第50話 夜間雷撃

 第一機動艦隊の本隊から分離した特務戦隊は、夜のうちに太平洋艦隊の残存艦艇との接触に成功していた。


 特務戦隊は第一から第四までの四つの機動艦隊に所属していた第五戦隊の「妙高」「羽黒」と第六戦隊の「熊野」「鈴谷」、それに第七戦隊の「最上」「三隈」と第八戦隊の「利根」「筑摩」の八隻の重巡、さらに「不知火」と「雪風」、それに「谷風」と「夕雲」の四隻の駆逐艦を合わせた一二隻で編成されている。

 重巡は水上艦攻撃を、駆逐艦はその重巡の護衛つまりは主に対潜警戒をその任務としている。

 一見すると各艦隊から抽出された艦艇による寄せ集めのような集団に見えるが、実際のところはインド洋海戦後から一二隻が集まって猛訓練を積んできたので連携に対する不安はなかった。

 現在、その特務戦隊は太平洋艦隊の斜め左前方を相手の速度に合わせて一二ノットで並進している。


 「あの時とよく似た状況だな」


 かつて第一航空艦隊司令長官として、そしてその水上打撃部隊指揮官としてウェーク島沖海戦を戦った特務戦隊司令官の南雲中将はちょっとした既視感にとらわれている。

 昼と夜との違いはあるが、満身創痍の米艦隊と無傷の日本艦隊という図式は同じだ。

 南雲司令官は、今の太平洋艦隊の指揮官というのは思い切りのいい人物なのだろうと思う。

 ハワイへの避退を急ぐためだろう、複数の魚雷を浴びて速度の出ない二隻の新鋭戦艦を躊躇なく切り捨てた。

 さらに機関を損傷して航行不能に陥ったと思われる軽巡一隻と駆逐艦三隻もまた同様に処分している。

 現在の太平洋艦隊の戦力は重巡乃至大型軽巡が六隻に軽巡が三隻、それに駆逐艦が一八隻で、そのほとんどが大なり小なり損害を被っているはずだった。

 一方、こちらは自らが座乗する重巡「利根」を含めてもわずかに一二隻でしかない。

 もし、敵艦のほとんどが無傷だったとしたら、あるいは倍以上の数の敵に袋叩きにされていたかもしれない。


 「発射準備が整いました」


 彼我の戦力見積もりをしている南雲司令官に、相手に聞こえるはずもないのにもかかわらず、どこかささやくような声音で参謀が魚雷発射準備が完了したことを告げてくる。

 現在、太平洋艦隊との距離は一〇〇〇〇メートル。

 米軍の魚雷の性能を考えれば、もうあと二〇〇〇メートルは近づいてもよさそうだが、そこまで接近したらいくら夜間だとはいえ、こんどは砲撃の方が正確になる。

 単純な艦の数と大砲の数だけでいえば、あちらの方が圧倒的に多い。

 いくら手負いとはいえ、まともに撃ちあえばこちらもかなりの被害を覚悟しなければならない。

 だからなのか、今回も酸素魚雷を使っての遠距離魚雷攻撃で米艦隊に立ち向かうことになっている。


 南雲司令官は、本音を言えばもっと距離を縮めて雷撃をしたかったのだが、それはできなかった。

 金満提督の指示に従うというのが南雲中将が特務戦隊司令官になるための条件だったからだ。

 その金満提督というのは戦果よりも味方の損害を減らすことに重きをおく人間だというのが南雲司令官の見立てだ。

 残念だが、本来そのような人間は帝国海軍では出世の目は無い。

 いかに勇ましく見えるように立ち振る舞うかも重要なのだ、帝国海軍というところは。

 あるいは金満提督のように金の力で出世の階段を駆け登っていくか。

 その金満提督が立てた作戦に沿って自分は指揮を執る。

 以前ならこんなことは絶対に嫌だったはずなのに、なぜか今は悪い気はしない。

 むしろ、金満提督の考えに乗せられてやろうと思う。

 理由は分かっている。

 ウェーク島沖海戦で水上打撃部隊はただの一人の将兵も失うことがなかったからだ。

 その戦策を授けたのが誰あろう金満提督だった。

