぶさった。

 二人は、また仲の良い兄妹の様に見え、だんだん小さくなっていった。

 残った中澤琴は、山に囲まれ見えるはずのない故郷の方角を振り向いた。



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