第9話 死線

 以蔵が江戸の桃井道場に入門して六ヶ月が経とうとしていた。

 山本琢磨の事件以来、以蔵は何かに憑りつかれた様に一心不乱に剣を振り剣術の稽古に打ち込んだ。稽古中は桃井道場でも屈指の腕前を持つ上田馬之助ほか、師範代にまで果敢に挑んでいく。この短期間でまるで砂に水が染み込む様に以蔵の剣の腕前は上達していった。

 

 厳しい修行の成果が認められ、最初の目録 ”弐之目“が授けられた。

 さらに四ヶ月後、中目録 “五重巻”が授けられた。

 わずか、一年で中目録と授かるとは異例の速さである。

 土佐で鍛えた体と天性の鋭い感は剣術だけに止まらず、組打稽古の上達も目覚ましい、桃井道場の四天王と並び称され、既に道場内には以蔵にかなう者も少ない。

 誰もがその実力を認める強者へと成長していった。

 

 そして一年が過ぎ、武市半平太と以蔵らの江戸剣術修行が終わろうとしていた。

 

◇◆◇◆

 江戸で世話になった人々に別れの挨拶を済ませ、帰国の旅仕度を整える。


 ある晩、以蔵は桃井道場の道場主・桃井春蔵先生からの呼び出しで一人道場へ向かった。

 夜中の道場は、人気も無く不気味なほど静かである。

 空には月が浮かび、月の明かりが道場に続く廊下を照らしだしていた。

 季節外れの鈴虫の鳴き声が途切れ途切れに辺りに響く。

 

 武市半平太は、先日、免許皆伝の認可を許された。

 以蔵も免許皆伝には少しばかり届かなかったが、剣術だけであれば免許皆伝の実力十分である。

 目標の師・半平太にはいまだ追いつけない。

 しかし、いつの日かまた江戸に戻り存分に剣の修行を続けたいと息揚々である。


――― しかし・・・何と一年は短かいことか。

 

 廊下を渡り、道場の戸をくぐると、既に春蔵先生が中央に座していた。


「以蔵。こちらに来なさい」


――― もしかすると・・・この呼び出しは

――― 免許皆伝の認可では?

 

 と内心ドキドキし、背筋を伸ばしながら襟を正した。


 春蔵先生が静かに立ち上がる。

 手に持った大刀をゆっくり腰に差すと刀の据わり具合を確かめた。


「以蔵。刀を構えなさい」


 先生は静かな口調で以蔵に話かける。


「私がまだ剣客として全国を旅し修行していた頃」

「真剣で立ち会い、命のやり取りをした」


「その時、お前によく似た剣気を放つ御仁と闘った」

「その御仁は、ただただ強さだけを求め闘っていた」


「その放つ剣気は、獅子にも迫る気迫」

「私は、その御仁と対峙して初めて背筋が凍り、恐怖した」


 そう言うと、春蔵先生は大刀の鯉口をカチリッと切った。


「以蔵! 短い期間であったが、今までよく修行した」

「ほめてやるぞ」

「期待以上の上達ぶりだ」


「今からお前を斬る」

「この日を待っていたぞ」


 日頃、温厚な春蔵先生とはまるで別人の様な狂気的な言葉づかい。

 その恐ろしい言葉と殺気は以蔵の背筋をゾックとさた。

 全身に鳥肌が立ち、緊張で身体がこわばる。

 

 自分が息をしていない事に気づく。

 口の中が乾き喉をゴクリッと鳴らす。


 春蔵先生は真剣をゆっくり鞘から抜き正眼に構えた。


 ――― られる


 以蔵の危険を感じる本能が一瞬で戦闘モードに切り替わる。

 身体が酸素を欲する。

 

 慌てて大きく息を吸い込む。

 今から自分を斬ろうと刀を構える男の目の見定めた。


「・・・」


 道場の格子からさす月明かりに、能面の様な男の顔が半面を照らす。

 闇夜に人鬼が静かに立っていた。

 

 冷たく動かない表情が一層不気味に感じる。

 

 以蔵も無言で大刀を抜き構えた。

 

 師弟、同じ構えのまま動かない。

 

 背中に冷たいものが、ツウっと伝い腰帯で止まった。

 

 以蔵の脳裏に一年前のあの時の情景が思い出される。

 初めて春蔵先生と闘った日。

 手も足も出ず一刀両断に切り伏せられた。

 

 あれから毎日毎日、その時の幻影を思い浮かべた。

 そして繰り返し繰り返し、打倒す剣技を研鑽けんさんした。

 

 以蔵のいたった答えは一つ。


 ――― 相手より早く正確に、そして・・・より強く打ち込む!


「・・・・・・」

「・・・・・・」


 庭の鈴虫の音がやんだ・・・


「ダンッ」「おおうううううっー」


 以蔵は雄叫びをあげる。

 大刀を振りかざすと目の前の人鬼に斬り込んだ。


 以蔵の振り下ろした刃が、ヒュンと空しく風を斬った。


 振り下ろした刃先は、相手に届かない。

 

 春蔵が静かに問いかける。


「以蔵よ、巻藁まきわらおのれより弱い者を斬るには、十分だろう」

「だが、己と同格、いや己以上の者と闘うとどうだ?」


「己が斬っても斬り返され、相打ちが関の山だ」


「お前は目が良いゆえ、本能的に儂の間合いが届かぬ遠い距離で闘っている」


 正眼に構え、切っ先を以蔵の喉元に向けたままの春蔵。

 カッと目を見開き叫ぶ。


「以蔵っ!」

「お前は、儂の間合い・・・」

死線しせんに踏み込めるかっ!」


「半平太は、既に踏み込んだぞ!」

「お前はっ!」

「この死線しせんの間合いに踏み込めるかっ!」


 春蔵の叱咤しったの声が、静かな道場に響く。


「・・・」

「おおおおおおおおおっー」


 以蔵は雄叫びとともに斬り込む。

 相手も雄叫びと共に同時に斬りかかる。

 

