第2話 少年の瞳
暦の上では夏が終わり秋を迎える季節。
太平洋に面するここ南国土佐の国では、まだまだ暑い日々が続いていた。
古来より
しかし夜ともなれば秋風が心地良く、土佐の浜辺を吹き抜ける。
満月の夜。長く続く浜辺の水平線に丸い月がぽっかり浮かんでいた。
今日は珍しく海が
少し浜辺を歩くと湾曲した岬の端にごつごつした岩場が現れる。
月が人気の無い岩場に二人の人影を照らし出す。
「おーい!」
「これ!これ~! 」
右手を掲げ、息を切らしながら海岸線を走ってくる少年。
声をかけられた青年は、声の方を振り返る。
「おー! おまんか~」
「傷は、もういいがかよ!」
声をかけられた青年は、走って来る少年を目視すると心配そうに問いかける。
「あんな傷っ! たいしたことないですきに」
「わしゃあ強いけ~ はは・・・」
岩場に打ち寄せる波の音が、二人の声をかき消そうとする。
青年の日に焼けた黒い肌、隆起した背中の筋肉、引き締まった尻から、玉の様な水滴が肌を伝う。
まるで水辺で狩を終えた黒豹の様に・・・
息を切らして走って来る少年の瞳にはそう映った。
◇◆◇◆
海から上がった青年は、手際よく火を
手元に置いてあった刃物を鞘から抜くと、数回表裏に返しながら刃先を確かめる。
その使い込まれ研ぎ澄した刃物に燃え始めた炎が映り、揺らぎ、青年を映す。
刃物を包丁替わりに、収穫したばかりの獲物の半分を手際よくさばき、半分を火に投じた。
「美味そうヤツが獲れたけ~」
「おまんも食いやっ!」
「すぐできるけえ~」
「ちょっと待っちょり」
「おおっ!」
その青年は嬉しそうに声を上げると、駆けて来た少年が両手で抱えている酒壺を見た。
「儂は、おまんの差し入れてくれた酒を先にいただこうかの~」
青年は、ちょっと照れくさそうに鼻をこすった。
「以蔵さんっ!」
「今日は、一人ですか?」
残念そうに少年が問う。
先ほど起こした火を見つめながら、以蔵が答える。
「あの大男は・・・母上の体調が悪くてな、今日はおらんぞ!」
「お医者様は? 」
「・・・」
「儂ら郷士は高価な薬を買う金はないきに!」
「・・・」
「郷士は所詮使い捨てぜよ。」
以蔵は、言葉を吐き捨てると硬く握った拳で足元の砂浜にぶつけた。
◆
ここ土佐藩は、身分階級が特に厳しい。
同じ土佐藩士の間でも上士と郷士に身分が分かれる。
郷士とは、長曽我部家の家臣で元々この土地に住んでいた武士達。
上士とは、関ヶ原の戦い以降に徳川幕府より恩賞としてこの地に来た山内家の家臣をいう。
中間に郷士から出世し、藩から正式に役職をもらっている
当然、上士は身分が高く、郷士は上士に絶対に逆らうことが許されない。
この時代、世襲制が常であり、親の職業を子が引き継ぐ。
生まれた時から将来の職業が決まる。
武士の子は武士、町人の子は町人、郷士の子は郷士。一生、上士には逆らえないのである。
以蔵にとって、藩の身分制度に縛られ、また先祖伝来の土地に縛られる、そんな生き方がなんとも息苦しく嫌なのだ。
以蔵が間をおいて独言の様につぶやく。
「だがなっ! 儂らはやるぜよ」
「あの人ならやれる」
「あの人の頭、儂の剣、必ずやっちゃる・・・」
と一瞬、我に返ったように、発した独言を慌ててつくろう。
「おっと、おまえは関わらんほうがええ」
「関わらんほうがええ」
慌てて、並々に注いだ酒を口には運ぶ。
「おっ!」
「こ、こりゃー ええ酒だ」
以蔵を観ていた少年が真面目顔で以蔵に言う。
「以蔵さんっ!」
「俺に剣を教えてくださいよ! 」
「ぶっつ! 」
「おまえっ! この藩一番の道場に通とろうが!」
「全然・・・強くならないんですよ」
以蔵はちょっと困った様に少年に話す。
「儂の剣は、ダメだ・・・」
「人にまねできない喧嘩剣法ぜよ」
「必死に振り回しているだけぜよ」
そんな、断り文句を少年は瞳を輝かせながら、嬉しそうに聞いている。
◇◆◇◆無謀な少年たち
俺が大男と言てるのは、那須慎吾。
見るからに頑丈そうな体格の大男で肩口から見える両腕が目立って太い。
力仕事で鍛えられた腕、足もめっぽう速く、剣の技量もなかなかのものだ。
子供の頃、家の向かいに引っ越して来たのが那須一家だ。
那須一家は、元、郷士の白札だったが父親が早く亡くなった為、役職を失った。
