エピローグ

第54話 離反工作

 「しかし、これは・・・・・・」


 金満提督から大筋の流れを口頭で伝えられたときには、さほど驚きは無かった。

 多少の汚れ仕事であれば、とっくの昔に覚悟は出来ていたからだ。

 だが、彼が出撃前に残していった詳細な行動計画書に目を通した「超軍神」の山本海軍大臣はうめき声しか出せなかった。

 米内大将や井上中将の前で金満提督に対して「私を誰だと思っている」なんて大見得を切った自身の行為を山本大臣は思いっきり後悔している。

 金満提督が残していった行動計画書は、畏れ多くも「現人神」さえもまき込むロクでもないしろものだったからだ。

 それでもやらないわけにはいかないので、山本大臣は宮内省をはじめとした関係者に対して根回しを開始した。




 米国との講和にあたり、その最大の障害は声高に継戦を叫ぶ陸軍親独派ならびに新聞をはじめとしたマスコミであることは山本大臣ならびに金満提督の共通認識であった。

 そこで、金満提督はこれをまとめて叩き潰すよう山本大臣に依頼、そのすぐ後に第一機動艦隊司令長官として最終決戦へと出撃していった。

 一方、残された山本大臣のほうは金満提督ご謹製の行動計画書に従って動き始める。

 まず、親独派だが、この連中を叩き潰すのは「日独伊三国同盟」の破棄に向けた地ならしという意味もあった。

 必要な工作資金はすでに金満提督から受け取っている。

 億単位の莫大な資金に、山本大臣もさすがに恐ろしくなり、金の管理に関しては几帳面でしっかり者の井上中将に丸投げしようと考えている。

 その山本大臣は海軍の諜報機関に所属しているかつての部下らに連絡を入れた。


 親独派の排除と並行してマスコミ対策にも力を注いだ。

 この時代のマスコミで大きな影響力を誇っていたのは新聞とラジオだった。

 だがラジオはいい。

 国営放送だから、力づくでどうとでもなる。

 問題は私企業の新聞だった。

 大陸進出以降、勇ましい記事を書けば売れるということに味をしめた新聞屋どもは、きっと講和に反対するはずだ。

 もし万一、継戦を叫ぶ陸軍親独派とマスコミが連携しようものなら、その存在は極めてやっかいなものになる。

 だからこそ、あらかじめ危険の芽は摘んでおかなければならなかった。

 それでも陸軍親独派と新聞社の分断工作だけでは不十分だった。




 金満提督の指示は犯罪ぎりぎりだった。


 「いや、多分これ普通に犯罪だろう」


 山本大臣は嘆息しか出てこない。

 だがしかし、金満提督に「国内政治は任せろ」と請け負った手前、気が進まないからといってなにもやらないわけにはいかなかった。

 金満提督が残していった指示とは、端的に言えば新聞社のトップ連中の弱みを握りこちらの言うことをきかせようというものだ。


 新聞社の連中は、自分たちは事実をあばく側であってあばかれる側になるとは夢にも思っていない。

 だから、情報を扱う職業の割には意外に自身の脇は甘い連中がほとんどだった。

 妙な性癖を持った者は多いし、良識の無い人間はさらに多い。

 山本大臣が海軍の情報部や興信所などを使って新聞社の上層部にいる連中を対象に情報収集したら、あっという間に醜聞が集まってきた。

 ついでにソ連の息のかかった大物スパイ記者まで釣れた。

 山本大臣はこれらをネタにこちらの言うことを聞くように脅しをかけた。


 意外にも新聞社の連中は素直にこちらの言うことを聞いた。

 もちろん、言うことを聞かない者もいたが、そのような相手には使いたくはないが別の手段も用意していた。

 その新聞社の上層部というのは、ある意味で様々な派閥の集まりのようなものであった。

 その派閥同士の暗闘の中で勝ち上がった者だけがトップに居座ることができる。

 だから、自分たちが抱える弱みを敵対派閥に握られるということは自身の破滅だけでなく派閥の敗北も意味した。

 自身の破滅はともかく、仲間や部下に類が及ぶのを恐れる者が意外に多かったのはあるいは派閥に対する帰属意識が強いためか。

 一方で彼らにはアメも与えた。

 ムチだけでは限界があるからだ。


 「もうすぐ戦争は終わる。戦争が終わったあとに探し人や尋ね人の依頼があれば無償で広告に載せろ。尋ね人が載っていれば新聞もさらに売れるはずだ」


 そう言って、脅しをかけた新聞社のトップらに大量の広告費を渡した。

 それと戦争が続けば紙の配給も厳しくなる。

 いつまでも戦争が続くのは新聞社にとっても決してプラスにならないことくらい経営のトップに立っていれば分かるだろう。