 以蔵は大刀を振りかぶり袈裟に斬り下ろした。


「ガキンッ」「っ!」


 二本の刀がぶつかり合い、闇夜に火花が散る。

 

 腕、顔、肩、脇、全身にとてつもない衝撃が走る。


 ――― えた・・・


「ぬおおおおおおっ」

「キリッ」「キリッ」


 交差するつばぜりあいのまま、以蔵が一気に攻立てる。

 

 二人は、お互い後ろに飛びさがる。


「りゃああ」


 一撃、二撃、二人は、真剣で斬り結ぶ。

 

 二人の刀が交差する度に激しい金切り音と火花が散った。

 

 瞬間。“ふっ”と力が抜け、体制が崩れる。

 

 そして、以蔵の振り下ろした刀は、おもいきり空を斬った。


 ――― いなされたっ!


 よろめきながらも鍛えられた足腰は、倒れない様に大地に踏ん張ろうとする。

 

 一瞬、敵を見失ったが、動いた気配を感じ反射的に後ろに飛びさがる。

 

 相手も、間合いを取る様に後ろに飛びさがる。

 

 その瞬間。

 以蔵の身体は危険を感じとり、刀を構えた。


「ガチャッ」


 春蔵が手に持つ、大刀を投げ捨てた。

 そして獲物を襲うごとく鋭い眼光で以蔵を捉えた。

 残像がフワフワとこちらに近づく。

 春蔵は、脇差に手をかけると、流れる様に以蔵の胴を横一閃 に薙いだ。

 

 体が交差した次の瞬間、返す脇差の切っ先が目の前に迫る。


「・・・・・・」

「・・・・・・」 


 脇差の切っ先が以蔵の喉元で止まった。

 

 全身の毛穴が一斉に開き、冷たいものが走る。

 

 腰と足の力が抜け、以蔵は床に崩れ落ちた。


――― 死んだ・・・


 以蔵は、ゆっくり目を開け映るものを捕えようとした。

 目の前には目尻に深くしわを作って、笑顔で破顔する春蔵先生の顔が映った。


「以蔵っ!」

「素晴らしかったぞ」

「よくここまで研鑽けんさんした」


 春蔵先生は、倒れた以蔵の横に座り話を続けた。


「鏡心明智流はな」

「一刀流に小太刀を合わせた二刀流が本来の姿だ」


「儂も若い頃・・・三代目にさんざん打ちのめされた」


 そう言うと春蔵先生は、髭をしごきながら遠い目で空に浮かぶ月を見上げた。

 

 静かになった道場の沈黙を破る様に以蔵は問う。


「先生っ!」

「儂ゃ阿呆やきにっ」

「先生や武市さんの様に上手くできんぜよ」


 春蔵先生は、以蔵に諭すように言う。


「以蔵よ」

「賢いヤツは、自分の限界を自ずと決めている」

「だがな・・・阿呆なヤツは自分の限界を知らず、努力次第で自分の限界を越えられる」

「以蔵、お前は日々の厳しいい剣の鍛錬で、既に武市半平太を越えておる」


 そう言うと春蔵先生は、昔を懐かしむ様に目を細めて話を続けた。


「儂はな・・・」

「若い頃、三代目と命を懸けて闘った」

「しかし決着はつかなかった・・・」


「闘いの駆け引きの中で、お互いの志向がわかる様になってきた」

「三代目は、ただ純粋に強くなる為に闘っていた」


「儂らは、命のやり取りの中で、お互いを認めたのだ」

「そして、お互い自分の持てる最高の剣技で闘えた」


 そして春蔵先生は、一本の脇差を以蔵に手渡した。


 ――― 重い・・・


「この脇差は、”無名むめい”だが・・・」

「儂が剣の修行中に譲り受けたものだ」

「世に出ていない刀工とうこうが打ったものだが、まれにみる逸品だ」


「この脇差を以蔵おまえたくす」

「これから戦いの中で以蔵おまえを護ってくれるだろう」


「死なずに必ずここに戻ってこい」


 以蔵は、ゆっくりと脇差を抜いてみる。

 身幅が厚く恐ろしく鋭利な刃。月の明かりに青白く光りを帯びている。

 

「九州を旅するなら日向ひゅうがに住む、儂の兄弟子を訪ねよ」

「兄弟子は、剣の使い手じゃ」

「そして、先ほど見せた剣技を完成しろ」

 

 脇差を受け取った、以蔵の手が震えた。


 声にならない沈黙。

 目の前が雨を打った様に霞んだ。

 

 そして脇差しを抱えながらうずくまる。

 

 へその下あたりから底知れぬ力がきあがり、脳天に駆け上がっていった。

 

 春蔵先生は、以蔵の肩を叩くと静か立ち去った。

 

 道場の出口で春蔵先生は、こちらを振り返ると姿勢を正し一礼した。

 

「ありがとう・・・」


 道場に響くほどの以蔵の大きな声は、語尾がかすれて消えた。


「・・・」

「ありがとうございましたっ!」


 以蔵の大きな声が道場に響きわたった。

 

 そして以蔵も姿勢を正し深々と頭を下げ一礼を返した。


――――――

 それから一週間後。

 以蔵と半平太は、一年間、剣術修行に明け暮れた江戸の町を後にした。

 次の藩命を行使する為、一路、故郷の土佐藩へ旅立っていった。



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