第8話 金時計

 品川の土佐藩下屋敷の一画に、国元より江戸に出仕している郷士たちが住む侍長屋がある。広さ四畳半ほどの部屋に小さな土間がある質素な造りの部屋である。

 部屋の壁一面に山の様に積まれた書物と小さな机が一つ置かれた、几帳面な武市半平太の部屋である。

 この侍長屋で暮らす郷士たちに比べれば、若干優遇された部屋の広さである。

 半平太が積まれた書物に向かって、腕を組み、何やら思案した様子で座している。


「武市さん、おるかや!」


 以蔵が勢いよく戸口を開け、入って来た。

 半平太は、以蔵の粗野な態度にも微動だにしない。


「武市さん。これを!」


 以蔵が大切な物をあつかう様に半平太の前に手の持つ包みを膝元に差し出した。


「これは!」


 半平太は、一瞬驚きを見せたが、差し出された包みを慎重にほどいた。

 中身を確認した半平太は、ゆっくり目を閉じると壁沿いに天井を見上げた。


「はあ~」


 溜息をつく。

 そして、ゆっくり包みの中身に手を伸ばし、そっとつかむと口に運んだ。


「・・・」

「はあ~」

「・・・」

「武市さん! どや!」

「甘美屋の新作が出たんや!」

「・・・」

「たまるかっ~」


 半平太が思わず、首をうなだれる。

 一つ目をあっと言う間に食べ終わると、二つ目に手を出した。

 

 普段は厳格な態度の半平太の緩んだ顔。

 この顔が以蔵はたまらなく好きなのである。

 

 三つ目を食べ終わった後、半平太が襟を直す。

 改めて正座し、以蔵に向き直った。


「以蔵!  実はな塾頭になった最初の仕事ととして、この桃井道場の風紀を改めようと思うちょる」

「確かに、この道場は色んな藩の寄せ集めじゃ」

「各藩のやり方は色々あるじゃろうが・・・」

「桃井道場としての規律は守らにゃいかん」

「規則を破った者は、力で抑える事も考えちゅうがじゃ」


「そこで、おまんや衛吉にも手伝うて欲しいがじゃ」

「・・・」


 ◆

 そんな事を話していると。

 隣の家からでも聞こえる様な大きな声で、半平太を探す声の主。


「武市さんは居りますかいのう~」


「龍馬! 久しぶりじゃのう~。」


 久しぶりに再会した懐かしい顔に、半平太の声も高くなる。


「おまんが御世話になちょる千葉道場」

「定吉先生らあに迷惑かけんようにシャンとせにゃいかんぞ」


 真面目な顔で諭す半平太。


「半兄!  儂ゃもう子供やないきに」


 バツが悪そうに頭をかく龍馬。

 

 その後ろには龍馬に隠れる様に肩をすぼめる様に立つ山本琢磨。

 この三人は親戚関係であり、半平太を兄貴分とする幼馴染である。

 

 以蔵にとって、この坂本龍馬は苦手な存在である。

 自由奔放な性格に行動力が合わさり、昔から破天荒な行動を度々する。

 自腹で江戸へ剣術修行に行くと言い出した時は驚いたが・・・

 土佐藩士たちが多く入門している桃井道場でなく、なぜ千葉道場なんじゃ?

