第18話 暗殺

 岡田以蔵は江戸での用事を済ませ、先に土佐の国元へと戻った武市半平太を追う様に土佐へ向かっていた。

 土佐の国へ入る関所の手前の宿場町で一晩泊まり、翌朝に入国する日程。ここは土佐藩の常宿で馴染みの宿である。

 その常宿に着くと、武市道場の同門で顔なじみの郷士が以蔵の到着を待っていた。


「おう彦太! 久しぶりじゃのう!」

「元気にしよったがか?」


 以蔵の砕けた挨拶に対し、以蔵を待っていた彦太は、かしこまった様子で返事を返す。


「武市先生から手紙を預かってきました」

「おおっ。なんじゃろう」


 さっそく、以蔵は手紙を受けとり、目を通す。

 手紙には、国元でちょっとした問題が起きた為、一週間ほど宿に滞在するようにとの内容が書かれている。

 以蔵は、首を傾げる。

 半平太からの手紙の内容に何か違和感を感じ取った。手紙を持ってきた彦太に問いただしたが、事情は知らぬとの一点張り。

 半平太に絶対的信頼を置いている以蔵であったが、この違和感を抑えきれず半平太の指示を無視し行動にでた。

 道中病気になったと偽り、彦太を自分の身代わりに常宿で療養中の長期滞在とした。

 

 以蔵は単身、すぐに国元に向かった。

 土佐の国に入る山間の関所は検閲が厳しく、顔を見られない様にする為、国境近くの知り合いの漁師に頼み海から船で土佐へ入った。以蔵にとっては、子供の頃から漁師達との交流があり、慣れた遊びの延長の様なものである。

 土佐の浜辺に着いた以蔵は、誰にも見つからない様に漁師小屋にひとまず身を隠す。暗くなるのを待って人目につかない様に半平太のもとへと向かった。

 

 ◆

 半平太の道場の入り口で人影が動いているのが見えた。


 ――― あれは?


 以蔵は人影を確認するとサッと近づく。

 人影の腕を取り、物陰に連れ込んだ。


「いっ、以蔵!」


  驚いた人影は声を上げたが、懐かしい以蔵の顔と見るや、思わず以蔵に抱きついた。


「春姉」

「・・・」


 春姉の行動に以蔵も驚く。


「バカっ」

「以蔵のバカ」


 涙目の春姉の真顔に、以蔵も真剣に事情をたずねる。


「・・・・・・」


 数日前、武市半平太の家に弟の那須慎吾が出かけた後、慎吾の様子がおかしいらしい。今日もまた、夜遅くに半平太の道場に訪れている。


「春姉、わしも武市さんの様子がおかしいと思うて、こっそり隠れて来たがじゃ」


 以蔵も春姉に事情を話した。


「儂が様子を見てくるき、春姉はもう家に戻りい」


 以蔵の笑顔に、ちょっと安心したのか春姉はコクリとうなずき、この場を去って行った。


 ◆

 以蔵は道場の前まで行き、薄っすらと光が漏れる明かりのほうへと進んだ。

 勝手知った半平太の道場である、足音を立てない様に静かに道場に上がり込む。

 そして中の様子をこっそり覗った。

 

 半平太の正面に緊張した面持ちの男が三人。半平太の横に一人。

 一人は以蔵もよく知る、那須慎吾。ほかの二人は、岡安喜助、大石団蔵。いずれも腕自慢のやつら。そして半平太の横には平井収二郎、半平太の信頼する盟友で半平太の側らで策を考え、行動する男。

 以蔵は、息をひそめて、話しに聞き耳を立てた。

 男たちは半平太と言い争う様に激しい口調となる。

 暫く会話は続いたが興奮した慎吾たち三人は、肩を活からせ息揚々と道場を出て行った。

 そして、道場に残った半平太と収二郎が何やら相談を始める。


「もし那須慎吾らが襲撃に失敗しても、儂ら二番手が十人で吉田東洋ヤツらに斬り込む」

「失敗は許されん! 必ずその場で始末をつける」


 計画を話す収二郎を半平太は手で制止し、低い声で言った。


「以蔵っ! 出てこい!」

「そこにおるのはわかっちゅうぜよ」


 以蔵は、隣の部屋からゆっくり入ってきた。

 収二郎は、以蔵の出現に驚き、黙った。


「儂の言う事が聞けんかったんか?」

「・・・」


 半平太の前に立つ以蔵。

 

