第11話 種まく人

 土佐藩を発った武市半平太一行は各藩の藩校や藩内で有名な町道場に立ち寄り出稽古を行う。全国でも知られる江戸三大道場の一つ桃井道場で、免許皆伝の腕前を持ち塾頭を務めた武市半平太、供する三人も半平太に匹敵する技量である。噂を聞きつけた血気盛んな道場からは一度手合わせしたいとの申し込みが殺到した。

 午前に稽古、昼食をはさんで午後に稽古、四人は自分の剣技を磨く為、おおいに腕をふるう。時には代表者を選出しては対抗試合を行った。

 練習が終われば、立ち寄った藩の門弟達と懇親会を行う。

 以蔵にとっては、この上ない幸せ、さっきまで一緒に汗を流し稽古した相手と大いに酒を飲み、朝まで語り合った。

 

◇◆◇◆長州藩

 土佐を発って二十日、半平太一行はようやく長州藩の城下町に到着した。

 特に長州藩と薩摩藩の動向は土佐藩にとって重要である。

 先の十四代将軍の後継者争いでも、土佐、水戸、長州、薩摩が共闘した結果、大老 井伊直弼の策略により各藩主が蟄居ちっきょに追い込まれた。それ以降、安政大獄による幕府の強行な取り締まりにより、反幕府を掲げる者に対しての捕縛や監視が強くなっている。

 半平太は江戸での剣術修行中に土佐藩士・大石弥太郎の紹介で長州の若き指導者である、久坂玄瑞と意気投合し密会を重ねていた。

 久坂玄瑞の話しでは、現在、長州藩では江戸の三大道場の一つ斎藤道場の塾頭を務めた桂小五郎や、高杉晋作といった若手指導者が頭角を現し、既に長州藩を動かすほどの力を持っているらしい。

 薩摩藩においても今の幕府に不満を持ち、尊王攘夷を掲げる志士が多い。

 事前に情報を情報収集し、藩の重要人物との交流を図りたいとの目的があった。

 また、長州の久坂玄瑞や桂小五郎、高杉晋作ら若手指導者らが師と仰ぐ、吉田松陰と言う人物の名を聞いた。

 以前は藩校の講師であったが、安政大獄で幕府の罪人となり、今は長州藩内で幽閉されているとの事。しかし幽閉されているにも関わらず、長州藩の若者らに信頼が厚く、私塾を続け、人々にみちを説いている人物。

 同じ世代に生まれた人物が、自分の信念で行動し、既に長州藩一国を動かす存在となっている。

 

――― その人物に是非! 会いたい。


◇◆◇◆藩道場

 長州藩・はぎの城下に着いた、半平太一行は、早速、藩認定の剣術修行の斡旋宿を訪ねた。そして宿屋に、四人の姓名、出身藩、剣の流派、経歴など記載し、希望道場を伝える。今回、剣術修行の場として乗り込むのは、長州藩の藩校、“明倫館”である。

 この日、藩校の明倫館への申し込みを済ませ、藩からの知らせを待った。

 夕刻、物々しい恰好をした長州藩の役人が宿屋に訪れ、明日の朝、迎えに来る事を告げ戻っていった。翌朝、長州藩の迎え役人と共に、四人は明倫館道場に向かった。

 

