第47話 零戦

 第一機動艦隊は第一から第四までの四個艦隊に配備された一二隻の空母から零戦一四四機、九九艦爆一二〇機の合わせて二六四機からなる第一次攻撃隊を送り出した。

 零戦が多いのは、米機動部隊がウェーク島沖海戦の戦訓から戦闘機隊を大幅に増強していることが確実視されているからだ。

 仮に、発見された四隻の米空母が搭載する艦上機のうちで、その半数を戦闘機で固めていた場合、その数は一五〇機を超えるだろう。

 一四四機もの零戦を護衛にあてたのはその対策のためであった。


 第一次攻撃隊の発進が完了すると同時に、各空母の飛行甲板や格納庫では将兵らが第二次攻撃隊の出撃準備にとりかかっている。

 第二次攻撃隊は零戦が五二機に九七艦攻が一二〇機の戦雷編成となっている。

 いまのところ機動部隊同士の戦いは、日本側にとっては理想的な展開だった。

 敵は我を発見できず、しかし我はすでに敵を発見済み。

 一方的に相手を攻撃することができる。

 だが、太平洋艦隊のほうもまたウェーク島沖海戦の戦訓から各艦艇の対空火器を相当に充実させているはずだ。

 当然のことながら、攻撃隊はかなりの損害を被ることを覚悟しなければならなかった。


 一方、太平洋艦隊の各艦ではレーダー表示をめぐって困惑が広がっていた。

 レーダーの表示を信じるのであれば、一五〇キロ先で旋回を続ける機体が一つ。

 さらに、それを追い抜いていった複数の機体。

 そして、その後方に三〇〇機近い大編隊。

 レーダーの不調を疑われ、機器を点検していた技術士官はどこにも問題がないと結論づけた。

 同時に、技術士官は口にこそ出さないものの、ひとつの可能性に思い至る。

 一五〇キロ先で旋回を続ける機体にレーダーが搭載されていたとしたら、すべてのつじつまがあうことに。

 だが、技術士官は頭からその可能性を追い出す。

 米国の艦上機ですらいまだ成し得ていないレーダー装備を、日本のような技術後進国の機体が搭載しているはずがないと。




 第一次攻撃隊指揮官の「蒼龍」艦爆隊長は先行した九七艦電から入ってくる情報を整理しながら目標に向けて飛行を続けていた。

 敵艦隊は二群に分かれ、一方は空母と戦艦がそれぞれ二隻、それに巡洋艦が四隻に駆逐艦が一二隻だという。

 もう一方は空母が二隻に巡洋艦が六隻、それに駆逐艦が一二隻で、それぞれが空母を中心とした二つの輪形陣を形成しているとのことだ。

 その「蒼龍」艦爆隊長の瞳に、動きが慌ただしくなった零戦の姿が映り込む。

 半数が突出、前方の空に現れたゴマ粒のような敵機に向かっていく。

 残り半数は攻撃隊から離れずにそのまま護衛任務を継続してくれている。

 すでに戦端が開かれた以上、判断を急ぐ必要があった。

 だから、敵艦隊を視認する前ではあるものの攻撃隊指揮官は目標の割り振りを決断する。


 「戦艦を含む艦隊を甲、もう一方を乙と呼称する。一航戦と二航戦は甲、三航戦ならびに四航戦は乙を目標とせよ。乙の攻撃についてはこれを三航戦指揮官に委ねる」


 「蒼龍」艦爆隊長の命令一下、攻撃隊が二手に分かれ敵艦隊を目指す。


 一方、迎撃する側の太平洋艦隊のほうだが、こちらは四隻の空母から発艦できたF4Fは一〇〇機に満たなかった。

 自分たちが事前に日本の索敵機に接触されでもしていたら警戒を厳にしてもっと飛ばせていたのかもしれない。

 だが、索敵機に接触された形跡はなかった。

 艦隊のその誰もが日本の索敵機を視認していない。

 レーダーにも何も映っていなかった。

 ただ、一五〇キロもの遠方で旋回、ときおり何か通信のような電波を発していた機体があっただけだ。




 制空隊の一員として第一次攻撃隊の本隊から分離、味方の九九艦爆をまもるためにF4Fの前に立ちはだかった一等飛行兵は小隊長機を狙う敵機がいないか全周に警戒の視線をめぐらせる。