母親、姉、妹、弟たちと暮らしているが、俺と同じく生活は貧しくその日暮らしの毎日だ。
しかし家族皆、武士らしい誇りがあり、俺に良くしてくれる。
大男の慎吾は歳が近い為、すぐに意気投合した。
いわゆる悪童仲間なのだ。
姉の春姉はここら辺では、器量良しで通っていて、世話好きだ。
◆
この瞳を輝かせながら以蔵を見る少年と出会ったのは、一か月ほど前になるだろうか。
毎年行われる城下外れにある大川の改修工事の為、
俺と慎吾の二人の格好ときたら
野良着についた泥が乾き、顔や肌に当ってはこすれて痛い。
俺はいつもの癖で道端に落ちている木枝を拾い、木刀替わりに木枝の先で空を斬ったり、足元の雑草を器用に払いのけて行く。
「以蔵よ・・・」
「儂ゃあ・・・養子に入る話があってのう~」
「これで母上や春姉らあも少しは楽になるじゃろう」
慎吾が夕暮れに赤く染まった遠くの山々を観ながら独言の様に言う。
「・・・」
「ほうか・・・」
「・・・」
「もう、あんまり、バカもできんがじゃ」
「・・・」
「ほうか・・・」
大きな慎吾の背をポンポンと軽く叩きながら、昔を思い出し返事をする。
◆
二人は川沿いの土手を抜け、村の近くの通りにさしかかる。
何やら罵声と共に人だかりが目に飛び込んで来る。
一人の少年が三人組の侍に囲まれ、殴られていのが遠目に見えた。
少年は一度倒れたが、また立ち上げり必死に何かわめきながら後ろの子供達をかばおうとしていた。
俺の体が動こうとした瞬間、大男の慎吾の背中が目の前に現れ、三人の侍に突っ込んで行った。
俺は慌てて手に持った木枝を握り直し慎吾の後を追った。
俺も慎吾もこういったもめ事は万事手慣れたもので、
「うおおおお」
慎吾が横合いから中央にいた男に体当たりをかます。
ザザーンと男は勢いに弾き飛ばされ転ぶ。
慎吾も横に弾かれ転がったが、相手は白目をむいて気絶した。
「何だっ!・・・」
「貴様らっ!・・・」
共侍の男たちが声高にわめく。
奇声を発しながら刀を抜くと慎吾に斬りかかろうとする。
俺は、まだ立ち上がっていない慎吾と共侍の男達の間に割って入り、木枝を構えた・・・。
怒気で歪んだ顔、相手は既に刀を振り上げ目を剥いた。
木枝を片手で持ち、右肩に沿えると、両足を広げながら腰を落とし、重心を前に傾けた。
ふうううっ! 大きく息を吸う。
―――狩る!
心の中で叫ぶと刀を振り上げる男たちに突進した。
「ヒュン!」
手前の相手が刀を振り下ろそうとするより早く、木枝が
「ぐわ!」
痛みで思わず握った刀を取り落とし、悲鳴を上げながら尻もちをつく。
「ピシュン!」
素早く体を反転する。
唖然としているもう一人の刀を握る腕を木枝で打ち払う。
体当たりする勢いで振りかぶった木枝を振り下ろした。
「ぎゃあ!」
相手は悲鳴を上げて倒れた・・・。
◆
さすがに何事かと騒ぎを聞きつけた人々が集まり始めた。
「にっ逃げるぞ! 」
慎吾が少年達と俺に向かって叫ぶ。
あっけにとられている少年と子供たちを抱きかかえると、全力で逃げた。
暫くすると・・・
「がっは!は!は! 」
「ざまあみやがれ! 」
全力で逃げながら、慎吾が大笑いした。
◆
一息ついたところで、抱えていた少年と子供たちをおろし、事情を聴く。
子供たちが遊んでいると三人組の侍にぶつかった。
一人の侍が刀を抜こうとしたところ、この少年が割って入ったそうだ。
こういった争いや、上士による無礼打ちの事件は、過去に何度か起きている。それは上士と郷士の争いの火種となって
「慎吾も無謀なヤツだが、この少年も後先考えてねえ・・・」
助けた少年は、勇者を見る様なまなざしで俺と慎吾の二人を見ていた。
「さあ、早く血を拭け! 」
手ぬぐいを差し出す。
「母上が心配するぞ! 」
少年に声をかけたが・・・少年は寂しそうに瞳を下に落とした。
◆
少年と別れ際、「早く帰って手当てしろよ! 」 と声をかける。
「こんな傷っ! たいしたことないですけえ・・・」
「わしゃ強いけ~。はははっ・・」
俺と慎吾は、呆気にとられながら勇気ある元気な少年の後ろ姿を見送った。
数日後。
その少年は、俺たちが集まる海辺の狩場にちょくちょく顔を出すようになった。
実家の造酒屋の酒を肩にかけ、元気な笑顔でやって来る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます