異剣丹心譚 ~幕末烈士編

橘はじめ

第1章 旅立ち

第1話 烽火の時 ープロローグー

 その丹心たんしんは雑草の中にから生まれ、露のようにはかく消える。

 それはあおたまとなって大地の礎となる―――。

  

 ◇◆◇◆ 烽火の時


  とばりが下りた様な真っ暗な水平線に、朝日が薄っすらと顔を出した。

 金色に輝く太陽の光は、水平線に沿って大きく腕を広げる。

 やがて目の前に広がる大海原を金色の光が包み込んでいった。


 水平線から朝日が半分ほど顔を出した頃―――。

 夜が明けぬうちから漁に出ていた多くの漁船が、朝の漁を終え、海岸沿いの港に次々と戻って来る。

 

 港で漁船の帰りを待ちわびた人々は、漁に出て行った家族の安全と今日の大漁を想い、登る太陽を見つめ願う。


 今日も雲一つ無い、青く良く晴れた日である―――。


 漁船が港に近づくにつれ人々の歓声と荷揚げの準備で港は活気づいた。

 港周辺には、漁業をはじめ海運業を営む商家や荷を納める蔵が多く立ち並び、人々で賑わいをみせている。

 突き出た岬から湾内へ誘導する様にも見えるこの切り込んだ地形は、ここ江戸の町にとって海の玄関口と言っていい。


「……!」

「おい! ありゃ何じゃ?」


 水平線の先に異変を見つけた、一人の男が大声を上げた。


 遥か遠目に見える海原に無いはずの小さな島が三つ四つ浮かぶ。


 ―――島か? いや鯨の群れか?


 この豊かな漁場の外海では時折、鯨の群れが目撃される。

 鯨の群れは食料となる小魚を追う、大漁の吉兆でもあった。


「…………」

 ―――様子がおかしい。


 人々は異変に気付く。

 鯨の群れは、信じられない速度で湾内に向かって来る。

 四つの巨大な物体は、天高く潮を吹きながら向かって来る。


 人々の目にその巨大な物体の正体が何であるか理解できた頃、その移動する巨大な物体が雷のごとく、吠えたのだ。


「ドオンッ」「ドオンッ」

「ドッドオンッ―――!」


 爆音に少し遅れ、水柱が天に届く勢いで昇っていった。

 

 港に集まった人々の恐怖と驚き、収集がつかない悲鳴、役人の乗った馬達が一斉に嘶いた。


「くっ、黒船じゃ!」

「黒船じゃあ!」

 

 巨大な黒船四隻は内海に入り、目視で判別できる程の距離に近づく―――。

 

 異変に気付き近隣の村から集まった人々が、湾を囲む岬の先端に集まっているのが小さく見える。

 

 船体は、黒々と冷たく光り、中央部分から天に向かって煙を吐き、船の側面には見たことも無いほど巨大な水車が水しぶきを散らす。

 漁師たちが漁で使う大型船もこの黒船の大きさに比べれば、木っ端の様である。

 

 黒船は、湾内に入ると港から距離を置いて停止した。


「ドオンッ―――」

 

 そして今度は、己の到着を知らせる様に空砲を高らかに放った。


 ◇◆◇◆


 江戸城、控えの間―――。


 登城する大名たちの為に設けられた控えの一室である。


「くそっ!」

「どいつも、こいつもっ―――!」


 その人物は、よほど頭にきたのか、付き従う供侍を振り切る勢いで長く続く廊下を急ぎ足で怒鳴りながら進む。


 前方に居合わせた者達は、自分に怒りの矛先が向かない様にと、そそくさと廊下を開ける。


 丹精な顔立ち、髪に少し白髪が混じるその人物は、高価な羽織、袴を上品に着こなし、身に着けている装飾品は派手ではないが贅を尽くした逸品で着飾っている。


「急ぎ、水戸様に御会いする!」

 

 荒々しく供周りの者に命令したのは、土佐二十三万石藩主・山内容堂公である。

 山内家は天下分目と言われる関ケ原の合戦にて、東軍である徳川家に味方し、武功を挙げた功績により、四国の一角、土佐国を拝領した。

 以来、江戸幕府が開かれ約250年、外様大名ではあったが、徳川家から信頼が厚い大名として、政治の一旦を担っていた。


 代々続く土佐藩を継いだ藩主・山内容堂公も家訓を引き継ぎ、将軍をよく補佐し、徳川家の為に忠誠を尽くしてきた。

 容堂公自身、その博識は全国に知れ渡っていた人物である。


 しかし、ここにきて政治的問題が山積みである。

 先年の大飢饉による内政悪化に続き、アメリカ合衆国のペリー提督が強力な武器を搭載した黒船艦隊を率い、貿易での新しい市場獲得の為に江戸幕府に開港を求めて来たのである。

