第2章 武者修行

第10話 武者修行

 江戸での剣術修行を終えた武市半平太と岡田以蔵は、東海道を西へ京都、大阪、堺港から船に乗り土佐の国へ向かった。

 国堺の関所を抜け、漁師町が続く海岸線を歩き懐かしい故郷へ、足は自然と速足である。

 江戸の軽やかな海風とは違い、土佐の海風は潮の香が濃く、太陽の光がが一段とまぶしい。

 江戸の港の賑わいに比べれば、土佐の閑散とした漁村の風景は、まるで時が止まった様に古めかしく感じた。

 まだ一年しか経っていないというのに、数年は経ったかと思うほど遠く懐かしい気がする。それは自分が大きくなった様な、いやこの土佐が小さくなった様な錯覚さえ感じる。

 

――― 慎吾たちは、元気しよるかのう


 と想いをめぐらすと、春姉はるねえの顔が浮かぶ。


――― 早う会いたいのう


 ふところに収めた錦の布で包まれた江戸土産を手でなでながら、一人ニヤニヤする。


「武市さん! これから、どうするんじゃ」


 以蔵が、ニヤニヤしながら半平太に問いかける。


「以蔵・・・真面目に聞きや」


 半平太は、以蔵をたしなめながら簡単に今の自分たちの立場、各藩の状況を以蔵に説明し、今後の自分たちの行動を告げる。


 土佐へ帰国する直前、半平太に藩から内々に勅命が下った。


 江戸で三大道場の塾頭じゅくとうつとめ、剣術、学問の実力もさることながら、江戸勤番での諸藩との外交や諜報収集など実力が認められ、藩から期待された勅命である。

 中国、九州への剣術修行・・・

 表向きは各藩を遊学し、剣術修行の名目であるが、その実、攘夷じょういを掲げている動向が不明な西国諸国の内情を探る偵察である。

 今や長州、薩摩、肥後など九州の外様大名の不穏な動きが活発になっており、これからの土佐藩の動向を決める為の情報収集。重要な御役目である。

江戸で山内容堂公からの直々の呼び出しがあり、勅命を受けた時は目頭めがしらが熱くなり感動に震えたのを思い出す。


「・・・」

「武市さん!」

「儂あ楽しみじゃあ~。また一緒に武者修行ができるぜよ!」


 再び感動に一人浸ひたる半平太。

 に相対して、はしゃぐ以蔵。

 半平太は真面目顔で諭す。


「以蔵!」「これは大事な御役目ぞ」

「儂らが郷士たちの見本となり、藩の為、容堂公に忠義を尽くさにゃいかん」

「わかったか! 以蔵!」

「・・・」


 以蔵は頭をかきながら真剣な顔の半平太を見る。


「相変わらず、武市さんは固いのおっ~」


 半平太をちゃかす様に言う。


「儂ゃあ、強者どもをバッタ、バッタとなぎ倒すぜよ!」


 と両手を空に広げ、目の前の険しい山々の先を遠い目で空を仰ぐ。

 呆れ顔の半平太をよそに以蔵は、鼻を左右にこする。


「酒も肴も美味かろう!」


「ああああ・・・江戸は楽しかったなあ~」

「・・・」


「武市さん」「まずはどこで暴れるがか?」


 目の前に高く連なる山を観ながら以蔵が問う。

 以蔵の質問に溜息をこぼしつつ、武市は答える。


「まずは、中国筋を旅して長州へ向かう」

「それから、九州の豊前、久留米、柳川、肥後、長崎、薩摩、日向、豊後を回る」

「特に柳川藩は、武者修行の登竜門というぐらい、各藩からの猛者達が集っちょる」


 剣士の顔で真面目顔に答える。


「そりゃたまるか!」

「春蔵先生にいい土産話しができるぜよ!」


 はしゃぐ以蔵に対して、半平太の心境は複雑である。


◇◆◇◆旅の仲間

 半平太と以蔵が土佐藩に到着したのも束の間。

 慌ただしく九州への出立日が決まる。

 既に尊王攘夷派そんのうじょういの動きが活発になりつつあり、徳川幕府を中心に佐幕派さばく、薩摩藩では公武合体派こうぶがったい、長州藩では尊王攘夷派こんのうじょうい徳川御三家ごさんけである水戸藩の動向もあなどれない。急を要する出立である。

 半平太が江戸へ留守の間、義父の島田に武市道場の管理を頼み、師範代の久松喜代馬たち高弟らに武市道場の指導を任せていたが、今回はその久松喜代馬、同じく義兄の島村外内、岡田以蔵の三人を選抜し、中国、九州への武者修行の同行を願い出た。

 高弟の一人、武市道場の師範代を務める、久松喜代馬。

 喜代馬は幼少の頃より剣術の才が秀で、千葉道場で初伝を受け、土佐に戻ってからは藩の剣術道場を荒らし回り、武市道場に入門。あっとゆう間に小野派一刀流の免許皆伝得て今は師範代を担う。磨かれた剣の技は、武市道場一だろう。真面目で、まさに武士の手本の様な男である。剣士としての半平太と考えが似ている事もあり、半平太からの信頼が厚い。

