第3章 京都騒乱

第19話 人斬り

 きらびやかなあかりがともる京・祇園ぎおんの歓楽街。大通りの外れに建つ老舗旅館の奥座敷。本宅をつなぐ渡り廊下を進むと良く手入れされた京都風の小さな中庭が現れ、灯篭とうろうの薄明りが庭園の趣向を一層引き立たせている。

 その男は背が高く、見るからに高価な黒の羽織はおりを身に付け、馬乗りはかまの姿で十分な貫録を漂わせる男であった。

 男は辺りを警戒すると、障子しょうじを開け部屋の中に進んだ。

 部屋の奥には、何処どこぞかの藩の重臣と思われる風格のある男。初老の侍が座っていた。

 男は挨拶を済ませ、その侍の対面に座ると、尊王攘夷志士の間で今流行りのつかの長い刀を手元に置いた。

 

 その男は、初老の侍に向かって雄弁に語り始めた。

 初老の侍は少し甲高い声で問う。


「京への上洛じょうらくは薩摩藩が一番早かったが、今や形勢は土佐藩が握る」

「先手を取った土佐藩が公家らを味方にし、確実に主導権を握っておるぞ」


 初老の侍は、てが外れた様な口ぶりで、背の高い男に言う。

 背の高い男は、すかさず初老の侍に返答する。


「ご安心くだされ」

「今、京の町で土佐藩を動かしているのは、武市半平太」

「武市率いる土佐勤王党でござる」

「私と武市半平太は密約を結ぶ仲・・・」


「実は、私が土佐藩で実権を握っていいた参政・吉田東洋を暗殺させ、京へ上洛する様に策を授けたのです」


 背の高い男は、自慢気に言う。


「おおっ!そうであったか!」

「本間殿っ! これからも頼みますぞ」


 と初老の侍は身を乗り出し、安堵した表情でうなずいた。

 

 この本間という人物、越後出身の学者で剣術も修める人物。幕府や公家、各諸藩の尊王攘夷志士達の間でも名の知られていた男である。

 暫く、二人で密談をした後、本間と名乗る男は、そそくさと老舗旅館を出た。

 旅館の別室に待たせていた、連れ二人と合流し上機嫌で京の町に消えていった。


 ◆

 よいの口、本間と連れの三人が千鳥足ちどりあしで次の酒場へ向かう。


「ちょっと用をたしてくるので、先に店に行っといてくれ」

「本間先生、最近は天誅だの何だと物騒な辻斬りが流行ってて、気を付けてくださいよ」


 本間は、上機嫌で連れの男に手を上げると、にぎわう通りから一本はずれた裏通りに入って行った。

 

 三条橋近く。流れる川辺に向かい、一人上機嫌に鼻歌を唄う。


「本間先生ですかいのう」


 背後から、若い男の声で訪ねる声がした。

 声がした方をゆっくりと振り返る。

 笑みを浮かべた愛想あいそうの良い侍が話しかけた。

 

 笑みを浮かべる男の後ろに二人の侍。


――― 土佐者か?


 緊張しているのか、後ろにいる二人の侍の顔は能面の様に固い。

 

 愛想の良い侍が、もう一度訪ねる。

 後ろの侍の一人が、刀のつかに手をかけたのが見えた。

 

 本間の酔いが一気にさめる。


「武市先生は、おっお元気ですか・・・」


 平気を装い、言葉を返す。


「本間先生・・・」

「最近、派手に立ち回っちょる様じゃのお。ある事、ない事・・・」


 愛想の良い侍の笑顔が消えた。


「ガシャン」


 言い終わらないうちに本間は肩にぶら下げていた大きな酒瓶を握り直すと、声をかけて来た侍の顔にたたきつけた。


「ぐわっ」


 酒瓶が割れ、酒が辺りに飛び散る。

 

 不意を突かれた侍たちは動揺する。


「ガシャ」


 本間は横一閃、腰の刀を抜き払つ。

 抜き払った刀が一人の侍の腕をかすめた。

 

 本間は侍と逆方向に走りだす。

 うまい奇襲であった。

 

 河沿いを走り、曲がり角にさしかかった時、手ぬぐいで顔を隠した男が一人、前方に立ちふさがる。

 

 声をかけて来た侍たちも、後から恐ろしい形相で追いついて来る。

 

――― 後ろに三人、前に一人。

 

 前の男、月夜で顔の表情は見えないが、首が異常に太く肩の筋肉が発達しているのが背にした月明かりに照らされ、くっきりとわかる。


「くそっ!」


――― 目の前の男を斬り倒す。


 本間は一瞬で判断した。

 通っていた剣術道場では、師範にも一目置かれ、剣の腕には自信があった。

 前の男は、刀をまだ抜いていない。

 本間は、足を止める事なく、自分の前に立ちふさがる男を払いのける様に、右手に持った刀を横にぎ払った。


貴様きさまっ! どけっ!」


 目の前の男は、刀をよける様にふわっと動いた様に見えた。

 

 本間は、男の横をすり抜けたが、五歩ほど進み、膝からくずれ落ち、その場でうずくまった。

 

 立ちふさがる男は、本間の勢い良くぎ払った刀をかわし、すり抜けざまに胴をいだのだ。


「ぐはっ」


 吐血とけつしながらも立ち上がり、必死で逃げようとする。

 

 追いついて来た侍の一人が、横腹に刀を突き立てた。

 躊躇ちゅうちょなく突き立った刀を引き抜き、もう一度、横腹に突き立てた。


「はっあっ」


 本間は痛みで地面にうずくまった。

 

 もう一人の侍が、とどめの一太刀を振り下ろした。


天誅てんちゅう!」


 男は絶命した。


「鉄さん。どうする?」


 追いかけて来た侍の一人が、興奮した声で声をかける。

 腕に傷を負った侍は、手ぬぐいで止血しながら、吐き捨てる。


罪状ざいじょうと一緒に首を河原かわらにさらしとけ」

「・・・」


 本間を斬った男の表情は浮かないものだった。

 目を細めて夜空を仰ぐ。

 薄っすらと光る朧月おぼろつきだけがひっそりと空に浮かぶ。

 春だというのに河原かわらに吹く夜風が冷たい。


「先生・・・」

「儂しゃあ・・・何しゅうがぜよ」

 

岡田以蔵はひとりりつぶやいた。

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