第53話 青

 ミッドウェーが、島そのものが燃えていた。


 未明に突入した四隻の「金剛」型戦艦、それに重巡を主力とする特務戦隊がミッドウェー島にある米軍飛行場を艦砲射撃によって破壊、遅れてやってきた「大和」ならびに「武蔵」を基幹とする砲戦部隊がとどめを刺した。

 オアフ島のときと同じ、つまりは同じ戦術の連用については金満提督の好むところではなかったものの、それでも効果があるのであれば、彼はその行使に躊躇はない。

 ミッドウェーもまたオアフ島と同じ運命をたどった。


 今回の作戦の勝利条件、それは新生太平洋艦隊とそれにオアフ島の撃滅を同時に成し遂げることだった。

 ウェーク島沖海戦での太平洋艦隊の全滅とさらに豪州の二大都市壊滅を合わせてなおそれを上回る衝撃を合衆国政府とその国民に与えるためだ。

 目的は言うまでもない。

 「講和」のための決定的な機会をつくることだ。


 その作戦目的を達成してから少し後、第一機動艦隊の各艦は本土からの暗号電を受信している。

 簡潔明瞭な内容だった。


 「西海岸でパニック」




 日本が予告した通り、ブリスベンならびにシドニーが灰燼に帰し、今度はオアフ島が業火に包まれた。

 それでも被害がオアフ島だけならパニックは起きなかったかもしれない。

 だがしかし、西海岸の住民らは太平洋艦隊が壊滅したこともまたほぼ同時に耳にしたのだ。

 情報源は東太平洋海戦で日本側の捕虜となるのを免れる代わりに、負傷した将兵を本土に運んだ米駆逐艦の乗組員たちだった。

 東太平洋海戦について、合衆国政府と合衆国海軍は乗組員にかん口令をしいた。

 だが、全員の口を塞ぐことなど到底不可能だ。

 帰還した乗組員を監禁するような真似は独裁国家ではない米国には出来ない。

 なにより、少なくない西海岸の住民たちが傷だらけの駆逐艦から尋常ではない数の担架が降ろされてくる異様な光景を目撃している。

 それゆえ、嗅覚にすぐれた米国のマスコミが事実をつかみとるのはさほど困難ではなかった。


 彼らがつかんだ内容は衝撃的だった。

 太平洋艦隊があっという間に壊滅したこと。

 それに対し、太平洋艦隊のほうは日本の艦艇をただの一隻すらも撃沈していないこと。

 それと、ブリスベンとシドニーを火の海にした巨大戦艦が少なくとも二隻以上存在し、その大きさは合衆国の新鋭戦艦を遥かに上回ること。

 なにより、敵である米駆逐艦を解放したということは、それだけ日本海軍には自信あるいは余裕があるということだ。

 実際、太平洋艦隊は二度戦って二度とも完膚なきまでに叩きのめされた。

 そのうえ、両海戦では敵艦をただの一隻も撃沈することが出来ていない。

 戦果と言えば、ウェーク島沖海戦で「赤城」と「加賀」を撃破した程度だ。

 あまりにも一方的、ワンサイドゲームが過ぎる。

 圧倒的な戦力差あるいは科学力の差が無ければそんなことは不可能なはずだ。

 いずれにせよ、日本艦隊にはその力があるのだろう。

 そして、その恐ろしい日本艦隊が次に矛先を向けるとしたらそれはどこか。

 考えるまでもない。

 西海岸だ。


 ハワイが無力化された今、太平洋上で日本艦隊を遮るものは何も無い。

 合衆国政府のほうは西海岸には多数の航空機と、さらに旧式とはいえ七隻もの戦艦があるのだから大丈夫だと言っているが、ウェーク島沖海戦ではそれ以上の数の戦艦がなすすべなく撃滅されている。

 いまさら政府の言うことを信じる者など、一部の楽天家を除いてほとんど存在しなかった。

 だから、西海岸の住民は声を荒げて日本との戦争をやめるよう政府に訴える。

 西海岸の住民にとっては、自分たちの住む街こそが合衆国であり、戦争を続けて最終的に日本に勝ったとしても自分たちの家が焼けてしまっては何の意味もない。

 そのことで与党議員、特に西海岸に選挙区を持つ議員からも日本と講和をすべきだという声が日増しに強くなっている。

 それはそうだろう、任期中に自分たちの街を焼け野原にしたような政治家を再選させるほど米国民は馬鹿ではない。

 西海岸の議員にとって、日本との講和は死活問題だった。


 欧州の問題も深刻だった。

 米国が欧州向けに用意していた戦争資源の多くは西海岸の防備にあてられ、そのあおりをまともに食らったソ連はドイツに押されまくっている。

 英国もチャーチルの退陣で政局の混乱が続き、それが英軍に多大な悪影響を及ぼしていた。

 日米それに日英の戦いで漁夫の利を得たドイツはますます強大になり、このままではソ連と英国が撃破され、米国が日本を挑発してやっと手に入れたはずの欧州の戦争を失うことにもなりかねない状況が現出していた。