 長州藩は戦国時代より続く、毛利家が治める大大名。外様大名とは言え西国の要を担う要衝の地である。

 人材を育てる為に学問、武道の修練に力をいれており、藩校である明倫館の他にも数多くの道場を構える。


 四人は高ぶる気持ちを押さえながら、明倫館道場に向かう。

 まずは、師範代に挨拶し、注意事項などを聞き剣術道場に案内される。

 町道場とは違い藩校ともなると藩の関係者が多く訪れ、訪問者の腕前を視察する。

 今回は一定時間、自由に打ち合う乱取り形式でに以蔵たち訪問者が混ざり一緒に練習する。

 午前中、二十人ほどと手合わせしたが、師範代より申し出があり、午後は師範クラスを選出して試合形式で行う事となった。

 長州藩士は、江戸の斎藤道場に学ぶ者が多い、対して土佐藩士は桃井道場に学ぶ者が多い。

 桃井道場の塾頭の武市半平太、千葉道場・北辰一刀流の久松喜代馬、槍の島村外内、桃井道場で中伝を得た岡田以蔵の四人である。

 江戸さながらに道場対決の様相である。


「武市さんっ。儂が先鋒いきますけえ!」

「いや。儂じゃ!」「なにっ!」


 否応いやおうなしに試合は盛り上がる。

 四人は存分に自分の剣を振るう。 

 試合の歓声は、藩同士の枠を超えて道場に響いた。


 ただ一人、道場の片隅で腕組みをし、試合を見る“切れ長の目の男”は、不機嫌そうに舌打ちをした。


 ◆不適な使者

 宿に戻り、風呂から上がった四人は、今日の試合内容を自慢する。

 

 その夜、身なりの立派な若い藩士が二人、宿を訪ねてきた。


「あんたが、武市さんか?」


 高価な着流しの着物に朱色の鞘の刀を腰に差す男。

 整った顔立ちに切れ長の目が、いかにも上品に見えるが、発する口調が外見と異なり、なんとも荒々しい。


「江戸にいる久坂からの連絡で、僕らの師 吉田松陰先生 に合わせろとの伝言だ」

「・・・・・・」

「明日、迎えに人をやるから出向いてくれ」

「・・・・・・」

「俊っ! 行くぞっ!」


 と要件だけ不機嫌に伝えると、さっさと体を返し立ち去っていく。


「誠に申し訳ありませんっ!」

「高杉さんは、あんな言い方しかできないものでっ!」


 もう一人の連れの侍が、申し訳なさそうに半平太に謝る。


「高杉さんっ! もっとちゃんとしてくださいよっ!」

「僕は来たくて、来たんじゃないんだよ」


 高杉という男を、慌てて後を追いながら注意する。


「もうっ高杉さんっ! 聞こえますよ!」


 二人はあれこれと言い合いながら、明かりの灯る町中に消えて行った。


◇◆◇◆種をまく人

 次の日、高杉という男の伝言のどおり、迎えの侍がやって来た。

 四人は、迎えの侍に連れられ、城下外れの“松下村塾”を訪れた。

 

 そこは変わった光景であった。

 十数人の武士と町人たちが同じ部屋に集まり、激しく口論をする。

 その奥には、すらりとした細身の人物が、身振り手ぶりで時には立ち上がり、ひと際大きな声で口論に加わる。


「あの方が、我々の師である、吉田松陰先生だよ」


 半平太たちを迎えた侍が、ほこらしげに紹介する。

 狭い部屋には、入れない程の門人たちがあふれ、体を揺すり真剣な眼差しで話を聞いている。

 半平太たちは部屋の外の縁側から話を聞いた。


「後から、松陰先生に御紹介いたしますので、少々お待ちください」

 

 喜代馬は何やら言いたそうだったが、目を見開き、熱心に吉田松陰の話を聞き入る半平太の顔をみて、押し黙った。


 ◆

 当初、長州藩には五日間の滞在予定であったが、既に十日が経とうとしていた。

 半平太は昼夜を問わず吉田松陰の元を訪ね、時には夜通しで話し、宿に戻らない事もしばしあった。

 業を煮やした、久松喜代馬、島村外内の二人は、明倫館での剣術修行を終わらせ、九州の玄関口・小倉藩で落ち合う事にし、先に九州へ旅立て行った。

 

 以蔵は、喜代馬ら二人に頼まれ、半平太と二人、松下村塾に残る事になった。

 学問所である、松下村塾は以蔵にとって退屈な場所である。

 一人、縁側えんがわに座り、塾の裏手にある荒れた畑で地面を器用につつく鶏をながめていた以蔵だが、温かい日差しについうとうとと目を閉じていた。


「・・・・・・」


 夢見心地に女性の声が聞こえる。

 目を開けると利発りはつそうな女性が一人、以蔵に声をかけ、握飯にぎりめしすすめる。


 松下村塾は自宅の一角に立てられたもので、朝から夜中まで、頻繁に訪れる客や塾生のもてなしを吉田松陰の家族の者が行っていた。

 笑顔で勧める女性の差し出した握飯にぎりめしを、以蔵は申し訳なさそうに手にとった。


「前の畑は、荒れてますのお」


 何か一言返そうと以蔵は、女性に問いかけた。


「そうなのです・・・」

「兄を訪ね、国をうれう男衆は多いですが・・・」

「畑をうれう男衆はいないのですよ」


「うちの旦那様も国事に飛び回り、めったに戻って来ません・・・」

「はあー」


 子供に諭す様な困った顔で、そう言うと吉田松陰の妹は、茶を以蔵に差し出すと去っていった。


 ◆

 次の日、以蔵は朝から裏の荒れた畑に向かった。

 日が昇り始め、スズメたちが元気よくさえずり始めた頃には、荒れた畑を耕し終わった以蔵。

 縁側えんがわに腰掛け、持参の水筒で水を飲んでいた。

 

 背後から、少し声色こわいろの高い声で話しかけられた。


「来年の春は、収穫が楽しみだね~」

「ふぁ~」


 声の主は、以蔵の横に座ると大きく背伸びをして深呼吸をした。


「鳥はいいねえ」


 と空を見上げる。


「・・・・・・」

「君は、アメリカという国を知ってるかい?」


 以蔵が横に座った声の主を見る。


 ――― 松陰先生?


 声の主は、以蔵の答えを聞かずしゃべり出す。


「アメリカ・・・いやアメリカだけじゃない!」

「イギリス、フランス、オランダ、世界には色々な物や知識が沢山あってね」

「・・・・・・」

「僕はっ! この目でたかった」

「いやっ! なくてはいけなかったのだ」


 無精髭を生やした、吉田松陰の大人びた顔立ちからは、想像できない程にキラキラとした眼差まなざししで遠くを見渡す。

 この深い山に囲まれた小さな村から海を越え、空を越え、遠く彼方をあおぐ様にみえた。


「それでっ! 僕はアメリカに密航しようとして・・・」

「幕府に捕まってねえ・・・」

「・・・」


 横顔が、寂しそうな表情に変わった。


「・・・」

「以蔵君! 君は・・・かなり剣の腕前が良いらしねえ」


「えっ」以蔵が一寸びっくりし、吉田松陰の横顔をみる。


 松陰先生は、横に居た以蔵を見ると、また声高に問う。


「僕はね・・・」

「国をたがやし、人のたねきたいと思っている」

「色々な個性のたねだよ」

「・・・・・・」

「君は、何のために剣術を学んでいる?」

「君は、何がワクワクする?」

「何が楽しい?」

「・・・」

「君ができる事」

「君にしかできない事」

「君はっ!  何がしたい?」

「・・・」

さがすんだ、旅をしながら」

「学ぶんだ! 生きながら」


 以蔵の顔に松陰先生のキラキラした大きな瞳が迫ってくる。


―――こんな真っ直ぐな・・・

―――今にも爆発しそうなキラキラした眼差しは見たことがない・・・


 以蔵の首筋から肩、背中に鳥肌が立つ。

 

 脳みそがフル回転した様に、頭の中で映像が瞬時に切り替わり、そして目に映る光の量が一瞬増加した様に思えた。

 

