第4話 江戸にいくぞ

 武市半平太が初めて自分の剣術道場を開いたのは、十八才の時であった。

 半平太の実家の裏にあった空屋を改築し道場を始めた。

 道場には幼馴染の同輩をはじめ、半平太の英才の評判を聞きつけた郷士達が集まり順風満帆な始まりであった・・・。

 

 半平太 二十歳、半平太の両親が突然、亡くなった。

 まだ才若としわかいい半平太にとって父の役職を継ぐ事はかなわず、藩での役職は剥奪はくだつされ、武市家の存続も危ぶまれた。

 しかし、半平太の父の友人であり、槍術家で名高い島村源次郎が半平太の後見人となり、武市家の白札しろふだとして身分は剥奪はくだつされずにすんだ。

 島村源次郎は、半平太が幼い頃の兵法の師でもあり、半平太の才能と人徳に惚れ込み、共同で道場を始めた。


 武市半平太の評判は益々上がり、郷士に留まらず、近隣の豪農や町人も門弟に加わっていった。

 半平太を慕う門弟は、既に百二十人を超え、手狭になった今の道場から、城下近くの新町しんまちに剣術道場を移した。


◇◆◇◆武市道場

とみさあん」

「武市さんは、るかえ?」


 新町しんまちの新しい道場の裏手にある、炊事場で、以蔵の大きな声が聞こえる。


「いい魚がとれれたけえ、食べとうせえ」


 暫くすると、奥から着物に前掛まえかけけ姿の若い女性が現れる。


「まあ、まあ」

「以蔵さん・・・」


 半平太と島村源次郎の道場のまかないいを手伝っていた、源次郎の娘“とみ”が、いつの間にか半平太と夫婦になった。

 おっとりしたしゃべり方だが、島村家の男所帯で育った為か、かなりのしっかり者、そして料理上手である。

 百二十人にもなる門弟の世話に加え、半平太の所に訪れる来客者は日々後を絶たない。


旦那だんな様は、大事な御用とかで朝から登城されましたよ」

「道場の事は、以蔵さんに頼むと言ってました」


「以蔵さんも大変ねえ」


 以蔵の差し入れに、おっとりした口調で、丁寧に笑顔で答え、以蔵が差し出す魚を受け取る。


「いつも・・・ありがとう」

 

 と言いつつ、指をあごにあて、ちょと困った顔をする。


「・・・」

わしがあ さばこうかいのう?」

「三枚におろせば・・ええがか?」


 とみさんは、以蔵の顔を見て、にっこっりと笑う。

 童顔どうがんのせいか、まだ幼さが残る顔立ちである。


「私の細腕ほそうでに余るきに・・・助かります」


「・・・」

「せやけど、武市さんととみさんが夫婦になるとはなあ」

 

 以蔵がとみの顔をのぞき込む様に問いかけると、うつむき、顔が少し赤くなる。


 子供の頃、島村兄しまむらあにと夕方遊んで帰って来ると、すり傷だらけの以蔵に「まあ、まあ、たいへん」と言っては、庭に生えているヨモギ草を手で潰して、傷口に塗ってくれる・・・。

 あの時の富姉とみねえさんがねえ・・・


◇◆◇◆藩命

 以蔵にとって半平太の剣道場は、居心地がいい。

 学問については熱心で無いものの、いざ剣術となると実力を発揮する。

 今や道場では敵なしである。

 もともと体格に恵まれ、小さい頃より野山を駆け巡り鍛えられた体である。

 そしてさいにも恵まれ、師が導く。

 環境がそろった時、砂に水がしみこむごとく能力を開花していく。


 武市半平太が忙しいときは、以蔵が代わって剣術指導を行うほどの成長ぶりであった。


 ◆

 登城で留守の半平太に代わり、道場の練習を終えた夕暮れ時。

 以蔵が裏井戸で汗を流していると、壊れる勢いで戸口が開いた。


「以蔵っ!」

「以蔵っ!」「以蔵はおるかっ!」

 

 肩を上下させて息を切らしながら勢いよく入ってきかと思うと、半平太が以蔵に抱き着いた。


「武市さんどうした?」


 驚いた以蔵の返事に、半平太が両手で以蔵の両肩を抑えた。

 両目は、大きく見開かれ、口元が異常なほどゆがんでいる。


「以蔵っ! やったぞ!」

「江戸だっ!」

「江戸に行くぞっ!」


 興奮こうふんを隠しきれず、まくしたてる。


「江戸に出仕しゅっしが決まったがじゃ~」


 普段は、物事に動じず冷静沈着、発する言葉に威厳いげんを漂わせているが、興奮こうふんするといつもこうだ。

 情熱が抑えきれず、目を爛々らんらんと輝かせ子供の様にはしゃぐ。

 

――― わるくない


 俺は、こんな子供の様な武市さんが大好きだ。

 