 静寂を破る様に以蔵は真剣に問う。


「吉田東洋の暗殺ちゃ」

「武市さん、本当に殺るんか!」

「・・・」


 三人の間に張り詰めた重苦しい空気が覆う。


「殺る・・・」


 半平太の重い一言が張り詰めた空気を断ち切った。

 

 以蔵は目を見開き、半平太の目を見つめる。

 半平太の言葉の陰り、冴えない顔色、半平太が瞳が流れた。


「・・・」

 以蔵は、静かに口を開く。


「わかった・・・儂が殺る」

「・・・」


 以蔵は、まるで波が凪ぐ様に静かに、そして力強く半平太に答えを返した。


「・・・・・・」


 沈黙の中、誰かが答えを出すのを待つ。


 収二郎が、沈黙を破った。


「以蔵」

「半平太はな、お前に罪人になってほしくないがじゃ」

「これは・・・人の道を外れる大罪じゃ」

「・・・」


 以蔵が拳を強く握り、口を開く。


「武市さんの敵は、儂が斬る」

「そう約束したじゃろ」


 と言うと、腰の脇差をスッと抜き、半平太に喉元に切っ先を向け、半平太の目を見据えた。


「・・・・・・」


 半平太は目を閉じる。

 そしてゆっくり目を開き以蔵を見た。


「以蔵もバカじゃのお。一緒にゆくか?」

「ええぜよっ!」

 

 と半平太の目を見返した。


 三人は拳を握りしめ、お互いの手首を打ち合わせた。


◇◆◇◆暗殺

 四月八日。この日、参政・吉田東洋は恒例の講義を行う為、城に登城していた。

 登城の帰り、夕刻から降り始めた雨は、空一面を灰色に覆っていた。

 雨の為、人影はまばら、通りに並ぶ店は早々に雨戸を閉め店じまいをした。

 四月初めとはいえ、まだ降る雨は冷たい。

 

 通りの物陰に雨をしのぎながら隠れる人影。

 固まって雨をしのぐ三人の身体からは、異常な緊張と上昇した体温で蒸気が薄っすら立ち昇っていた。

 

 前方から、かすかな提灯の明かり。三人の歩く姿が浮き上がった。

 先頭に家紋の入った提灯を持つ従者が一人、中央には雨傘に高下駄、立派な羽織、袴姿の侍、斜め後ろには背の高い供侍。

 

 歩いて来る三人の前に、待ち伏せていた覆面姿の男達が現れた。

 顔を隠す為の手ぬぐいを頭にかぶり、刀を構え睨みつける。 


「何者じゃあ!」


 後ろの供侍が、前に進み出る。

 刀を抜こうと柄に手をかけ構えた。


「・・・・・・」

「儂が、参政・吉田東洋と知っての襲撃か!」


 吉田東洋の威圧する様な低い声。強者の余裕のある問いかけ。


「・・・・・・」


 覆面をした暗殺者の一人が大声で叫ぶ。


「藩を操る大罪人!」

「天に代わって、お命頂戴いたす」

「・・・・・・」

覚悟かくごせえっ」

天誅てんちゅうっ!」


 覆面の男が叫ぶと、三人の刺客の男たちは刀を振り上げ、三方に広がった。

 刺客の一人が共侍、もう一人が提灯持ちに、一人として決して逃がさないよう対峙した。

 吉田東洋の優秀さと強硬に進める藩の政策に対し、藩内でも政敵は多い。

 実際、吉田東洋が政敵とみなした者は、強引に排除してきた。

 ゆえに、恨みを買い襲われる事も日頃から覚悟している。

 