 以蔵は頭をかきながら、とぎれとぎれに口を開く。


「わしゃあ・・・まだ・・・よう言えんけんど・・・」

「松陰先生! 儂は九州の旅が終わったら、またここに来ますけえ」

「こじゃんと土産話しを持って来ますけえ」

「・・・」


 松陰先生は笑顔で答える。


「ああ。楽しみにしている」

「・・・・・・」

「もし、僕がいなくても・・・」

「妹に僕の居場所を訪ねてくれればいい」


「松陰先生っ!」 


 話をさえぎる様に、後ろから門下生の大きな声が聞こえ、松陰先生はゆっくり立ち上がる。

 

 以蔵の肩をポンと叩くと、また部屋へ戻っていった。


◇◆◇◆決意

 長らく長州藩に滞在していた半平太と以蔵であったが、ほどなくして萩の城下を出立した。

 次の日、本州と九州を遮る関門海峡に到着した。

 関門海峡を見下ろす小高い丘からは、九州に渡る為の渡しが見え、その先に九州の山々がすぐ目の前に広がっていた。

 鳴門の渦は、いくつもの大きな渦を巻き、泡のもくずを海中に呑み込みながら荒々しく形を変える。

 

 半平太と以蔵は鳴門の渦を眼下に並んで腰かけ、朝、宿屋で買った握飯にぎりめしを食べていた。


 以蔵が大きくうねる渦を観ながら、思い切った様に半平太に質問する。


「武市さんは、なんで学問も剣術も一生懸命なんじゃあ」


 半平太は、握飯を食べながら考え一個食べ終えると、はるか遠くの大陸を観ながら独り言の様に答えた。


「儂もまだ、ようは言えんけんどな・・・」

「儂について来る来てくれるヤツがおろうが」

「・・・・・・」

「郷士は昔からしいたげられ、つらい思いをしちゅうヤツらが大勢おるじゃろ」

「儂にできることが何かあれば、やりたがじゃ」

「・・・・・・」

「まだ儂も何をやればいいかようわからん」


「・・・・・・」


「以蔵、儂が塾を始めた頃、塾に来てた魚売りの彦助を覚えてるやろ」

 

 遠い目で、半平太が言う。


「塾に払う金が無いゆうて、毎朝シジミを捕って届けてくれよったがじゃ」

「・・・」

「上士ともめて、無礼打ちで殺されてしもうて」

「そん時、儂はなんもできんかったがじゃあ」

「儂は・・・上士が怖かったんじゃ」


 半平太の目が薄っすらにじむ。


「儂はな、以蔵」

「この日本ちゅう国を変えたいと思うちょる」


「いや、絶対に変える」

「松陰先生に儂は約束したきに」

「・・・」


 あの時、以蔵に問いかけられた松陰先生の言葉が、すっと以蔵の中に落ちてくるのを感じた。


「君は、何のために剣術を学んでいる?」

「・・・」


 横目で半平太を観ていた以蔵が静かに言う。


「武市さん!」

「儂は剣しか取柄がないきに」

「武市さんを邪魔するヤツは儂が倒すきに」


 以蔵が言う。


「・・・・・・」


「でも、松陰先生は、面白い先生じゃったのう」

「九州で剣術修行が終わったら、また長州に寄って、松陰先生にこじゃんと土産話しをする約束をしたがじゃ」


 半平太が、一瞬、驚いた様に体を引いた。

 以蔵は一人、遠くを見ながら、うれしそうに話す。


「以蔵・・・お前、知らんのか・・・」


「武市さん、どうかしたかや?」

「・・・」

―――松陰先生はもうすぐ・・・


 半平太が以蔵の肩を拳で軽くたいた。


「いや! ええちゃ」

「あまり無茶すなや!」


 と、半平太は、はるか遠くまで連なる九州の山々を見渡した。



 ――――――

 それから、間もなく吉田松陰は、江戸に護送され幕府によって処刑される。

 国を想い、人を想い、将来をうれう魂のを最後に残し、この世を去っていった。


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