第46話 Z旗

 「うちの索敵線が本命だと思ったんだがな」


 あと一〇分で折り返し点ですと告げてきた操縦員に了解と返しつつ、その一方で機長の大尉は胸中で盛大にぼやく。

 定時連絡を断った友軍潜水艦が複数出たことを受け、第一機動艦隊は警戒態勢を強化した。

 今日も夜明けとともに敵艦隊がいると思われる海域に向けて多数の九七艦電を放っている。


 九七艦電のペアは艦攻乗りの中でも特に技量優秀な士官と準士官あるいは下士官の搭乗員らから選抜している。

 これは、何よりも索敵を重視している金満提督の意向を受けてのものだ。

 そして、今では九七艦電乗りに選ばれることは搭乗員にとっての一種のステータスともなっている。

 大尉自身もまた己の技量には自信があるし、操縦員も信頼できる熟練だった。

 その自分たちが敵艦隊を捉えられないということは、つまりはこの索敵線はハズレだったのだろう。

 そう思ってあきらめかけたとき、表示装置に反応が現れる。

 大尉はそのことをすぐに操縦員に告げるとともに、計器に目を凝らした。




 第一六任務部隊の空母「ワスプ」のレーダーオペレーターは困惑していた。

 一五〇キロ先に単機の航空機のものと思われる反応が現れ、それが同じところを旋回しているようなのだ。

 潜水艦を見つけた航空機という可能性もあるが、何も無い太平洋の真ん中に友軍機がいるとも思えないし、日本艦隊がこんなところでわざわざ潜水艦狩りをする理由もみつからない。

