第7話 一刀の幻影

 桃井道場の朝は早い。

 土佐藩邸は桃井道場にほど近い場所にあり、藩邸の一画に建てられた侍長屋で暮らす以蔵ら門下生たちは、朝日が昇る頃には仕度を済ませ道場に集まる。

 

 道場の掃除を済ませ、軽く稽古を終わらせた頃には、遠方から通う他藩の門下生や内弟子たちが集まり、本格的な練習が始まるのだ。

 

 江戸の城下や近郊の町や村には大小合わせ百とも二百ともいわれる流派や剣術道場がひしめきあう。

 ここ鏡心明智流・桃井道場の士学館は初代 桃井春蔵が、戸田流抜刀、小野派一刀流、柳生流を基に鏡心明智流を創案したものである。

 現在の道場主である、四代目 桃井春蔵の品格もさることながら、剣術の形を主とするわかりやすい指導は人気があり、江戸三大道場といわれるまでの大所帯に発展させた人物である。

 

 近年、江戸で主流となっている稽古用の防具を身に着け、竹刀で打ち合う練習方法を桃井道場もいち早く取り入れた。

 木刀での打ち合いに比べ、防具を着用している為、打たれても衝撃が少なく存分に打ち込み稽古ができ為、武士に限らず町人たちの間でも気軽に入門できる様になり、江戸の町では剣術ブーム全盛期を迎えていた。

 

 しかし、中級、上級となると実践を想定した、ぶつかり稽古が多くなる。

 武市半平太は、小野派一刀流免許皆伝である為、土佐の武市道場の門下生は皆、一刀流を主として使うが、土佐の荒々しい気性が加わり剣筋もかなり荒々しい。

 以蔵の剣もかなり独特で、武市道場の中でも群を抜く荒々しさである。

 自然と身に付いた防御の技術は師匠の半平太 譲りで、師の半平太もこれには手を焼く才である。


◇◆◇◆一刀の幻影

 稽古も終わりの頃。

 武市道場で同輩であり、桃井道場でも同輩となる山本琢磨が以蔵に声をかけた。


「以蔵」

「儂ら今から浅草で芝居見物に行くんじゃが、お前どうする?」


「儂はもう少し稽古していくきに」


 まだ息が荒く、手ぬぐいで玉の様な汗をぬぐいながら、以蔵は答える。

 

 各藩から集まる門人達の多くは、藩の仕事を持っている。

 午前中に練習を行い、午後から夜遅くまで仕事。仕事が終われば同僚や上司との夜の付き合いで忙しい。

 武市半平太も例外ではない、剣術修行の藩命を受けているものの、江戸に出仕中の郷士たちの管理や他藩との外交接待等の御役目を受けている。

 それに比べ、以蔵たちの身は軽い。

 半平太の護衛役の名目で江戸剣術修行に来ている為、藩に大事が発生した場合に収集される程度である。

 午前中は桃井道場で練習し、午後は自由行動である。

 暇を持て余した同輩たちは、昼間から連れたっては町に繰り出す。


 ◆

 午前中の練習が終わった道場は、さっきまでの活気に満ちた道場とは違い、人の姿も無く静まりかえっている。

 夕方になれば、また門人達が集まり、熱心な町人たちが集まってくる。

 以蔵は側らに木刀を置き、正座したまま目を閉じ、耳を澄ます。

 風に吹かれた庭の葉擦れの音だけが微かに聞こえる。


「ふうううううう・・・」


 大きく息を吸い、吐き出すとゆっくり立ち上がる。

 正面にむかい、腰に収めた木刀をゆっくり抜き、正眼に構える。

 そして木刀を肩口まで持ち上げ、八相の構えをとる。


「きええええっい!」


 短いかけ声。

 幻影の相手に向かって、肩口から心の臓にかけて斬り込む。

 間髪おかず後ろに飛びずさり、反対の肩口から心の蔵に斬り込む。

 右に体をさばき、斬り込む。

 左に体をさばき、斬り込む。

 激しく何度も同じ動作を繰り返す。

 以蔵の息が苦しそうに徐々に荒くなる。


「きえっい!」


 相手の喉元めがけ気合を込めた突きを出す。

 

 道場は静まり返り、以蔵の呼吸だけが辺りに響いた。


「だああああ。いかんちや」


 床にドスンと座り込むと、以蔵の落胆の声が漏れ響く。

 大の字に寝ころび、高い天井を見上げた。


 ◆

 数日前のこと以蔵は一人残り、道場で稽古をしていた。

 武市道場では余力を有り余し、相手に手加減もしていたが、ここではさすがに通用しない。


――― 人の倍は稽古して強くなりたい。


 突然。

 道場の入り口から、以蔵に問いかける声がする。

 以蔵は声の主に振り返る。


「おまえさん。」

「何と戦ってるんだい」 


 ――― 桃井春蔵 先生 ?