 南雲司令官は思考を敵艦隊に戻し落ち着いた声で命令を発する。


 「所定の手順に従って攻撃を開始せよ」


 南雲司令官の命令一下、太平洋艦隊に向けて八隻の重巡から星弾が放たれる。

 これは米艦の位置を確認するというよりも、星弾を放つ際の砲口炎で魚雷発射の瞬間をカムフラージュするためだ。

 そして敵の見張りの注意を海面から頭上へと引き上げるとともに、その光によって夜間視力を少しでも奪う。

 星弾の光が無くなった後、特務戦隊が発射した魚雷が太平洋艦隊を襲うことになる。


 「全艦魚雷発射完了」の報告を受けた南雲司令官は今度は一斉回頭を発令、特務戦隊を敵艦隊と反航する形にする。

 低速とはいえ夜間の一斉回頭はそれなりに危険なのだが、南雲司令官は心配していない。

 そして、各艦の艦長は南雲司令官の期待によくこたえた。

 回頭が終わるとすぐに先ほどと同じ手順で星弾を放ち、左舷側の魚雷を発射した。


 南雲司令官は静かにその時を待つ。

 八隻の重巡から放たれた五二本と護衛の駆逐艦から放たれた三二本の合わせて八四本の第一波魚雷がそろそろ太平洋艦隊に到達する時間だ。

 その太平洋艦隊に動きは無い。

 ハワイへの最短航路を定速で進んでいる。

 未来位置が容易に計算出来る、願っても無い標的と言っていい。

 これで、当たらなければ自分を含めたここにいる水雷屋は切腹ものだ。

 やがて、敵艦隊の隊列の中で赤い光が灯り始めた。





 「九本か」


 南雲司令官はその微妙な数字に何とも言えない気持ちになる。

 ウェーク島沖海戦では第一波、第二波ともに命中した魚雷は一割に満たなかったのだから、これまでで最高の命中率だ。

 しかし、自分は短かったとはいえ水雷学校長のときに魚雷の機械的な不具合の洗い出しや信管を過敏に調整しようとするのを改めさせるなど、十分に改善対策をやってきたという自負があった。

 二割は欲張りすぎかもしれないが、ウェーク島沖海戦と同じ条件ならば不可能ではないと思っていた。

 今回は視界の悪い夜間雷撃だったが、それでもウェーク島沖海戦よりも近い距離で放っているし、乗組員のほとんどはあの時と違って実戦を積み重ねている。

 なにより、敵艦隊は高速で回避運動を行うこともなく、低速でただ漫然と直進するだけの存在にしか過ぎなかったのだ。


 「それが、なぜこれほどまでに当たらない?」

 

 そんなことをつらつらと考えている間に敵艦隊の中でまた赤い光が灯り出した。

 魚雷の第二波が太平洋艦隊を捉えた始めたのだ。

 その第二波魚雷は重巡から五二本発射されている。

 そして、命中したのはわずかに四本だった。

 第一波と第二波合わせて一三六本放って命中は一三本。

 今回もまた命中率は一割を切った。


 相変わらずの遠距離雷撃の命中率の低さに渋い表情の南雲司令官だったが、実際のところそれほど落胆はしていない。

 今のところ、ただの一人として部下を失わずに済んでいるからだ。

 損害をかえりみず、常に戦果を求めてきた自分も変わったものだと思う。

 もし、この一連の作戦が終わった時点で誰も死なせずに済んだのなら「補助艦殺し」という気に入らない二つ名を「死なせずの提督」にでも変えてもらおう。

 たぶん誰もそう呼んではくれないだろうが。

 一人ばかなことを考えている自分に苦笑しつつ、南雲司令官は事前に定められた作戦の手順に従って次々に新たな命令を出していく。

 今作戦における第一段階の目標は太平洋艦隊の殲滅。

 その達成は南雲司令官の目から見ても確実なものに思えたが、それでも彼に慢心や油断といったものは一切無かった。

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