第17話 決裂

 年が暮れようとしていた。

 江戸の土佐藩邸からの火急の連絡を受け、九州で剣術修行中の武市半平太が単身、江戸に戻って来た。

 徳川御三家の一つ、水戸藩内で幕府政策に反対する過激な攘夷派と幕府保守派が衝突し、ついに武力抗争に発展したのであった。既に家督を譲り隠居していた徳川斉昭公であったが、事の重大性を重く見、藩内の過激な攘夷派の取り締まりを開始し、藩の鎮静化を計った。

 この動きに呼応するかの様に各藩の動きも活発になる。

 土佐藩も他藩との外交に明るい武市半平太を江戸に呼び戻し、他藩との折衝や土佐郷士のまとめ役として、江戸留守居役に任命し他藩との対応を急がせた。

 

 ◆

 江戸の土佐藩邸下屋敷。土佐郷士らが寄宿している侍長屋。

 武市半平太のもとへ、水戸藩の情報を探っていた大石弥太郎が血相を変えて飛び込んできた。周囲をはばかりもせず、大声で武市半平太を探す。


「大石さん。どうしたんじゃ」


 事務をしていた半平太が手を止め、事情を聞く。


「たっ大変な事が起きたぜよ」

「大老・井伊直弼が水戸藩士に暗殺されたがじゃ」


 大石弥太郎の言葉に耳を疑う半平太であったが、日頃、冷静な大石弥太郎の慌てようは疑う余地も無い。


「幕府は、大老暗殺の事実をまだ公表していないが、既に情報は漏れちゅうがじゃ」

 慌てる大石弥太郎をなだめ、詳しい事情を聞く。

 

 幕府の大老を白昼堂々、御三家の水戸家の家臣がつなどあろうか。


「江戸城内では、蜂の巣をつついた様な大騒ぎだそうじゃ」


 一通り事情を説明した大石弥太郎に冷静さが戻った。

 

 先の十四代将軍の後継者争いで、幕府の計略により、藩主が蟄居となった水戸藩、同じく土佐藩も容堂公が国元に蟄居となり、家督を譲り隠居に追い込まれた。

 幕府の方針に異論を唱える藩士たちの怒りは、大老・井伊直弼の圧政により、鎮静化したかに思えたが、火種は消えずついに爆発した。それも武力行使という最も危険な方法でだ。


「武市、今じゃ! 時が成った。儂らも起つぞ」

 

 大石弥太郎が、半平太の両肩をつかみ迫る。


 ◆

 武市半平太らの動きは早い。その夜、江戸にいる信頼のおける土佐郷士たちを集めた。そして、前々から計画準備していた、土佐藩が中心となり政治を動かす事ができる “力”、その実行部隊として、“土佐勤王党”を結成する。

 既に武市半平太を慕う郷士や豪農たちは、江戸や国元を合わせて千人は超える。

 この”土佐勤王党”をもって土佐藩の幕臣と手を組めば、幕府を動かせる勢力となる。

 有力な長州藩や薩摩藩もまだ藩内での方針が決まらず動けない。

 土佐藩が率先して動けば、この国に新な風を起こすことができる。武市半平太は、早速、土佐勤王党結成に向け動きだした。

 

◇◆◇◆

 江戸の土佐藩下屋敷。門の前に旅笠を深くかぶり、道中合羽どうちゅうがっぱ羽織はおったった男が立っていた。

 よほど長旅なのか、道中合羽どちゅうがっぱは擦り切れ、旅笠は破れ、ちょうど破れた箇所から片目だけが大きく爛々と光る。大小の刀を差し、右手には竹の節くれで作った杖を握る。地に着いた両足は、大樹のごとくどっしりした立ち姿である。


「なつかしいのう~」


 江戸の雑多な光景を目にし、江戸の生活の匂いを嗅いだ男は、なつかしさのあまり大声を出す。

 土佐勤王党結成に武市半平太らが奔走ほんそうしていた頃、九州での剣術修行を終えた岡田以蔵が単身、江戸に戻ってきたのである。


「武市さんは、おるかのう~」


 門番にたずね、半平太に取り次いでもらう。

 

――― 久しぶりじゃあ、武市さん驚くかいのう


 半平太は、岡田以蔵が突然訪ねて来たと聞き、驚いて迎えに出たが、目の前に立つ以蔵の風貌ふうぼうを見て半平太は言葉を失った。

 顔全体に無精髭を生やし、擦り切れて破れた着物。

 それは、まあいいが・・・

 真っ黒に日に焼けた肌、一回り大きくなった体。

 破れた袖口から見える筋肉が隆起した腕。

 そして、剣気けんきが無い・・・。

 自然と一体化する様なすずやかな風貌ふうぼうなのだ。

 

 突然の九州からの帰還きかんで、以蔵をしかるつもりの半平太であったが、以蔵の変わり様にきびしい荒修行の姿が重なり目頭めがしらが熱く涙があふれた。

 以蔵も半平太の涙につられ、変わらぬ半平太となつかしさで自然と涙があふれる。


「以蔵。よく帰った、よく帰った」

「武市さん。今、戻ったぜよ!」


 以蔵は、きたえられた腕で拳を握ると顔の前に突き出し、屈託のない顔で笑った。


 ◆

 以蔵が江戸に戻って数日後、半平太のはからいで半平太が住む同じ侍長屋に以蔵が引っ越して来た。

 引き続き半平太の護衛役として藩から役目をもらい、江戸で暮らす事となった。

 暫く合わないうちに、半平太の周辺が慌ただしくなっていた。

 侍長屋に戻らない事もしばしば。半平太を訪ねて来る客も多い。

 

 ある夜、見知ったなつかしい郷士たちが、半平太の部屋に集まるのを見かけ、以蔵も挨拶に顔を出した。

 

 突然現れた以蔵の姿に郷士たちが殺気立つ。

 集まった郷士たちの前には、名前を連ねた紙が広げられていた。

 以蔵の姿を見て刀を抜こうとする者までいる。

 半平太が皆を止めた。


「以蔵、これは見んかった事にしてくれ」


 半平太の真剣な表情にただ事ではないと直感する。

 ちょっと間をおいて、島村衛吉が、半平太に言う。


「武市先生。なぜ以蔵を入れん」

「以蔵ほど腕が立つヤツなら戦力になる」


 半平太は沈黙する。


「・・・・・・」


 さくをめぐらす様に両腕を組み、目を閉じる。

 大きく息を吸うとゆっくり吐く。


「わかった」


「おおっ」


 思わず、以蔵と仲のいい郷士から歓喜の声がもれる。


「以蔵、よく聞いてくれ」


 半平太は以蔵に向かって、低い声で話を始める。


「これは、“土佐勤王党”結成の血判状けっぱんじょうや」


「儂ら郷士は力を合わせ、天皇様を御守りする」

「命をける忠義のあかしや」


 以蔵には、半平太が実際どんな事をやろうとするのか理解できなかったが、半平太の真剣な眼差しに、自分のできる限り手を貸そうと決心する。

 

 以蔵が半平太を見据みすえて問う。


「武市さん、見つかったんか?」


「ああ・・・儂はやるっ!」


 半平太と以蔵の二人の会話の意味が他の者には解らなかった。

 しかし、二人の間には、鳴門の渦を見ながら語った、あの時の情景が重なる。


「儂も命をけるぜよ」

 

 以蔵の返答に込められた強い決意に、集まった郷士らは背筋を伸ばした。

 そして改めて自分らの決意を再確認し拳を握った。

 

 この日、九州での剣術修行から戻った岡田以蔵が、土佐勤王党の血判状に名をつらね、末席に加わった。

 

 郷士たち間に飛び火した火種は、やがて大きな炎となり日本中を巻き込んでいく。


◇◆◇◆

 江戸で土佐勤王党を結成してからの武市半平太は更に忙しくなる。

 同時に土佐にいる郷士達や門下生をまとめ勢力を拡大する為、急ぎ土佐へ戻った。

 水戸藩士が決行した、桜田門外での大老 井伊直弼の暗殺をきっかけに、井伊直弼が止めた時が動き出す。

 土佐藩でも参政 吉田東洋が目指す、幕府と天皇が力を合わせる公武合体・開港論派と幕府を倒して天皇政治の復活を目指す尊王攘夷派の意見がぶつかる。

 盤石であった幕府の弱体化が露見し、広がる尊王攘夷論に加熱した志士たちは、自藩をあいつで脱藩、この土佐の国でも藩の力では既に抑えきれない状態であった。

 武市半平太を慕い率いる土佐勤王党も既に二百人を超え一大勢力に拡大していた。

 半平太は、吉田東洋から実行権を奪われた旧臣派の勢力取り込み、更に勢力を増していく。

 

◇◆◇◆ 決裂

 土佐藩の今後の方針を早急に決めなければならない。

 容堂公は、これからの藩の方針を決める為、より広く家臣達に意見を求めた。

 その中に半平太の提出した建白書が容堂公の目に留まる。

 土佐藩の実権を動かす参政・吉田東洋は、血気盛んな郷士集団・土佐勤王党をあやういと見るや、武市半平太を自分の屋敷に呼び出した。

 

 この人物、彼の先祖は長宗我部家の家臣で有力な土佐郷族であったが、山内家の入国の際、上士身分として取り立てられた家柄である。

 容堂公に政治の才能を認められ、今や土佐藩の政治を動かす参政に抜擢され、異例ともいえる待遇で出世を果たしていた。

 物事をはっきり言う肝の据わった人物で、相手にも自分にも厳しい厳格さがあった。若い頃は諸国の有名な学問所に通い蘭学を納め、剣術も免許皆伝の腕前である。

 なにより山内容堂公と吉田東洋の理想とする、自国の富国強兵、諸外国から技術を学ぼうとする開港論が同じであった事から、容堂公は絶大な信頼をおいていた。


 半平太は紋付、袴姿で息揚々と吉田東洋の屋敷に訪れた。

 部屋に通された半平太は、一人、東洋を待つ。

 東洋とは、初対面ではない。

 半平太の父と東洋は、藩政改革の為、共に協力した間柄と聞く。半平太も幼い頃に屋敷に訪れた東洋に会った記憶が残る。

 父が亡くなり武市家の存続も危ぶまれたが、今こうして父に代わりに藩政を語れるなど当時は思いもしなかった。

 半平太の藩政改革案、いや国家改革の想いを思う存分語る事ができる。

 半平太の今まで行ってきた、準備を藩や国のかてとして活用してもらえるなら、なんと有難ありがたい事か。


「・・・・・・」


 半平太が想いをめぐらしていると、廊下の奥から足音が聞こえ、障子しょうじがさっと開けられると、部屋に入って来た男は、無言のまま上座にどっかと座る。

 懐に差していた扇子せんすを手に持った。


「お前が、武市半平太か?」

「かまわん、顔を上げよ」


 低く野太い声で名前を呼ぶ。

 

 畳に頭を付け、平伏していた半平太が、顔を上げる。

 

