第20話 天誅

 七月二日。武市半平太は、寺の本堂の中央で一人目を閉じ座していた。

 土佐藩藩主・山内容堂公が隠居し、今は御子息の山内豊範公が次代藩主として跡目を継いだ。新しい藩主に共し江戸への参勤交代の途中である。武市半平太が人選した土佐勤王党の志士達も参勤交代の末席に加わった。

 江戸へ向かう道中の宿泊所として借用した寺院。皆が寝静まった頃、半平太は悩む心を静める為、一人、本堂に向かった。

 

 人気の無い真夜中の寺は、時が止まった様に静まりかえり、時折、獣の鳴き声が不気味に響く。

 立てたロウソクの灯りが正面に鎮座した仏像の顔を薄っすら照らし、半平太に対して不適な笑みを浮かべる。

 

 半平太は、側らに置いていた愛刀を手繰たぐりり寄せ腰に差す。

 そして糸の様に細い呼吸をいた。


 カチンッと刀の鯉口こいくちを切る。


「ヒュン!」 


 愛刀“河内守藤原正広”を腰元から右上に放つ。

 返す刀で真上から敵を断ち割る様に振り下ろす。

 そのまま相手の喉元に刃を突きとおす。


「・・・・・・」


 態勢を整えると八相はっそうの構え。


「きえええっ!」

 

 すすっと前進すると袈裟けさに振り下ろした。

 そして、正眼せいがんの構え、目の前の仏像と対峙する。

 

 武市半平太は、悩んでいた。

 先月の四月十六日、薩摩藩の島津久光公が千人を超える兵を率いて、朝廷護衛の名目で京に入京した。

 続いて長州藩の毛利定広公も軍勢を率いて入京した。

 土佐藩を実質動かしていた、吉田東洋を倒して後、東洋の息のかかった者達は勢力を弱め、代わりに東洋と敵対していた旧臣らが藩政に返り咲いた。

 半平太率いる土佐勤王党も旧臣らに組し、一気に勢力を伸ばした。

 

 半平太は密に薩摩藩、長州藩の要人と示し合わせて、薩摩、長州、土佐の三藩で京都の守護防衛にあたる手はずを整えた。

 そして・・・三藩を中心に徳川幕府に不満を持つ大名や九州の外様大名と盟約を結び、京都を中心に大阪、大和、近江など周辺の領地を天皇領として幕府の返還へんかんを迫る策を実行する計画である。

 しかし、土佐藩に至っては旧臣たちの保守的な考えにはばまれ、まだ国策が決まらず足止め状態である。

 

――― このままでは、非常にまずい。

――― やっとの事で手を結んだ、薩摩・長州・土佐の密約が反故ほごとなってしまう。

――― このまま、我ら土佐勤王党の同志を連れ、参勤交代中の藩を離脱し、京に向かうか?

――― いや、それでは、三藩の藩主を旗頭はたがしらとする計画が台無しとなってしまう。

――― ・・・・・・

――― あの人との誓の一歩を踏み出さねばならぬ・・・


 急ぎ半平太の指示で、交渉に長けた志士を京へ送り、反幕の志を持つ公家衆へ働きかけ、土佐藩が京都守護の為に入京できる様に“天皇勅使”をの御沙汰を出してもらう様に画策中である。


―――“天皇勅使”さえ出れば・・・

―――官軍かんぐんとして大儀名分が立ち、土佐藩として堂々と入京ができる。


 結果を思うと気がはやる半平太である。


 ◆

 天の意志か? 突然の大事が武市半平太たちに起こった。

 流行り病が、江戸へ向かう土佐藩の参勤交代の行列を襲ったのだ。

 鍛えられた藩士たちも次々と病にかかり、行列は大阪で足止めされ、江戸へ向かう行列は動けない。

 時を同じくして、ついに半平太が密かに画策していた“天皇勅使”が土佐藩に下ったのだ。

 

 八月二十五日。病がえた、土佐藩の参勤交代行列一行は、薩摩藩、長州藩に遅れたが、“天皇勅使”を受け、藩士・千人が京都の護衛の為に入京を果たす。

 武市半平太 門下の郷士たちを含め、土佐勤王党の武闘派集団 二百名が入京した。

 ついに・・・念願の土佐郷士たちが、歴史の表舞台に現れる瞬間であった。

 

 ◆

 京に入京した土佐藩、土佐勤王党の党首・武市半平太は、尊王攘夷、いや王政復古を目指す。武市半平太にとって京都での日々は多忙を極めた。公卿との折衝、幕府の対応、藩内の処理、利益を求めにやって来る者の対応。

