第12話 謎の娘 茜

 下関から海を渡り、門司関に到着した以蔵は半平太と道中を一旦別れ、一人旅を進めていた。

 半平太は、もう一つの重要な役目を藩から授かっている。

 剣術修行の名目で各藩の重要人物に会い、有益な情報を集め、各藩の動向や内情を探っていた。

 今回も半平太と以蔵は別行動を取り、次の目的地である藩で落ち合う事にした。

 

 以蔵もだいぶ一人旅にも慣れ気ままな心持である。

 旅の道すがら、産地の美味い物を食べ、観光明媚な所があれば一寸足を延ばしては観光に巡る。

 藩からの給金もあり、贅沢な旅をしなければ十分いい旅ができる。

 

 以蔵にとって、観るもの聞くもの珍しく道中出会う人々の話を熱心に聞く。

 自分にとって全てがワクワクする学びの時間であった。

 

◇◆◇◆襲撃

 半平太と別れて二日目、山深い峠の関所を通過して暫くした頃。

 林の中から剣戟の音と人の争う声が聞こえてくる。

 目を凝らす先には白い着物の修験者が数人見える。

 霊山と言われる四国の山では、こういった修験者の姿をよく見かけるが・・・。

 よく見ると、修験者姿の男が五人、旅姿の男女二人を遠巻きに囲むのが見える。

 

 修験者の一人が丈に仕込んだ剣を抜いた。構えた丈がキラリと銀色に光る。


「いかんちやっ!」


 杖代わりの小枝を投げ捨て、意を決した様に以蔵が急いで近づく。


「うっ! ううううう・・・」


 旅姿の男と修験者が交差した瞬間、旅の男が修験者に斬り倒された。


「くそっ」


 以蔵は、咆哮を上げ修験者に走り寄る。

 修験者が以蔵に気を取られた瞬間・・・

 旅姿の女が持つ三味線の先から銀色に光る刃を抜き放った。


「ぐわっ」


 三味線と仕込み刀を構える女の先に立つ、修験者が悲鳴を上げ倒れ込んだ。


「きさまっ! 仲間かっ!」


 以蔵の突進して来る勢いに驚き、修験者の一人が仕込みの丈を大きく振りかぶって以蔵に斬りかかった。

 

 勢いよく飛び込んだ以蔵は、大刀を貫かず鞘付きのまま、相手の振り上げた腕に狙い定め振り下ろした。

 

「ぐっ!」 

 

 以蔵の大刀は、修験者の振り上げた腕もろとも肩口に届き、相手を押し切った。

 鈍い音と短い悲鳴を発し修験者は倒れこむ。


「・・・・・・」


 修験者たちは一斉に突然現れた以蔵に振り返る。

 

 その瞬間、短い悲鳴とともに、修験者の一人が倒れ込んだ。


「・・・・・・」


 状況がつかめないままの以蔵。


「貴様っ!」

 もう一人の修験者が、大声を発し以蔵に斬りかかってきた。

 

 以蔵は低い姿勢から、斬りかかって来る相手の空いた胴を力まかせに横に薙ぎ払う。


「ガッツン」


 骨がきしむ音・・・

 木と木がぶつかる音・・・

 そして人の悲鳴が混ざって響く。

 

 以蔵の薙ぎ払った鞘付きの大刀が、無造作に生える大木に衝突した。

 鞘が砕け、むきだしになった銀色の刀身が木の幹に食い込んだ。

 

 相手は強烈な打撃に悶絶して倒れる。

 

 以蔵は、沸々と腹の底から湧き上がる何かを抑えきれない。

 真剣で襲われる危うさ・・・

 道場では味わえない真の恐怖と戦慄。

 全身の血が駆け巡り、呼吸が荒くなった。


 ――― 自分は何者なのか?


「フンッ! フンッ!」


 と以蔵は幹に食い込んだ刀身を力まかせに抜いた。

 抜いた弾みの勢いで後ろによろけ、転びそうになる。


「ふうううう・・・・」


 旅の女を見ると着物は血で赤く染まり、息も絶え絶え。

 乱れた髪で見え隠れする横顔は血で汚れているが、幼さの残る美しい娘であった。

 

 以蔵は娘を背に隠し、抜き身の大刀を構えた。

 

 相手は腰を少し落とし、金剛丈を槍のように構える。

 以蔵の喉元に焦点を当てると、じりじりと以蔵との間合いを詰めてくる。


「シャンッ、シャンッ」


 金具の音と共に鋭い突きが飛ぶ。

 刀で丈先をかわした。

 

 修験者の男は、以蔵が体制を崩したのを見計らい打ち倒しにかかる。

 

 足元から顔へと変幻自在に打ちかかる。

 かろうじて金剛丈をかわしながら反撃の隙を見極める。

 

 相手の丈が振り上げられる。


「でやあっあああ」


 後ろ脚で跳躍し、一気に間合いを詰めると、袈裟に斬り下ろした。

 

 以蔵の放った剣先は空を切る。

 すかさず二撃目、下から切り上げる。

 またも剣先は空を切った。


 ―― くそっ!届かん!