 がっしりした体格に、卵を逆さにした様な額が印象に残る。

 力がある目から、人となりの聡明さがはっきりと出ている。

 吉田東洋は、半平太の顔をじっとみる。


「父親に似たのう」

「・・・」

「はっ!」


 東洋の言葉に半平太の妄想もうそうが“間違っていなかった”と確信する。

 半平太は、うれしさのあまり、改めて畳に深々と平伏した。


「武市、顔を上げよ」

「はっ!」


 半平太が、ゆっくり顔を上げる。

 顔を上げると東洋の横に、二人の若侍が座る。

 一人は体格が良く、いかにも上士といった風貌の男。

 もう一人は、幼少の頃に見覚えのある顔の男である。


「武市」

「おまんの、藩に提出した建白書を読ませてもろた」

「良くできたものじゃった」

「・・・」

「おまんは・・・儂の進める政策を知っとろう」


「はっ」

「存じております。」


 半平太は、はっきり返答する。


「おまん。君主を何と思うちょる?」

「家臣とは、何と思うちょるがか?」

「・・・」

「おまんのさくは、徳川家に対しての不忠ふちゅう簒奪さんだつじゃ」

「しかし、吉田様」

「幕府には既に求心力が無く、老中政権では立ち行きません」

「徳川家は、朝廷に政権を返上たてまつり、有力な諸藩の合意で政を進め」

「そして、身分に関係なく優秀な人材をつのり、国を支え、まつりごとを行うべきかと」

「その為に藩主・容堂公が諸藩の先頭に立って朝廷を補佐し、改革を進めて頂きたい」

「・・・」

「その為に、我ら”土佐勤王党”が先陣を切って尽力いたしまする」


 半平太の熱弁に東洋の握った拳がワナワナ震えた。


「武市!」

「貴様っ!」


 半平太の話が終わらない内に、東洋の顔色が変わる。

 割れんばかりの叱咤しったの声が響く。


「尊王攘夷を掲げる連中は、幕府を倒すだの外国人を成敗するなど言いいよるが」

絵空事えそらごとじゃ!」

「本当にできると思うちょるがが?!」


「尊王思想にかぶれおって」

「今は、公武一体こうぶいったい。国が力を合わせて外国に対峙し、諸外国から学ぶ時じゃ」


 半平太が、吉田東洋の話をさえぎる。


「しかし吉田様!」

「長州や薩摩は藩命として、京に上洛し朝廷を御守りすべく、既に動き出しております」

「我らも急ぎ上洛せねば、遅れを取りましょう」


「既に私が長州藩と薩摩藩との同盟が成る様に密約を結んでおります」


 東洋の声にならないうなり声と同時に握っていた扇子を半平太に力まかせに投げつける。


「武市!」

貴様きさま!」

貴様きさまごときの浅知恵あさじえで、大殿やこの国を動かすなど」

「郷士の分際で上士に意見するとは」

「たわけ者めが!!」


「お前の父親の様になりたくなければ、だまっておれ」


「貴様! 暫く謹慎きんしんしておれ!」


 東洋は怒鳴り散らすと障子が壊れんばかりに開け、部屋を出て行く。


「・・・・・・」


 嵐が去った後の静けさと、先ほどまでの幻想が空間に残る。


「・・・・・・」


 部屋に残った半平太に、吉田東洋の側らに居た一人の若侍が近づく。


半兄はんにい

「ダメだ、ダメだ」

「今、風の流れは東洋様に向いちゅう」

上手うまく風に乗らにゃいかんぜよ」


半兄はんにいの言いたい事は、よう分かるけんど」

「今は、おとなしゅうしちょきい」


「今回の事は、儂が何とか取成とりなすき」


 肩を落とす半平太の肩を軽く叩くと東洋の後を追って部屋を出て行く。


 ――― 猪之助・・・部屋を出て行った若侍の背を見送る。


 ◆

 吉田東洋の屋敷からの帰り道。遠くに見える山向こうに日が沈みかけていた。

 半平太の頭の中は、色々な想いが繰り返し蘇り、未来の道筋を模索する。

 

――― 何を想い。何をなすべきか?


 もう二度と会う事の無い、吉田松陰先生の言葉が何度も何度も浮かんでは消える。

 無力な自分の前に動かせない大きな壁がある。


――― 遠回りして行くか?

――― いや・・・違う・・・


 あの人は、己の信念に従い愚直ぐちょくに、そして真っ直ぐ進んだ結果、った。

 松陰先生とこの国をうれい、幾晩いくばんも語った。

 そして、自分がこの人の遺志いしごうとちかった。


――― ああっあの人の声が

――― 弱い自分を応援する声に聞こえる。


 瞳に涙があふれ、ぽろぽろと落ちた。

 半平太は、人に見られない様に涙をぬぐった。


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