 それから、さらにもう一つの依頼を出す。

 依頼と言っているが、実際のところは命令、それも厳命だ。

 こちらが用意した文章をすぐに新聞に、それも記事と間違えてしまうようなまぎらわしい広告として出稿するよう厳しく申し付ける。

 その内容とは独総統の著作に対する批評であり、金満提督が記した悪意の芸術作品だった。

 ルーズベルト大統領を苦しめ、チャーチル首相を戦争から退場させた紙爆弾の実績を持つその男の文章は、独総統の著作の中にある日本人侮蔑ともとれる個所を嘘ではないギリギリまで尾ひれをつけて、日本人が激怒するように書き上げたものだった。

 当時の日本人の浅薄な正義感あるいは一等国の国民だという勘違いしたプライドをたいそう悪い意味で刺激するものだった。

 山本大臣も目を通したが、これを読んだ日本人は間違いなく独総統に対して激怒するなあと感心している。

 その山本大臣は思う。

 何で金満提督はこうも人を怒らせたり困らせたりするのが上手なんだろうと。


 検閲する部局、つまりは帝国陸軍にもすでに手は回してあった。

 帝国陸軍にも講和派は多い。

 平和を願う者も大勢いたが、米国との講和によって戦争資源を対ソ戦に集中できると考える者も多かった。

 それに、親独派の中にも米国との戦争が終わるのであれば、ドイツと手を切っても構わないと考える者も少なくない。

 それぞれの思惑は何であれ、講和に使える人脈は徹底的に利用、活用した。

 その彼らから検閲する部局に圧力をかけてもらった。

 掲載に異を唱える者には、「超軍神」の意を受けた陸軍高官が「現人神のご意志である」と言えば誰もが黙り込んだ。

 「現人神」の意志まで介在するということは、よほど愚鈍な人間でなければ個人では抗しきれない何か大きなプロジェクトあるいは組織が動いているとすぐに分かる。

 それでも首肯しない、悪い意味で気概や気骨を持つ者がいた場合に備えて「現人神」の意志を記した正式の書面も用意していた。

 結果的にはそれは必要なかった。

 念のため、異を唱えた者や怪しい挙動を示した者に対しての口止めはしっかりと施しておいたが、それは大っぴらにできる手段ではなかった。


 いずれにせよ、どこの新聞社も脅しの効果があったのだろう。

 金満提督の、記事に見せかけた批評広告が紙面になるまでは早かった。

 効果はてきめんだった。

 ふだんから新聞報道を鵜呑みにしている多くの日本人は怒った。

 同盟国だと思っていた相手国のトップである総統が日本を、日本人をこうも見下していたとは、と。

 庶民のドイツに対する悪感情は一気に広まっていった。

 金満提督のせいで。


 一方、一連の動きを知った陸軍親独派ならびに継戦派と外務省の親独派は火消しに躍起になった。

 しかし、頭に血がのぼれば軍の決めたことにさえ激しく反発して焼き打ち事件を起こすような国民だ。

 冷静さを保つことができない彼らに、今回ばかりは役所や軍の威光も通じなかった。


 金満提督はマスコミもそうだが、口コミの力も軽視しなかった。

 こちらも信用のおける興信所などを使ってドイツの悪口を至る所で吹き込むように依頼していた。

 風説の流布というやつで、金融業界や株式市場ではポピュラーなやり口だった。

 あまり人を疑いもせず、受け売りが大好きな日本人である。

 ドイツの悪口は感染力の強い疫病のようにあっという間に国民の間に広まっていった。

 いつしか親独派は独総統が日本人のことをどう思っているのかさえ知らない無知蒙昧な人間というレッテルを張られるようになった。

 ひどいときには日本人を馬鹿にする国の手先と言われ、国賊扱いすらされた。

 そのような世間の逆風を受けてまで親独派を貫ける者は少なかった。

 そして、独総統の著作について「現人神」が不快感を示したという報道によって親独派はついにとどめを刺されることになる。

 その親独派や新聞社以外にも日米講和にとって邪魔な存在はいくつかあった。

 しかし、それらのことごとくがいつの間にか姿を消していった。

 わずかばかりの軍の関与の痕跡を残して。




 山本大臣は疲れていた。

 人として超えてはならない一線を軽々とクリアしている日々に。


 「日本を平和へと導くはずの終戦工作がこれほどまでにおぞましいドロドロとしたものだったとはな。これなら戦争をしている方がよっぽど気が楽だ」


 今日も金満提督の指示を受けた「超軍神」が心底嫌そうに、平和のためにその手を赤く染めるのだった。

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