 刺客が退散する気配が無いと判断した共侍が刀を抜いて構える。


「うりゃああああ!」


 問答無用とばかりに共侍と対峙した刺客の一人が切りかかった。

 腕に自信があった共侍も三合ほど打ち合ったが、あえなく切り伏せられる。

 続いて、恐怖でその場を逃げようとする提灯持ちが背を向けたところをもう一人の刺客が切り伏せた。

 一人対三人になった状況ではあるが、吉田東洋は余裕の構え。

 吉田東洋は、優秀な学者であったが、剣術も好み神影流免許皆伝の強者である。

 足元に倒された共侍の刀を拾い上げると、片手で構えた。


「うりゃあああ!」


 一人の刺客が切りかる。

 吉田東洋は、振り下ろされた刀をかわし、すかさず胴を薙いだ。

 刺客が悲鳴をあげる。

 あまり力は入れておらず、致命傷ではないが流血し、その場に倒れこむ。

 

 間髪入れず、もう一人の刺客の腕を狙う。


「うわっ」

 

 腕から血がほとばしり、腕を斬られた刺客が悲鳴を上げる。


「殺しはせん!」

「後で首謀者を吐かせてやろう」


 最後に残った刺客の大男が鼻息荒く肩を上下させる。

 怒り露わに刀を振り回し、突っ込んでくる。

 三合ほど切り結んだ後、刺客の持っていた刀が地面に落ちた。

 

 東洋の袖口が切り裂かれ垂れている。

 刺客の大男は手傷を負った。

 吉田東洋は、刀を構えたまま近づき、片膝をついた刺客に最後の一撃加えようと上段から刀を振り下ろした。


「・・・・・・」


 その時、物陰からもう一人、手ぬぐいの男が二人の間に割り込む。

 そして一閃、横に斬り払った。

 

 東洋は、反射的に左手に持つ傘で振り払いのけると後ろに跳びさがる。

 

 バサッリッと振り払った傘が、真二つになり地面に落ちた。

 

 斬り合う間合いはまだ遠い。

 

 身の危険を感じたか、真二つになった傘を投げ捨て、履いていた下駄を脱ぎ捨てる。

 そして東洋は腰に差す愛刀”左行秀”抜き放った。


「不意打ちか!」

「汚いヤツめがっ!」


 とひと睨みし罵る。


「しかし、貴様・・・なかなかの太刀筋じゃな」

「・・・」


 刺客・岡田以蔵が、吉田東洋の前に立った。


 目の前に真剣をかざす男。

 獣の様な目で睨む男。

 

―――どれくらい、時間がたっただろうか?

―――時間の概念はすでに止まり、激しく降る雨音さえ遠くに聞こえる。

―――そして、自分の心臓が破裂するのではないかと思うほど息苦しい。

―――鼓動がやけに大きく聞こえ、身体がこわばる。

―――相手が何かしゃべっている・・・


 喉に流れ込んだ雨水をゴクリッと呑み込んだ。


――― 初めて、真剣で人を切る。


「・・・・・・」


 以蔵は、鼻から大きく息を吸い込んだ。

 吸い込んだ空気をへその下に送った。

 そして、口から全てを吐き出すようにゆっくりと息を吐いた。

 

 頭の中が徐々に鮮明になり、身体への呪縛が薄れてゆく。

 相手の輪郭が、表情が良く見えてくる。

 

 剣術修行の日々が頭の中で走馬灯の様に浮かんでは消える。


――― 儂は負けん!


 身体の呪縛が消えた。


 ◆

 以蔵は、ゆっくりと身体の重心を安定させ、刀を持ち上げ八相の構えで対峙した。

 全身に力をためる。


「せっいっやっ!!」


 激しい咆哮と共に刀と同化する体を一心に相手に叩き込む。


「ガキンッ」「ガキンッ」


 二人は、六合、七合と斬り結ぶ。打ち込み、払い追い立てる。

 以蔵が袈裟がけに斬り下げた。

 東洋はかろうじて刀を受け止めるが、力強い打ち込みで腕に衝撃が走る。

 刃先が首元に迫る。


「貴様っ!!」


 相手を威嚇するかの様に気勢を発する。

 

 神影流免許皆伝の腕前とはいえ、日に数千回打ち込みを行う以蔵との差は歴然。

 

 以蔵は、大きく深呼吸をしながら、右手で握った柄をゆっくり握り直す。


「うおっりっやあー!」


 気合と共に渾身の一撃で左袈裟がけを放った。


「キッーンー!」


 二人の刀がぶつかり合った瞬間。

 放たれた金属音とともに以蔵の刀がれ飛んだ。

 

