第3話 墨龍先生

 土佐の海岸。水平線から太陽がのぞき始め様とする頃、夜のうちに浄化された空気は清々しく、優しい風となって心地よく肌にふれる。

 早起きした鳥たちが、競う様に身をぶつけ、せわしくささえずりあっている。

 

 ふっと、かすかに夏ミカンの様に甘く、なんとも言えない香りが鼻先を通って喉元を過ぎた。

 

 目を閉じたまま、その甘い香りを吸う為、大きく深呼吸をする。


「はあ・・・」


 ――― 俺がなんとも安心する香りだ。


「以蔵っ!」

「まだ寝てんのっ!」

太陽おてんとうさまが上がるよっ!」


「はあ・・・」


 ――― いつもの安心する響きだ。


 片目を開けると長い髪を後ろで一つにまとめ、太陽の光に包まれた様な元気な娘が俺の顔をのぞき込んでいる。


 俺は、けだるそうに無視する・・・。


 バサリッと布団が勢いよくがされる。


「起きなさいっ!」

 

――― いつものことだ。


「春姉っー」


 布団を取り返そうとする。

 

――― 思えば、こんなやり取りを小さい時からやっているなあ。


 何かと世話を焼いてくれる、この娘は、春姉。

 

 三歳上だが俺とはくらべものにならないぐらい、しっかり者だ。


「昨日も遅かったわね!」

「また武市さんのところに集まってたのね」


 春姉が呆れた様に以蔵の顔をのぞき込む。


「今日は、武市さんと一緒に隣町の道場に教えに行く日でしょ!」


「武市さんに迷惑かけたらあかんよ!」


 春姉が弟にさとすす様な口調で注意する。


「そういえば、最近、春姉が顔見せないって、武市さん心配してたぜよ」

「早く、武市さんとこに押しかけないと、他のヤツに取られ・・・」

「ばっかっ!」

 

 あきれれて怒った様子の春姉は、以蔵にげんこつを一発くらわし、そそくさと部屋を出ていった。

 

 小さくなっていく、春姉の背中をながめながら、以蔵は昔を思い出す。

 

 ――― 武市半平太 ・・・

 土佐藩は藩士の身分差が明確で城を中心に囲む様に上士の屋敷、それを囲む様に城下町が広がり、さらに周辺に俺たち郷士の住居が立ち並ぶ。

 郷士は、苗字みょうじ帯刀たいとうが許されているものの、暮らしぶりは農民と変わらず先祖伝来の小さな農地を耕し、生活の糧としている。

 戦が始まれば、くわを刀に持ち替え藩主の元に集合する。

 

 暮らしに困った郷士は、裕福な豪農や豪商に武士権を売り渡し、生計を立てる者もいる。

 

 以蔵の実家である岡田家は、他の多くの郷士と同じく、中流家庭でけっして裕福な生活ではないが、武士は文武両道を旨とする為、小さい頃から、学問所や剣術道場へ通っていたが、結局、肌に合わずやめた。

 

 そんなおり、以蔵の父親は英才で評判になっていた、武市半平太の所に以蔵を連れて行った。


 以蔵 八才、半平太 十六才。

 

 以蔵が引き合わされた青年・武市半平太のその涼気な表情と整った顔立ちに加え、発する言葉や所作しょさは、以蔵が今まで出会った者の誰よりも輝いて見えた。

 それ以来、以蔵のあこがれれであり、頼れる兄貴であり、師でもあった。

 

 半平太は幼い頃より、千頭道場で小野派一刀流の腕を磨き、新な師となった土佐藩 屈指の剣の使い手と名高い、同じく一刀流 麻田勘七の道場でも免許皆伝の腕前である。

 それもそのはず、午前中は、自分の開いた剣道場で門下生達を教え、午後からは麻田道場に通い、剣の腕を磨く熱心ぶりである。

 夕方からは、学問所として私塾を開いている強者つわものである。

 塾や道場には評判を聞きつけた郷士や町人、農民たちが熱心に通ってくる。

 

 半平太が剣術道場を開校したのをきっかけに幼馴染である俺たちも集まった。

 俺たち学問に興味の無い悪童たちは、学問そっちのけで毎日剣術道場に集まり、日々剣術練習をしている。

 武市さんの熱心な指導のおかげで剣の腕を上げ、剣の腕だけは武市さんと互角と自負している。

 へそ曲がりな俺の剣は、武市さんの正当派な剣術に対して、型破りな個性派といったところだろうか。


 俺も武市道場の四天王などと、おだてられ悪い気分はしない。

 

 武市さんは、この土佐にいても情報収集を怠らない。

 江戸や各藩に剣術修行から帰った郷士を招き情報を集めたり、集会を開き藩の行く末を話しあったりもする。

 藩の見回り役人の目もある為、酒を飲みながら、さながら宴会といったところだ。

 酒が入ると最初は、まじめに話しているが、だんだん愚痴になり、自慢話になり、ついには喧嘩が始まり、最後は、酔って寝てしまうありさまだ。

 

 昨晩は、江戸での黒船騒ぎの話しを聞き、俺たちの話題は大いに盛り上がった。

 

 戦に備えて、土佐藩士こそが弱腰の幕府を支えて戦う。

 俺らは剣の腕を磨いて将軍様をお助けするのだ。


「痛たたたっ!」

「・・・」

 

 だが、昨晩の深酒ふかざけで頭が痛い・・・。

 酒が残ったけだるい体を無理やり起こし、今日も一日が始まる。


◇◆◇◆墨龍先生

 今日は武市半平太のともをして、隣町の剣術道場に教授方きょうじゅかたとしての仕事である。


 以蔵は、半平太と待ち合わせの為、半平太の道場に向かった。

 

 以蔵が道場の門をくぐると真剣な表情で筆をはしらせ、画を書いている半平太の姿。

 

 声をかけても全く気づかない・・・。

 

 腕を組んで暫く半平太の様子を見る・・・。


「墨龍先生!」

「墨龍先生!」


 剣術の腕もすごいが、水墨画の腕も大したもので、ちまたで“墨龍先生”とも呼ばれている。


 以蔵は、静かに近づき、半平太に声をかけた。


「おおっ以蔵!」

「いつ来たんじゃ!」


「 見てみいっ! 今朝な牡丹ぼたんの花が咲いたがじゃ」

「どうじゃ!“花の王”に相応しい、立派な大輪じゃろがっ」

 

 幾重いくえにも重なる真っ赤な絹の様な花びらが集まり、一輪の大輪となって咲きほこる。

 

 うれしそうに話す半平太の手元を以蔵は大きな目でのぞき込んだ。

 半平太の描く台紙には、赤い大輪の華が美しく描かれている。


◇◆◇◆町道場

 半平太がよそった朝食を二人は食べ、隣町の剣道場に向かった。


「以蔵!」

「お前、剣術教授おしえに行く時は、“酒は飲むな” と言うとろうが!」

 

 半平太の以蔵を叱咤しったする低い声が心に響く・・・いや、二日酔いの頭に響く。


「武市さん、すまんちや」

「昨日、久しぶりに、江戸から“琢磨”が帰って来たきに、ついつい」


 半平太がジロリッと睨む・・・


「いつも“酒に飲まれるな” 言うととろうが!」

「いつ、どこで、何が起こるかわからんけの」

「常に準備をおこたるな」

「兵法ではな・・・」

「たっ武市さん、解ったきに」

「勘弁してつかあさい」

 

 半平太の兵法論を交えた、講釈こうしゃくが始まったと思った以蔵は、そそくさと謝り、話をさえぎった。


「以蔵。道場に着くまで、“六韜りくとう”の第一巻を暗唱せえっ!」


 半平太の切れの良い指示がとぶ。


「武市さんっ! もう解ったきに・・・勘弁かんべんしてつかあさい」

 

 以蔵は、本当に困り果てた様に情けない口調で返す。


「・・・」

 

 半平太の後ろを歩いていた以蔵は、半平太の肩が上下に動いたのを見逃さない。


「武市さん。今、笑うたかえ?」

 

 半平太の肩が、小刻みに上下する。


「・・・」

「以蔵・・・いや、もうええ」


 ◆

 小一時間こいちじかんほど歩くと隣町の剣術道場である。

 土佐藩でも大きな道場に数えられ、立派な門構えである。

 この道場は、藩から正式に認可を受けた道場で、上士や郷士に関係なく多くの門人達が通う。


 二人が道場門前に着くと早速、道場の門番が中に案内してくれる。


 半平太の様に一刀流免許皆伝の認可を持つ者は、剣術の教授方きょうじゅがたとして定期的に依頼を頼まれる。


 教授時間は午前、昼食を挟んで午後、上士がまだ道場にいない時間帯である。

 半平太が教授する門人達は、苗字みょうじ帯刀たいとうを許された豪農ごうのうの息子や裕福な郷士などが主な生徒である。


 内心、上士嫌いの以蔵にとっては、あまり居心地の良い道場ではない。

 だが昼食付で剣術教授の給金がその日に手渡される為、結構いい稼ぎになるのである。


 二日酔いで少し重い心身を鼓舞こぶし早速、防具を着け、道場に向かう。

 さすがに大道場に通うだけあって、武士ではないとはいえ皆、着けている防具は立派な仕立てである。


 半平太の掛声かけごえで練習が始まる。

 

 色白肌ですらっと背が高く、普段は物静かな半平太だが、竹刀を握ると迫力と剣技に皆が圧倒される。

 

 門弟達は、半平太にたっぷりしごかれる。

 

 しかし、剣技の見事さと剣を交えた時、一人一人に対しての繊細な指導に人気が高い。

 それに比べ、以蔵の粗削りな力技の剣技は半平太と対象的ではあるが、力を持て余した者たちからの人気は高い。

 半平太 いわく、それで良いそうだ。


「がっは!」「ひー!」


 一通り練習が終わると門人達は、荒く肩で息をし、その場に座込だり、思わず倒れ込む。

 以蔵は、内心ないしん、その門人達の無様ぶざまな様子に同情する。

 ――― 儂らあ、こんなもんやないぞ! 毎日やぞ・・・


◇◆◇◆上士の礼

 午後の練習が全て終わり、道場主に今日の報告を終えた後、半平太と以蔵はそそくさと道場を去ろうと玄関先の草履を履いた。


「武市っ!」


 後ろから野太のぶとい声。

 立派な着物、高価な装飾品を身に着けた侍が声をかける。

 白足袋に下駄げた。後ろには、同じ様な下駄を履いた侍が二人。

 半平太は、無言のまま、二歩下がると地面に正座し頭を深々と下げた。

 以蔵も半平太に遅れて正座し頭を下げた。

 

――― ちっ。大番組頭のヤツか!


「武市っ!」

「お前、新町しんまちに自分の道場を開いたそうじゃの」


「はっ。おかげ様で小さいながら開校させて頂いております」


「さすが白札しろふだの中でも英才で名高い武市じゃの」


「しかし残念じゃ」

「お前の父親が生きておれば、あの無頼ぶらいの者に我が藩を好き勝手さ

せぬものを・・・」

 

 腹立たしそうに言う大番組頭の言葉。


「ちゃんと郷士達をまとめておけよ」

「何かの役にたつかも知れんからの」


 表情は見えないが、含みのある言回し。


「はっ!」


 半平太の歯切れの良い返答を聞き、満足気に高笑いし、道場の奥へ消えていった。

 

 半平太が、ゆっくりと顔を上げる。

 物静かな表情からは半平太の心を読めない。

 

 色白顔の半平太の首筋が薄っすらと赤くなっている事に以蔵は気づいた。


◇◆◇◆迷走

 町道場からの帰り道。

 半平太は重い表情で押し黙ったままである。


「武市さん、日銭も入ったし、甘いものでもって行こうや」


「おっおおっ・・・」

 

 半平太のちょっとぎこちない返事に以蔵は、通りにある茶屋を指さし誘った。

 

 以蔵が先頭に茶屋に入る。


「“しるこ” ふたつ」

「あと酒をつけてくれ」


 以蔵たちは一番奥の席に座る。

 

 暫くすると、“しるこ”と酒が運ばれてきた。

 

 以蔵は、杯を取ると一人手酌てじゃくで酒を注ぎ、一気に飲み干した。


「武市さん。さっきヤツの言った事を気にしちゅうがか?」


「武市さんの才能と人気をねたんじゅうだけやきに」


「上士がそんなにえらいがか?」


 以蔵は丸っこい目をして、半平太を見た。


「以蔵っ、めったな事を言うたらいかん」

「山内家の血筋じゃけんの」

「・・・」


 場の空気を変えようと以蔵が半平太に問いかける。


「武市さん。わしゃ学問は向いとらん。ちっとも頭に入らんぜよ」

「・・・」


 半平太は、ゆっくりさとす様に答える。


「以蔵よ。人それぞれ得て不得手があるんじゃ」

「まずは自分の得意な事を一生懸命すればええ」

「そうすりゃ何が自分に必要で、何を学ばないかんかが判かってくるもんじゃ」

 

 以蔵は、あごに手をやり溜息をつく。


「はー そんなもんかいのー」

「・・・」

「まあー」

「誰がっなんちゃあ言おうと、武市さんは、儂らあのかしらやけ」


「たのんますよ」

「・・・」

「儂の“しるこ”もうてええきに」

 

 そう言って、半平太の前に自分の“しるこ”を差し出すと、また以蔵は手酌で酒を注ぎ口に運んだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る