 そして先の“安政大獄”で幕府側に付いた者の排除はいじょ・・・。


◇◆◇◆天誅

 土佐藩の入京から遅れて、岡田以蔵も半平太を追う様に京の町に到着した。

 以蔵にとって京の町は初めてではなかったが、江戸剣術修行の途中に立ち寄った程度であるが、京の町は立派な寺院や建物が建ち並び、華やかな文化や活気は、江戸の町とはまた違って心が躍る。

 何と言っても今や土佐勤王党、いや武市半平太が土佐藩の藩政に参加する事で、郷士たちの生活が一変した。上士たちは、郷士たちとのめ事をけ、問題を起こさない様に気を使う。京の町では、土佐郷士が大手を振って歩けるのだ。

 

 京の空はどこまでも高く青く広がり、光がまぶしい。

 まるで目に見えなかった鎖から体が解き放たれた様に心が軽い。

 にぎやかな町、行き交う人々、着飾った娘、店に並ぶ色とりどりの品、今まで見た物がまるで違った様にも見える。


 がはははっと、天に向かって大笑いしたい気分の以蔵であった。


 ◆

 そんな以蔵が、土佐勤王党の集まる土佐藩邸に訪れた。


「以蔵さんっ!」


 背後から、なつかしさのあまり、今にも飛び掛かってきそうな、青年の声。

 近づいて来た声に以蔵が振り返る。


「おー。鉄蔵やないか!」

「暫く観んうちに大きゅうなったのう」


 鉄蔵と言われた青年は、以蔵の前に来ると深々と頭を下げ、なつかしそうに挨拶あいさつした。


「話は聞いちょったが・・・おまんも京に来ちょったがか」

「武市先生に無理言って付いて来ましたけえ」


 暫く、以蔵たちはお互いの近況報告を含め会話を交わす。


「家業の酒蔵は、継がんでええがか?」


 鉄蔵は、腰に差した刀をポンポンと叩き、胸を張って言う。


「儂は、以蔵さんや慎吾さんの様に剣でいくき」


 と言い、鼻を指でこする。

 複雑な顔で鉄蔵を見る以蔵であった。


「今の京の町は、物騒ぶっそうやき、おまんも気をつけや」


 弟の様に心配してさとす以蔵。


「以蔵さ~ん。儂はもう子供やないきに」

「・・・」

「そやっ」

「以蔵さん、今夜、武市先生の集会があるき、以蔵さんも参加するじゃろ」

「夜、むかえに行くき」


 そんな話をしながら以蔵たちは、その場を別れた。

 別れ際、はしゃぐ鉄蔵に以蔵が声をかける。


「鉄蔵。後先、考えんと突っ込んでいったらいかんぞ」


 鉄蔵が走りさりながら振り向き、手を上げる。


「儂しゃ、強いけえ」

「・・・」


―――あいつは、相変わらずじゃの


 なつかしい姿に、以蔵に笑いがこみ上てくる。


 ◆

 その夜、集会に集まった、土佐勤王党の志士たちは、百人を超えた。

 以蔵は一番後ろ端に志士たちに混ざっていた。

 

 武市半平太が、会場に姿を現すと皆がどよめくいた。

 横には半平太の片腕、平井収二郎。他に武市道場でも腕の立つ数人が半平太のそばに立つ。

 半平太が声を発すると、会場は静まり、皆、熱心に半平太の話を聞く。

 話の節が終わる度に会場がどよめき歓喜かんきする。

 確かに、半平太の実直な人柄から発せられる重く熱い思いは、集まった志士たちを高揚こうようさせる。

 何より、今まで上士に下げすまれていた郷士たち、自分たちの行動で歴史を動かせる事の喜びは、抑圧よくあつされた郷士たちにとってこのうえない原動力となる。

 武市半平太は、目の前の志士達に向かって最後に付け加える様に言った。


「吉田東洋・暗殺事件の容疑者の捜査の為、国元から下目付が来ておる」

「儂らに罪を着せ様とする奴らじゃ」


 そして、集まった党員たちを目で追い、一人一人の目の色を確かる様に見渡した。

 

 半平太は、手に持つ刀を目の前に掲げ、ゆっくりと刀身を半分ほど抜いた。


「天は、悪行のり様を見ておられる」

「その者に必ずばつを与え、ちゅうするであろう」


 げきを発すると、カチンッと何かを断ち切る様に刀を元のさやに戻した。

 

 集まった志士達から一斉に歓声の声があがる。

 

 そして、鉄蔵と数人の男が肩を震わせ、拳を握りしめると、その場から姿を消した。


――――――

 数日後の朝。土佐から暗殺の下手人捜索に来た下目付が首を絞められ、三条河原で見つかった。さらに数日後、尊王攘夷志士であった越後浪人・本間が斬殺され、三条河原に首がさらされた。

 そばには、“天誅”の文字と一緒に罪状が書かれた札が立てられていた。

 京の町は、“天誅”という暗殺の暗雲につつまれながら、急速に移り変わろうとする時の渦に巻き込まれていく。


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