 すぐに上官に報告して見てもらったが、スコープを覗き込んだ上官もまたそこに表示される輝点を見て首をひねっている。

 それでも、上官の判断は早かった。

 技術担当者を呼んで確認してもらうようレーダーオペレーターに命令する。




 「ワスプ」の技術担当者らが謎の輝点の原因究明にあたっているのと同じ頃、大尉はすでに電探の反応を読み取っていた。

 そして、発見位置ならびに的針や的速を打電する。

 敵艦隊を目視で確認に行くような真似はしない。

 もちろん相手側の戦力構成を知りたいのはやまやまだが、一方でこちらが彼らを発見したという事実もまた可能な限り察知されたくはない。

 その大尉の九七艦電は敵艦隊との距離を一定に保ちながら、引継ぎの接触機がこちらに来るまではその監視を続けることになる。

 大尉は敵艦隊を発見できたことが嬉しかった。

 生涯の誇りとなる、自身の人生における最大の快挙だ。

 発見した敵艦隊、おそらくは太平洋艦隊の主力と一機艦との距離は大きく離れている。

 米艦上機の航続性能を考えれば、彼らは一機艦の後方で哨戒ラインを形成する「秋月」型駆逐艦は発見できても本隊を見つけ出すことは無理だろう。

 つまり、我は敵を知り、敵は我を発見出来ずという、洋上航空戦における理想的なお膳立てを自分たちはやってのけたのだ。

 まさに軍人冥利、搭乗員冥利につきた。

 だがしかし、喜びの一方で大尉は同時に恐怖も感じた。

 もし乗機が九七艦電ではなく従来の九七艦攻で、搭乗員の目視に頼った偵察だったとしたら間違いなく敵艦隊を発見することはできなかった。

 逆に敵を見ないままの一機艦は後背から太平洋艦隊の奇襲を受けたかもしれない。

 もし、敵艦上機の先制攻撃を受けて防戦一方になっていたら、いかに精強を誇る一機艦であったとしても空母を何隻かやられていたはずだ。

 それと大尉の九七艦電は燃料不足のため母艦に帰りつくことはできない。

 帰投よりも接触維持を優先したからだ。

 だから、大尉の九七艦電は任務が終われば一機艦本隊の後方に展開している哨戒隊の駆逐艦「涼月」のそばに着水することになる。

 以前の自分だったら「涼月」を探せるかどうか不安になったはずだ。

 三〇〇〇トン近い大型駆逐艦も広大な太平洋では点にしか過ぎない。

 だが、九七艦電を乗機とする今はそのような心配はない。

 大尉はいろいろな意味で今日ほど電探がありがたいと思ったことは無かった。




 索敵機の報告を受けたとき、金満提督は全艦隊に対し、ただちに警戒態勢から戦闘態勢に移行するよう指示を出す。

 腕利きの九七艦電搭乗員の報告を疑うような真似はしない。

 それに、複数の伊号潜水艦が定時連絡を断っているという傍証もあるし、なにより太平洋艦隊を一機艦と戦わざるをえない状況に追い込んだのが誰あろう金満提督自身なのだから。


 「第一と第二、それに第三ならびに第四艦隊は反転。方位二三〇度」

 「補給部隊は方位〇度に向けて避退せよ。第五艦隊は補給部隊の護衛にあたれ」

 「特務戦隊は回頭終了後に所定の手順に従って行動せよ」

 「索敵行動中の偵察機はただちに帰投、各母艦はその収容作業を急げ」


 攻撃隊を出すには敵艦隊との間にまだ少し距離があった。

 そのインターバルを金満提督は無駄にはしない。

 彼は時間を惜しむように次々に命令を下していく。

 そこに、いつもののほほんとした態度は無かった。

 金満提督の命令を受けた「赤城」の九七艦電が接触維持ならびに敵艦隊のさらなる詳細な情報を得るために飛行甲板を蹴って大空に舞い上がる。




 太平洋艦隊を発見してから少し後、攻撃隊の発進準備が整ったなかで搭乗員らは「赤城」の艦橋前に整列していた。

 その搭乗員らの間で歓声があがる。

 「赤城」のマストにZ旗が掲げられたのだ。

 ウェーク島沖海戦のときにはついに翻ることはなかったそれ。

 海軍軍人なら誰もが知っている。


 「皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」


 金満提督が壇上に上がる。

 搭乗員の視線はZ旗から一機艦最高指揮官に向けられる。

 誰よりも搭乗員の命を大切に思ってくれる金満提督は飛行機屋の間では有名人であり、どの将官連中よりも慕われている。

 特に、下士官兵からの人気は絶大だ。

 搭乗員らは思う。

 この提督のもとで戦えるのなら例え今日死ぬことがあっても悔いは無いだろうと。


 金満提督は感謝していた。

 九七艦電を仕上げてくれた技術者やテストパイロットらに。

 相手よりも先に敵艦隊を発見、不時着水を承知のうえで敵との接触を保ってくれている九七艦電の搭乗員に。

 そして、国や愛する者を守るためにこれから死地に飛び込もうとしている第一次攻撃隊の搭乗員に。

 金満提督は搭乗員たちを見やる。

 誰もが決意を秘めた、それでいて晴れやかな表情をしていた。

 小さく首肯しつつ、金満提督はこれまで誰も聞いたことのない、よく通る威厳に満ちた声で搭乗員たちを激励する。


 「太平洋艦隊は空母の数においても、その艦上機の数においても一機艦には遠く及ばない。空母の数は三分の一、艦上機もせいぜいこちらの半数程度といったところだろう。そのうえ機体性能や搭乗員の技量も間違いなくこちらが優越しているはずだ。

 量に劣り、さらに質でも劣るようではまともな戦などとういて望むことはかなわない。だが、そのような逆境の中にあってもなお彼らは国を、家族や親しい人たちを守るためにこちらに立ち向かってきている。

 だからこそ、命令する。

 絶望的な戦力差でもなお逃げずに戦いを挑んでくる太平洋艦隊の将兵に対して最大限の敬意をもって、その全身全霊をもって彼らを叩き潰せ!」


 これから戦うべき相手は人として尊敬に値する連中だということにして、その戦力差から生じる目に見えない油断や慢心の芽を部下の心から刈り取っていく。

 そして、これ以上は言葉を飾る必要はなかった。

 一呼吸置き、最後の言葉を紡ぐ。


 「日本の未来はこの戦いにかかっている!

 諸君らの健闘に期待する!」

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