 吉田東洋の持つ、愛刀”左行秀”の剛健さが東洋の身を守ったのだ。


「勝負あったな!」


 東洋は、勝利を確信した。

 

 以蔵が動いた。

 折れ残った刀を掲げると、東洋めがけ打ちかかる様に突進した。


「覚悟したか! 死ねー!」


 東洋が以蔵を両断する為に構え、自分の間合に詰める。

 

 以蔵が突進しながら、折れた刀を東洋めがけて投げつけた。

 

 予想していたか、東洋は、投げられた刀に対して体制を崩す事なく打ち払う。

 返す刀で以蔵に斬りかかった。

 

 二人が激突しようとした瞬間。

 東洋の身体に違和感が走った。


――― クッ! 何が起こった?


 以蔵は、東洋が投げた刀を払った瞬間、脇差を抜き放つ。

 そして腹を一閃薙いだ。

 返す刀で心の蔵に刃を突き立てた。

 その動作の素早さ、死角をついた一撃、東洋が勝利を確信したおごりか。


「・・・・・・」


 重なった二人は微動だにしない。

 

 以蔵の左手首から肘に生温かく鉄臭いもの伝った。

 

 以蔵の肩口から背中に覆いかぶさる様に相手の体が圧し掛かる。

 相手の体は、急速に冷たくなり、そしてさらに重たく以蔵に圧し掛かった。


「・・・・・・」


 以蔵に抱きかかえられる様に静かに、何の抵抗もなく膝から崩れおちていった。

 

 以蔵は、動かなくなった東洋をゆっくり横たえる。

 一瞬、目に入った地面に転がる東洋の愛刀を無意識のままに手繰たぐりり寄せると、東洋のかたわらに置いた。


「・・・・・・」

 

 背筋に張り付いた寒気が体を縛った。

 握った脇差の柄が指から離れず、小刻みに震えた。

 激しく呼吸をする口に、頬から伝う塩っぱい雨水が呼吸を遮った。

 

 以蔵は、小声で何度も何度も念仏の様な独り言を繰り返した。


「・・・・・・」


 しばらくして、慎吾の声がした。


「天誅! 天誅!」と大声で叫ぶ。


 以蔵は慎吾にかかえられ、その場から逃げた。


 ◆

 村外れの漁師小屋にムシロにくるまる様に男が横たわっていた。

 看病されているのか、枕元に水桶と額に手ぬぐいが置かれている。

 

 暫くすると隙間だらけの漁師小屋の入り口が静かに開き一人の娘が入って来た。

 娘は、横たわる男の枕元に静かに座り、額の手ぬぐいを取ると、男の額に自分の手の平を当て様子をた。

 それに気付いたのか、横たわっていた男が、静かに目を開ける。


「ここはどこじゃ?」

「・・・」

「以蔵」


 娘が優しく声をかける。


「春姉・・・」


「儂は、取返しのつかん事、やってしもうた・・・」


 両手で自分の両腕を強く握ると、口をへの字に曲げ、うつむいた。


「・・・・・・」

「私は、以蔵が無事に戻って来てくれた事がうれしいよ・・・」


 両目に涙を浮かべた娘は、うつむき手で涙をぬぐう。


「・・・」


 そして顔を上げ、うつむいている以蔵を見ると、優しく抱き寄せた。

 雨に濡れた子犬の様に弱々しい以蔵を初めて見た春姉の瞳から、また涙がこぼれた。


―――――― 

 土佐藩内は、蜂の巣をつついた様な騒ぎである。

 暗殺当日から姿を消し、消息不明となっている、那須慎吾、岡安喜助、大石団蔵の三人。

 吉田東洋を筆頭とする上士たちが、武市半平太を捕縛しようと動き出す。

 噂を聞き、駆けつけた土佐勤王党の志士たちは、既に上士たちと一戦交え闘う為、砦に集まっていた。

 しかし、騒ぎは半平太が事前に準備していた策により、呆気なく収束した。

 

 その事件以後、藩の実権を握っていた吉田東洋率いる勢力派は力を弱め、代わって旧臣派が藩の実権を取り戻す。

 武市半平太率いる郷士集団・土佐勤王党は、武闘派勢力として旧臣派の一角に位置付けられた。

 ついに武市半平太と土佐勤王党が幕末という表舞台に頭角を現し始めた。

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