 ―― 儂やっあ・・・ 怖いんか・・・


 一瞬の隙を、相手の攻撃が襲う。

 振り上げられた丈が以蔵の首筋に振り下ろされた。

 

「がはっ!」


 激しい痛み。

 無意識のうちに左手で首と顔をかばい攻撃を防ぐ。


 振り下ろされた金剛丈の威力は、すざまじい。

 骨のきしむ音と衝撃でよろけ、片膝をついた。

 

 その時、以蔵の背後から銀色に光る暗器が飛んだ。


「うっ」


 修験者の男は不意を突かれ、動きが止まる。

 

 以蔵は、とっさに握っていた大刀を地面に突き刺した。

 湧き上がる衝動を抑えきれず、相手を威嚇する様に雄叫びを上げた。

 

 次の瞬間、以蔵が動く。

 抜き放った脇差は修験者の体を薙いだ。


「ぐわっ!」


 悲鳴が上がった思った瞬間、素早く懐に潜り込む。


「ぐっ!」


 間髪入れず、よろめいた修験者の胸ぐらガシッと左片手でつかみ、背負って投げ落とした・・・

 背中から落ちた修験者の気が飛ぶ。

 

 以蔵は、そのまま脇差を気絶した修験道の首元に当てた。


「ふっふっ・・・ふっうううう」


 細かく呼吸をした後、勝利を確信したかの様に静かに身体を後ろに引いた。

 

 静寂の中に途切れ途切れの悶絶の声だけが響いた。


「・・・・・・」


 襲われていた旅の娘が以蔵に近づいて来る。


 そして、娘はゆっくり左手を顔のあたりまで上げ、握った拳をゆっくり開いた。


 甘い香りが微かに香った。


「・・・・・・」


 頭の中が急に白くなり、身体中の関節の力が抜ける。

 そして、先ほどまで苦痛の悲鳴を発しながら悶えていた、修験者達の声もロウソクの灯りを消す様に聞こえなくなり、辺りが静まり返った。


「ふっ」

「お節介な男・・・」


 娘の鈴の様な声が微かに聞こえた。


「あんた・・・あまり長生きは、できないね」

 

 娘は懐に手を差し込み、何かを握りしめた。 


「楽に死なせ」「えっ!」


 ガッサアッと娘の目の前に力無く崩れていたはずの以蔵が、突然立ち塞がった。

 以蔵は自分の腕を娘の腰に回す。

 そして娘の腰帯を握ると娘を強引に引き寄せた。

 

 娘は、男の力に抵抗できずつま先立となる。


「やめっ・・・」


 以蔵は娘を引き寄せたまま、目を細め、ふらふらした身体で光の指す方へ向かった。

 数十歩、歩いたところで膝が砕け倒れた。


「もう大丈夫やき・・・」

「安心しいや・・・」


 以蔵は寝言の様につぶやいた。

 

◇◆◇◆謎の娘 茜

 嫌な夢で目が覚めた・・・


「痛ッ!」

 

 身体に痛みがはしった。

 痛みを我慢し、ゆっくり身体を起こす。

 強烈な薬草の香り、痛むところに手拭いが巻かれていた。


「夢やったんか?」


 頭が少し混乱している。

 周りを見ると、旅の荷物と割れた鞘につるが巻かれ、補修された大刀が枕元に置かれてあった。

 焚火が燃えていたが、周りには人影も無い。

 ちょっと安心した以蔵は、明々と燃える焚火を観ながらまた横になった。

 

 ◆

 数日後。

 以蔵は泊まった宿場で握飯を用意してもらうと、半平太との合流予定である藩へ出立した。

 道すがら名物の饅頭を買い、秋の紅葉を見物しながら次の宿場町に向かう。


「おまん・・・」

「いつまでついて来る気じゃっ」


 以蔵の後を歩いていた人影が、意を決した様に近づいて来た。


「先日は・・・世話になったな」


 以蔵の横に並ぶ様に近づいた娘が話しかけてきた。


―――あの時助けた、旅の娘か・・・


 かすかだが、線香の香りと血の香り、菖蒲しょうぶの匂いが香った。

 