 以蔵は驚く。

 稽古場で数回見かけたが、言葉を交わしたことはない。

 三大道場の中でも“位の桃井”と評される人物であるが・・・

 以蔵には、その“くらい”が理解できない。

 門弟を指導する姿からは、剣士としての強さは感じなかった。


「・・・・・・」


 春蔵先生は壁に掛けている木刀を二本つかむと以蔵に一本手渡した。


「打ってきな」


 春蔵は、木刀を構えると、以蔵に催促した。

 年齢は、四十才前後だろうか。

 すらっとした長身に顔立ちも丹精である。


 ――― 確かに品があり男前だ。


 と以蔵は思った。


「本気できな」

「じゃなきゃ、面白くねえ」


 ――― 木刀? それも防具を着けていない。

 ――― 当たれば、大怪我をする。


 躊躇ちゅうちょする以蔵をみて、目を細めると顎をしゃくる。


「怖ええかい?」


 と同時に春蔵は、以蔵の脳天めがけて木刀を振り下ろした。

 反射的に手に持つ木刀で頭をかばう。


「かちんっ」


 以蔵の額の前で、交差した木刀が小さく音をたて制止する。

 春蔵の表情からは真意は読めない。

 

 以蔵は、春蔵に向かって木刀を構えた。

 春蔵も正眼で構える。


「・・・」


 師の半平太に似て、この先生も隙が無い。


――― ああっそうだ!

――― 最近、すっかり防具と竹刀を身に着けた江戸流に慣れてきたが

――― 土佐にいた時もこんなだったな


 以蔵は深く息を吸い少し吐き出すと、目を見開く。


 木刀の柄を強く握り直すと重心が沈む。


「せいっやっ!」

 

 以蔵は躊躇ためらいいを振り切った様に、春蔵めがけ一歩踏み出す。

 上段に振りかぶり、袈裟がけに振り下ろした。


 一瞬、春蔵の顔ががユラリッと揺れ、視界から一瞬消えた。


 次の瞬間、以蔵の振り上げた腕に衝撃が走り、木刀を取り落とした。


「カラン」


 ――― 先に仕掛けたはずが・・・腕を打たれた?


「真剣の立ち合いなら、腕から肩口、斬り落とされていたぞ」


「・・・・・・」


 以蔵は、なにやらブツブツ独り言をいながら落ちた木刀を拾う。

 そしてもう一度、正眼に構えた。


「はあっ」


攻撃の掛け声をかける。と同時に大きく跳躍し前に出る。


「カラン」


 今度は肩口から手頸にかけて衝撃が走り、木刀を取り落とした。


「ぬわっ」


 雄叫びと共に落ちた木刀を拾うと体ごと、春蔵に斬りかかった。


「カラン」


 今度は反対の腕に衝撃が走り木刀を取り下ろした。


「ドンッ」


 春蔵のすらっとした体格とは思えない程の衝撃で以蔵を突き飛ばす。

 以蔵は後ろに豪快に転がり倒れた。

 

 春蔵が、しゃがみこむ以蔵に向かって低い声で言う。


「どうじゃ」

「左右、上下、遠近、どの状況であっても剣先三寸」

「一太刀で切り伏せる一刀の極意は?」


 そう言い残すと春蔵は、持っていた木刀を壁掛けに戻すと道場を立ち去った。

 

 残された以蔵は床にうずくまる。

 うずくまったまま、以蔵の体が上下に揺れる。


「ははっはっ・・・」

「こりゃあああ、たまるかっ」

 

 両腕は木刀で打たれた箇所が赤い線を残しれている、が、痛いはずの痛みが無い。

 むしろ、腹から湧き上がる力を抑えられるか? 以蔵は心配であった。


「ははは・・・」


 誰もいない、静かな道場に以蔵の含んだ高笑いの声が響き渡った。


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