 合衆国は今、選択を迫られている。

 日本と戦い続けて欧州の戦争を失うか、あるいは日本との講和を受け入れて欧州の戦争に専念するか。

 それは、どちらが「得」かよく考えろという、金満提督がルーズベルト大統領に突き付けた究極の問いかけであった。




 金満提督をはじめとした帝国海軍講和派には、太平洋艦隊やオアフ島の撃滅とともにどうしても達成しておかなければならないことがあった。

 それは、日本の講和派の力を増大させるとともに日本の継戦派を抑え込むことだ。

 今、米国と講和をすれば「連戦連勝の日本がなぜ講和をする必要があるのか」といった声は軍内部はもちろん、国民からも必ずあがる。

 それらの声を抑え込む必要があった。

 切り札は平和を望む「現人神」の存在だ。

 「現人神」が自身の声でもって講和を、平和への願いを国民に語りかければ多くの者はそれを受け入れるだろう。

 だが、それだけでは弱い。

 戦争を欲する連中があの手この手でそれを妨害しようとしてくるからだ。

 そのような連中から「現人神」を守ることのできるもう一人の神が必要だった。

 そして、今の日本に「神」になる資格を持った人間は一人しかいない。

 「超軍神」と国民から慕われる山本海軍大臣だ。

 しばらく後、今回の一連の作戦は山本大臣が作戦を立案、金満提督はただそれに従って指揮をしただけに過ぎないと国民に印象づける発表がなされる。

 太平洋艦隊とオアフ島の同時撃滅は、実は「超軍神」の神懸かり的な采配によるものだったのだと。

 これによって「絶大」な「超軍神」の力は、間違いなく「絶対」な「超軍神」のそれに変わる。

 「現人神」と「超軍神」の二神が手を携えれば、これに対抗できる日本人はいないはずだった。




 前方に広がる海を見ながら、金満提督は軍人として出来ることはすべてやったと考えている。

 あとは、国内政治の方だが、そちらのほうは「超軍神」に任せておけば大丈夫だろう。

 戦術や戦略といった軍事センスはいまいちだが、その一方で政治センスには抜群のものがある。

 それに「三羽烏」の長兄と末弟も彼を支えてくれている。

 首相経験者の長兄は並の政治家では太刀打ちできない力を持ち、継戦派の政治家や軍人どもに強烈な掣肘を加えてくれるだろう。

 切れ者の末弟も、その抜群の軍政のセンスを生かして帝国海軍をまとめてくれるはずだ。

 陸軍対策は山本大臣に頼んでおいた。

 陸軍の継戦派と親独派、それにマスコミ対策を一気に推し進める荒業だ。

 マスコミ対策は少し犯罪臭がしないでもないが、戦争を終わらせるためには荒療治も必要だった。

 それに、マスコミ連中は日本を戦争の道へと引きずり込んだ、言ってみれば第一級戦犯だ。

 容赦するつもりはなかった。

 それと、あの独総統の著作もこの際、徹底的に活用させてもらうことにする。

 独総統が日本人という民族をどういう目で見ているのか。

 それを知った時の日本人の激怒する姿が目に浮かぶ。


 その金満提督が指揮する第一機動艦隊は一隻も欠けること無く進路を西へと取った。

 すべての作戦を終えて日本に戻るのだ。

 今日は一〇月一八日。


 「戦争が始まって十月十日。産みの苦しみか」


 男の自分が何を考えているのかと、金満提督は自身のつぶやきに思わず笑ってしまう。

 戦争を始めるのは簡単、しかし終わらせるのは至難の業だ。

 平和を産み出すこともまた同じだ。

 だがしかし、それでもやり遂げねばならないし、それはきっと出来るはずだ。

 金満提督はふたたび海に目を向けた。

 戦争が避けられないと分かった日から真っ黒に見えて仕方がなかった海。

 それが少しだけ青を取り戻していた。

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