 長年の鎖国政策で外国との国交を制限していたこの国、オランダやイギリスなど諸外国との技術力、武力の差は明白であった。

 容堂公は内心思う。やはり、この国は長く眠りすぎていた。

 確かに、今の徳川幕府は疲弊している。しかし優れた統治者が優れた管理体制をもってすれば、乗り切れると確信していた。


 特に容堂公を悩ませている問題は、次期十四代将軍の後継者争いである。

 土佐藩主・容堂公らは、徳川御三家の一つである水戸藩主・徳川斉昭公を旗頭に有力な大名である福井藩主・松平春嶽公、薩摩藩主・島津斉彬公、宇和島藩主・伊達宗城公らと手を組み、水戸家から御三卿一橋家の養子となっていた、聡明な人柄で知られる一橋慶喜公を十四代将軍として候補に立てていた。

 

 一方、対する幕府側は、老中・井伊直弼を筆頭に大奥の有力者や譜代大名を後ろ盾に徳川御三家の一つ、紀州藩から徳川家茂公を次期将軍候補としていた。


 容堂公たちは、聡明な慶喜公であればこそ、現在の国難を乗り切れるだろうとの思いであった。


「東洋はっ、まだ到着せぬかっ!」

 

 共周りの者に厳しい口調で尋ねる。

 

 土佐藩の参政を務める吉田東洋。容堂公が理想とする、自国の富国強兵、諸外国から技術を学ぼうとする開港論が同じであった事から、容堂公は絶大な信頼をおいていた。

 今は一刻も早く、土佐の国元から呼び寄せた吉田東洋と今後の国の方針について決める必要があった。

 

 先の黒船騒ぎでも諸藩の慌てようは目も当てられない。

 徳川家の旗本三千騎と言われる譜代の家臣らは、金に困り武具を質に出している者も多く、慌てて金作に走り武具を買い戻す始末。

 周辺の大名でも戦の武器さえ満足に揃えられない状況。戦の無い世の中で武士の弱体化が露見した形となったのだ。


「バカ者共がっ!  今は争っている時ではない!」

「藩や幕府が一丸となり、この国難を乗り切らねばならんのだぞっ!」


 容堂公は苛立の表情で言葉を吐き捨て、自身の親指の爪を噛んだ。


 ◇◆◇◆


 藩主・容堂公が江戸で頭を痛めていた頃。

 ここ土佐の国元では田植えの季節である。

 山の谷合いから、時折そよ風がふく梅雨の晴れ間。

 城下近くのこの村では、田んぼ一面に水が張られ、植えたばかりの緑の苗が一列にきれいに並んだ田園風景が続く。


 今日は近所に住む岡田家の親戚や家族総出で田植えの最終日である。

 あぜ道に腰掛け、妻が作った昼の握飯をほおばりながら、岡田義平は自分が今しがた苗を植え終えた田んぼを眺めつつ、思いにふけっていた。


 岡田家は代々この土地を護ってきた郷士。

 土地を耕し、いざ戦ともなれば、甲冑を着込み、長槍を持って戦場に参じる。

 郷士の中でも決して裕福な生活ではないが、米を作り野菜を作り、時に漁に出て生計を立て、人並みの暮らしはできる。


 義平の父は、体格に恵まれた豪勇な男であったが、義平は温和な性格で学問を好んだ。

 妻も郷士の娘にしては珍しく学問を納めた女性で、義平とはお互い通じるものがあった。

 そんな平凡な暮らしの中ではあるが、義平にも悩みがある。

 二人の息子の将来である。

 昨今、江戸では黒船なる恐ろしい外国船が来航し大騒ぎになったと聞く。

 この土佐藩も江戸表からの使者が毎日の様に行き来し、一時は戦の準備をしたほどであった。


「ふう……」


 次男坊は、何事も要領がよく誰にも好かれる人柄の為、さほど心配ない。

 しかし長男坊は……。

 素質は悪くないと思う。

 祖父に似て体格にも恵まれ、子供の頃は何をするにも要領が良く、覚えも早い、義平夫婦を驚かせ、また喜ばせたものだ。

 だが、長男坊は年齢を重ねるにつれ凡夫になってくる気がする。

 祖母や母親が甘やかして育てたせいか?

  何事をやらせても成果が出ない。

 息子の将来を考え義平は、町の剣術道場や手習い、最近では西洋砲術所の入門までさせたが、どれも成績は平凡そのもの。

 父親として、変わりゆく世間の荒波に息子の将来が心配でしかたがない。


 一計いっけいを案じた義平は、近所で神童と評判になっている知人の息子、“武市半平太”に我が子、“以蔵”の面倒を見てくれるよう頼み込んだ。

 息子同士の相性は良い様だ。

 年上の半平太は、以蔵を弟の様に接し、以蔵も兄ができた様にはしゃいだ。

 以蔵は、最近、武市半平太が開いた剣術道場や学問塾に毎日熱心に通う様になった。


「ふう……」

「武士として名を残してくれれば良いが……」


 義平は、そよ風になびく苗を見ながら、溜息をついた。


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