 半平太は興奮を内に抑えつつ、先ほど城での出来事を以蔵に話して聞かせる。

 

 郷士達に慕われ郷士をまとめようと頭角とうかくを現してきた武市半平太に対して、藩が目をつけた。


 半平太の主催しゅさいする塾や道場には、百二十人ほどの門弟が集まり、既に無視できない集団となっていた。

 元々地付きの郷士達をまとめることができれば、藩にとってかなりの勢力となり、藩の備えになると判断した藩主の重鎮たちは、半平太を江戸で学ばせ、郷士達をまとめる御役目を申しつけた。

 半平太が敬愛する藩主・容堂公から認められた喜びと、藩の為に働ける事が何より嬉しい半平太である。

 それはまた、長年さげすまれた郷士が上士と肩を並べる事ができる絶好の好機が訪れたのだ。


「武市さん。よかったな!」


 俺も、興奮する武市さんの手を握ると賞賛し肩をぶつけ合う。


「以蔵っ! なにを言うちょるかっ!」 半平太が目を見開く。


「お前も行くがじゃ!」


「一緒に江戸にっ行くがじゃ!」


 驚いた以蔵に興奮を抑えながら武市さんがゆっくり事情を説明してくれた。


「お前の強さなら大丈夫だ」

「儂の護衛役として、お前を推薦したがじゃ。」

 

 まじめな表情で大きく何度もうなずく。


「江戸の道場で学び、共に藩の為に働くぞ!」

「藩から給金きゅうきんもでる!」

「これで、お前も一人前の土佐藩士じゃ!」


 また、武市さんの興奮が高まり、興奮を抑えきれない。

 その晩、俺達は興奮冷めやらぬまま、子供に戻った様に朝まで語り合った。


◇◆◇◆決意

 数日後、藩から正式に江戸への剣術修行を通達する連絡があった。


「右の者、江戸剣術修行を命ず」

「藩命に従い、藩のいしずえとなるように日々精進いたせ」

「早々に準備をいたし、九月の吉日。江戸へ出立せよ」


 以蔵ら家族は狭い客間に集まり、命令書を読み上げる役人から、うやうやしく命令書を受け取った。


 残暑が厳しく、せみの声が辺りに響く夏の終わりの日であった。


 ◆

 その日の夕刻。

 岡田家の食卓に正月に出される様な豪華な食材が並んだ。

 父親は、居間に飾ってある、大刀を以蔵に手渡した。

 母親は、手造りの御守り袋を以蔵に手渡した。

 婆様は、密かに貯めた銀銭をこっそり渡してくれた。

 以蔵は、その時、家族との別れを実感し、同時に感謝と門出の喜びを改めて感じていた。


 ◆

 その夜、以蔵は興奮の為、寝付けなかった。

 こっそり家を抜けだし、人気のない浜辺で大の字になって夜空を見上げていた。

 

 昼は漁師たちや子供たちで賑わう浜辺だが、今は真夜中、人っ子一人いない。

 海を覗くと漆黒の闇底に自分が吸い込まれそうに感じる。

 定期的に聞こえてくる、打ち寄せる波の音。

 空を見上げれば明るく大きな丸い月が空に浮かぶ。

 周りには今にも落ちてきそうな星たち。

 磯の香りが腹にしみる。

 以蔵の左手には、父から譲り受けた大刀を握りしめる。

 時折、刀を抜いては、月明かりに照らし、銀色に光る刀を見ては、ニヤニヤする。

 そして無言のまま大きく深呼吸を繰り返す。

 

 藩からの命令で、自分の最も得意とする剣術での江戸剣術修行が決まったのだ。

 期待と不安が次から次へとあふれだし、頭の中をめぐる。

 まさか自分にこんなチャンスが訪れ様とは・・・想像もできなかった。

 毎日、毎日この田舎で小さな畑を耕し、仲間たちとふざけ合い酒を飲む。

 上士から不当な扱いを受けても酒を飲んで忘れる。

 いい年になれば、嫁を見つけて子をなす。

 一生この小さな田舎で暮らし、老いて死ぬ。

 これが当たり前の人生だと思っていた。

 

 しかし、この青年には想像もできないチャンスが与えられたのだ。

 まだ、土佐藩から出たことのない以蔵。

 今の心は不安でいっぱいだが、この閉ざされた藩から解放され、自分の好きな道で生きていく期待に心躍った。


 星空に向かって叫ぶ。


「やるぜよ!」

「儂ゃあっ! やるぜよおおおおっ!」


 “ぶるっと”背中から頭の天辺に向かって震えが走った。


――――――

 この希望に胸膨らます青年が数年後、天誅の名のもとに敵対する者たちを次々と暗殺し、京の町で “人斬り以蔵” と恐れられた男、岡田以蔵である。

今はただ希望に胸躍る十八才の旅立ちであった。


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