 ウェーク島沖海戦のときには四等飛行兵だった彼は、階級呼称の変更と昇進とで今では一等飛行兵となっている。

 「母艦練習航空隊」一期生の中で優秀な成績だった彼は、同期の誰よりも早く正規空母に配属されたうちの一人だった。

 そのことを誇らしく思うと同時に、初陣では必ず一機は墜としてみせると鼻息も荒かった。

 だが、戦場の現実は冷酷だった。

 ウェーク島沖海戦では長機の機動についていくのに精いっぱいで、終わってみれば何も覚えていない。

 ただ、同じ中隊に配属された三人の同期のうちで生き残ったのは自分だけだったという事実だけが記憶に残っている。

 豪州作戦では手練れが操るP40に追い回されて機体を穴だらけにされた。

 生還できたのが不思議なくらいだった。

 インド洋作戦では艦隊の上空直掩にまわされており、戦闘には参加していない。

 それでも大きな作戦のそのすべてで生き残った彼はすでに一人前扱いされていた。

 生き残ることで信頼を勝ち得たのだろうか、今では小隊長を守る二番機としてこの空戦に参加している。


 小隊長機がF4Fを墜とすのと同じタイミングで、一等飛行兵の目に左下を真っすぐに飛ぶF4Fが映った。

 列機を見失ったのだろうか。

 彼我が入り乱れる空戦の最中に直線飛行をするのは自殺行為だ。

 一等飛行兵は翼をひるがえし、そのF4Fの直上から二〇ミリ機銃を撃ちかけた。

 頭上から二〇ミリ弾をしたたかに浴びたF4Fは燃料タンクに引火したのか被弾と同時に爆発、太平洋の空に散華した。

 同時に一等飛行兵は気配を感じ、とっさに振り返る。

 そこには小隊長機の姿があった。

 ずっと自分を見守ってくれていたのだろう。

 ウェーク島沖海戦で自分と同期の教え子を失ったという元教官の小隊長はうれしそうに指を一本立てた。

 狩られる側で必死になって生き延びる努力を続けてきた一等飛行兵が、狩る側へと回った瞬間だった。




 「翔鶴」戦闘機隊最強の一人と言われる男の機動はその戦闘空域の中でも傑出していた。

 男はウェーク島沖海戦が終わった翌日の「翔鶴」で、ある中将に上官批判と受けとられるのを覚悟の上で小隊編成についての提言をした。

 中将はそれを黙って聞いてくれ、さらに下士官にしかすぎない自分に対して「勇気ある提言に礼を言う」と言って深々と頭を下げてくれた。

 その後の話も母艦練習航空隊にいた同期の教官から聞いている。

 中将は「勇気ある搭乗員に報いたい」と言って、いろいろと手を回してくれていたらしい。

 下士官にとって雲の上の存在ともいえる中将が自分のために動いてくれていたのが、最初は信じられなかった。

 そして、現在の戦闘機隊は従来の一個小隊三機編成から二機を最小戦闘単位とした一個小隊四機編成となっている。

 それもこれも、下士官の言葉を真剣にくみ取ってくれたうえに、その実現に尽力してくれた中将のおかげだ。

 そして今、その恩義に報いる時が来たようだ。

 男はこの日三機目になる獲物を見つけた。

 迷わず突進していった。


 搭乗員らの奮闘もあり、零戦隊の防衛網は鉄壁だった。

 艦爆隊は一機も損なうことなく、太平洋艦隊上空に到達しつつあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る