 鈴の音の様な澄んだ声色こわいろだが、言い方がやけに大人びている。


「おまん・・・怪我はなかったがか?」

「ああ」


「連れの者は、大丈夫だったがか?」


「いや・・・」


 少女の声が沈んだ。


「そうか・・・」


「事情を聴かんのか?」


 娘が問う。


「んん・・あまり深入りしたくないきのう」


 娘は少し声にすごみを効かせて以蔵に言う。


「私は・・・悪人かもしれんぞっ」


「急に斬りかかってくる修験者ヤツらより、いいんじゃないんかのう」


「・・・・・・」


 その旅の娘は、名を“あかね”と名乗った。

 着ている衣服は質素なものだが、声に似あった綺麗な顔立ちは、どこか不釣り合いな感じさえする。

 娘は、ある有力大名の依頼で藩を調査しているそうだ。

 そういう生業なりわいらしい・・・

 

 その娘の天真爛漫な態度に最初は警戒していた以蔵だが、ついつい自分の旅の事情を話してしまう。


 あかねは、ちょっと照れくさそうに懐に手を入れる。

 ごそごそと懐から取り出したものを以蔵に手渡した。


「これは御礼じゃ」

「ん! 籠手こてか?」

「先日の助けてもらった礼がしたいのじゃ」


「さっさっ・・・以蔵殿」

「これを着けてみてくれ!」


「変わった籠手こてじゃな」


 と作りを観る。


「左手に付けてみてくれ!」


 戸惑う以蔵だが、そこは強引な娘・・・

 

 手にした籠手こてを左手に装着してみる。

 

―――軽いっ! そして寸法を合わせたかの様に腕になじむ。


「うちの爺様は、武具造りの名人でな」

「かわいい孫の為に造ってくれたのじゃ」


 以蔵は装着した籠手こてを右手の拳でたたきながら言う。


「これは、すごいなっ!」


「そうじゃろ」

「やすやすと刃を通さんし、攻撃にも使えるぞ」


「近距離攻撃に優れた以蔵殿には、まさにうってつけじゃろ」


 娘はニッコリと笑う。


「でも、いいんか?」

「こんな凄い籠手ものをもろうて?」


「助けてくれた御礼じゃ」

「それにっ」


 あかねは、ちょっと照れくさそうに顔を伏せる。


「・・・・・・」

 

 右手の袖をまくり、同じ籠手こてを見せる。


「以蔵殿と一対じゃっ」


 一瞬、以蔵の心の臓から頭の天辺に熱いものがこみ上げる。

 二人は目のやり場も無くお互い目をそらした。

 

 ちょっと間をおいて、以蔵は左手の籠手こてをさすりながら言う。


「ほんならあ・・・ありがたく使わしてもらうかのー」


 以蔵はチラリとあかねの顔を見た。

 

 以蔵を見るあかねの顔は優しく微笑んでいた。

 あかねの立つはるかか遠く頭上には、秋空の真っ赤な太陽と赤く染まった大きな茜雲あかねぐもが浮かぶ。

 野原一面につづく頭を垂れたススキたちが一斉に揺れていた。


「・・・」

「宿場まであと少しやき」

「おまんも一緒に行くか?」


 あかねは、「うんっ」とコクリとうなずき、以蔵の斜め後ろ、肩に触れそうな距離で歩き始めた。

 

◇◆◇◆夢話し

 その晩、以蔵はあかねと名乗る娘と酒を酌み交わした。

 酒には強い以蔵であったが、あかねも強い。

 あかねは、ほろ酔い気分で旅の話を始める。

 

 娘の口から語られる話は嘘か誠か、この娘の空想か?

 以蔵にとっては、娘の語る武勇伝は現実離れしすぎて判断がつかない。

 

 だが以蔵にとっては、どちらでもよかった。

 これから旅する自分にとって、ワクワク、ドキドキが止まらないのだ。

 

 少年の様に瞳を輝かせ、身を乗り出しては、あかねの話を聞く以蔵の態度にあかねの話がヒートアップする。


――――――


 いつしか酔いが回り眠りに落ちた・・・

 

 朝の日差しに以蔵が目覚めると、あかねの置手紙だけが残っていた。


「また会おう」


 ただそれだけ残されていた。


「ははははっ」

「狐か、狸か、天狗様か?」


 以蔵は爽快な気分で笑い、武市半平太との待ち合わせ場所へと急ぎ旅立った。


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