 もう一人は、半平太の妻・とみの兄、島村外内。

 武市道場・四天王の一人である。剣術の腕もさることながら、家伝の槍術に長け、これまためっぽう強い。日頃は無口な性格だが、暴れ馬を槍で叩き伏せたと噂がある剛の者である。弟の島村衛吉と以蔵は、幼馴染で仲が良い。

 半平太、喜代馬、外内の三人が集まると剣術談議は終わることを知らずいつも時間を忘れ白熱する。将来、剣士として名を上げる事を誓い合った三人である。


 半平太と以蔵、久松喜代馬、島村外内の四人は、九月になるのを待って土佐を出立する事となった。

 四国に連なる山々を抜け、讃岐 丸亀藩から中国地方に渡り、岡山 天城藩、宮本武蔵伝説の美作藩、備中 松山藩、そして十月頃、長州藩に到着である。

 

◇◆◇◆古今の武者修行

 江戸末期、徳川幕府の管理体制や法制度は円熟を迎えた。

 全国から集まる諸藩の参勤交代により、街道や宿場町の整備が完了し交通網も発展し、今や全国を巡る旅も安全で快適、庶民の間でも旅が流行していた。

 ひと昔前の武者修行と言えば過酷の極み。今は昔の武者修行と違い、全国を巡る武者修行も旅商売へと形を変え栄えていた。

 宮本武蔵を代表する剣士の様に自分の強さを求め、全国の道場に訪れては道場破りや決闘と称して真剣の勝負を行っていたが、真剣勝負の末に命を落とす者、怪我で再起不能になる者、闇討ち、仇討ち、また旅の路銀を使い果たし野山で力尽き、命を落とす者など、まさに命を賭けた荒修行である。

 今の平和な時代、命を賭けた勝負など起これば幕府に目を付けられ藩の一大事。藩の責任問題であり、藩の御取潰しの要因ともなりかねない。藩の監視下のもと、厳重な剣術修行が行われる。

 修行の内容もかなり変わってきた。 

 藩を訪れた武者修行者は真剣での勝負は行わない。各道場は安全第一でしっかり防具を着け竹刀で打ち合う。訪れた武者修行者は、道場の門人達の練習に加わり合同練習形式で行い、勝敗は明確にせず、戦いでの遺恨は残さない、など極めて平和的である。

 武者修行者の受け入れ体制も確立された。

 剣術修行の旅が盛んであった事もあり、画期的なシステムが日本全国に構築された。

 剣術修行を行うには大きく分けて三つの方法がある。

 ひとつ、藩からの認可を受け、藩代表として公的な剣術修行を行う。

 ふたつ、剣術に関心がある裕福な武士、または豪農、豪商の息子は自腹で旅をする。

 みっつ、昔ながらの厳しい武者修行を求める者、または金が無い貧乏武士は、浪人となり、道場に住み込み修行するのである。

 武市半平太一行は、藩からの正式に認可を受けた旅である。

 剣術修行者は、あらかじめ自分の藩に訪れる藩や日程を記載し申請する。

 藩から認可を受けた後、各藩に出立する。

 修行先の宿場で各藩認定の斡旋宿に宿泊し、宿屋に姓名、出身藩、剣の流派、経歴など起債し、希望道場を伝える。

 すると、宿屋が藩の届出所に申請し、受理されれば、藩役人が剣術道場と交渉し稽古日程や条件を調整する。

 お互いの都合が合うと、藩役人が宿屋に事前に日時調整の連絡があり、稽古当日に藩役人が迎えにやって来る。

 申し込まれた道場主としては、道場の面子や事情もあり、理由を付けて丁重に断る場合も少なくはない。

 練習内容の主は、多くの門人達同志で二人一組になり、一定時間自由に打ち合う、乱取り形式で行われる。その中に訪れた修行者が混ざり一緒に練習する。

 午前、午後と合わせて三十人ほどと手合わせする。

 これであれば、勝負の明暗がはっきりせず、今後の藩同士のいざこざには発展しにくい。

 道場の腕自慢の者はこぞって他流派の訪問者に手合わせを申し出て腕を磨く。

 また血気盛んな道場では、腕自慢の者や師範クラスを選出して試合形式で行う場合もある。

 特に剣術修行の認可を正式にもらっている場合、藩の客分として丁重に扱われた。

 当然、宿泊費、道場での練習費は、受け入れた藩から申し込んだ藩へ、後払い請求される。

 剣術修行を受け入れた藩、道場、宿屋も商売になる仕組みである。

 裕福な藩は、旅費や食費、生活必需品も支給される。

 また、大きな宿場街道は、交通網が発達している為、剣術修行に必要な竹刀や防具、生活道具を宿泊宿まで運送屋に運送依頼ができるのである。

 藩から認可の無い剣術修行者でも、金を払えば、斡旋宿に宿泊でき、手続きも全て代行してくれるのである。

 まさに全国を巡る旅行産業である。

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