 自分には真似できない行動が羨ましくもあり、また理解できず、この男との見えない壁を感じる。


「以蔵もっちょうどええ」


 と子供の様な満面の笑顔で気安く声をかけてくる。


「半兄。実は大事な相談があるがじゃ」


 あらたまった態度で龍馬が半平太に相談する場合、たいていは厄介事である。


「実はな、この琢磨の事なんじゃが・・・」


 龍馬と琢磨が神妙に半平太の前に正座する。

 そして龍馬が半平太に事情を話始める。


「なんじゃとっ!」

「半兄! 怒らんでつかあさい」

「琢磨も悪気があってやった訳やないきに」


「あたりまえじゃっ!」

「そんな事は、儂が許さん!」

「琢磨も反省しちゅうきに」


 龍馬と琢磨の話によるとこうである。

 桃井道場の門人であり、琢磨と飲み仲間の棚村作八が、酔った勢いで古物商の佐州屋金蔵ともめ事となり、佐州屋が落とした金時計を拾った。

 それを、こともあろうか棚村作八が桃井道場の師範代・山本琢磨の名で転売してしまった。

 琢磨は金時計を買い戻す為、竜馬に相談し金を用意してもらい金時計を買い戻す段取りとなった。


「そこでじゃ」


 龍馬が、半平太に身を乗り出して話しかけた。


「わしゃあ、この風貌じゃあ」

「相手方が今一つ信用してくれん」

「そこで、“桃井道場の塾頭・武市半平太”に相手方を説得して欲しいがじゃ」


 半平太は両腕を組み、渋い顔をしながら天井を見上げた。


「・・・」

「承知した!」

「桃井道場の名を出したからには、春蔵先生に迷惑がかかっては申し訳が立たん」

「儂が行こう」

「半兄っ、助かるちや」


 龍馬と琢磨は、ほっと胸をなでおろす。


「早いほうがええ。早速、相手方の所へ行こう」

「龍馬。金はもう用意しとるんか?」


「はっはは。国元の権平兄さんに用意してもろた」

「龍馬。おんしな・・・」


 子供の様に笑う龍馬を見て、半平太が呆れた様で言った。


 ◆

 数日後、半平太の口添えで相手方との交渉は無事終わり、金時計を買った主から買い戻す事ができた。

 半平太は、詫びをかねて、古物商の佐州屋金蔵に買い戻した金時計を返しに向かった。半平太の丁重な物言いに佐州屋金蔵は上機嫌であった。


◇◆◇◆事件

 暫くして、事件が起こった。

 土佐藩 目付役が藩の捕り方を連れ、山本琢磨を捕縛にやって来たのである。

 先日、佐州屋金蔵に返した金時計は実はロシア領事館から盗まれた盗品であることが発覚したのだ。

 江戸幕府から土佐藩邸に対し窃盗の疑いと犯人捕縛の御沙汰が下った。

 十数人の藩の捕方が半平太たちの住む土佐藩邸を囲み、なだれ込んで来た。


「山本琢磨に窃盗の疑い、神妙に御縄を受けよ!」


 半平太と同じく、江戸に住まう郷士の世話役で上士に信頼の厚い 大石弥太郎と 事情を知る武市半平太が慌てて対応に現れた。


「山本琢磨を早々に連れてまいれ」

「郷士ども、かばい立てすれば、お前たちも同罪と見なし捕縛する」


 弥太郎と半平太が事の成り行き説明したが、上士である目付役は聞こうとしない。

 最初から下手人扱いである。

 

 琢磨が目付役の前に引き立てられ、下手人の様に頭を地面に押し付けた。

 

 騒ぎを聞きつけた、郷士たちが集まって来る。

 半平太から事情を聞いていた数人の郷士は、怒りで拳を握る。

 血気盛んな者は、今にも暴発しそうに前のめりに構えた。


「郷士ども、よくも藩に泥を塗ってくれたな!」

「ロシアと戦にでもなったら何とするかあ!」

「幕府より、きつい詮議があるので覚悟せえ!」


 半平太が目付役と琢磨の間に割り込む。

 深々と頭を下げ、土下座すると事情を詳しく説明し始めた。

 そして、何度も何度も地面に額を当て説明した。

 

 小さくなっていく半平太の後ろ姿を琢磨は体を震わせ見つめる。

 半平太の姿を周りで見ていた郷士たちが、ざわめき立つ。

 岡田以蔵が早いか、島田衛吉が早いか、二人は刀の柄に手をかけ、半平太に走り寄ろうとする。


「貴様っ何をするか!」


 捕り方の一人が、大声を出す。

 琢磨が捕り方の脇差をサッと引き抜くと、自分の腹に突き立てた。


 ――― 何が起こったか?・・・


 一瞬辺りが静まり返った。


「半兄・・・すまねえええ・・・」


 琢磨の片方の目から涙が一筋落ちる。

 予想もしない琢磨の行動に目付役、捕り方、周りの郷士が動揺した。

 

 走り寄る以蔵が、倒れそうになる琢磨の身体を覆った。

 生温かい液体が琢磨を支える手首に流れ落ちた。

 敷き詰められ庭石に赤い血が落ちて広がる。


「以蔵。以蔵・・・」


 小さな声で琢磨がささやく。


「半兄すまんちや・・・」

「以蔵・・・儂、まだ死にとうない」


「貴様あああああ!」


 目付役の上士が動揺して罵倒する。


「くそっ!」


 左手で琢磨を抱えたまま、以蔵が腰に差している脇差を抜き、目付役の顔に向けた。

 ワナワナ震える手と獲物をにらむ様な以蔵の鋭い目に目付役が後ずさりする。

 すかさず、島田衛吉も脇差を抜き琢磨達をかばう様に横に立ちふさがった。

 それに呼応する様に柳井健次、池内蔵田ら数名が立ちふさがる。


「貴様ら!」


 目付役の上士の顔は歪み、見る見る赤くなり、さらに動揺して罵倒する。


 すると、大石弥太郎が目付役のそばにサッと近づく。

 そして目付役に何やら耳打ちした。


「・・・・・・」


 目付役は、声高に言う。


「その者、もう長くは持ちまい」

「手厚く葬るように!」


 そう言うと周りの捕り方に対し、怒鳴る様に声をかけ藩邸を急いで出て行った。


――――――

 琢磨は一命を取り留めた。

 大石弥太郎の機転で、山本琢磨は自害し、死んだ事となった。

 

 この一件で郷士たちの間では、上士に対する怒りや反発が高まっていく。

 半平太は、江戸に居る郷士たちの怒りを抑えこみ、来る日に備えて団結を図った。

 後に江戸で結成される”土佐勤王党”の核となる事件であった。

 

 数日後、傷の癒えた琢磨は、知り合いの居ない地に旅立った。

 見送るのは、半平太、以蔵、龍馬の三人である。

 まだ日も昇らぬ肌寒い朝、北へ向かって琢磨は一人旅立って行った。


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