第45話 誘引

 「追ってきますかな。太平洋艦隊は」


 第一機動艦隊の旗艦、空母「赤城」艦橋で軍令部第二部第三課長から空母「蒼龍」艦長を経て一機艦参謀長になった柳本大佐が金満提督に話しかける。

 柳本参謀長は帝国海軍でも早いうちから電探に有用性を見出した一人で、軍令部の中では珍しく日独伊三国同盟に反対していた。

 金満提督は口に出してこそ言わないが、それら柳本参謀長の見識を高く評価している。

 その帝国海軍では一機艦ほどの大規模な艦隊であれば、参謀長は少将がその任にあたるのが通例だ。

 だが、現在は非常時ともいえる戦時であること、それと柳本大佐が少将昇進を目前に控えた古参の大佐であること、それになにより金満提督の意向が大きくものを言って現在のポジションと相成った。

 金満提督は海軍人事を司る山本大臣に対し、一機艦の司令長官になる条件のひとつに柳本大佐を参謀長に据えるよう要求していたのだ。

 「超軍神」と呼ばれた連合艦隊司令長官時代に、人事の横紙破りを平気で繰り返してきた山本大臣にこれを拒否できるわけが無い。

 なにより、司令官はおろか艦長経験すら持ち合わせていない金満提督を一機艦の司令長官に据えた張本人こそが山本大臣その人なのだから。


 「間違いなく追ってくるでしょう。もし、ここで手をこまねいたまま我々を見逃し、そのことで西海岸の都市が一機艦に攻撃されるようなことがあれば太平洋艦隊司令長官の首だけでは済みませんからね。下手をすればルーズベルトの命取りにすらなりかねません。まあ、そうなったらそうなったで実に面白い展開なのですが」


 その表情に悪い笑みを浮かべる金満提督に苦笑を返しつつ、柳本参謀長もすでに太平洋艦隊が自分たちを追ってくることを確信していた。

 かつて第一航空艦隊が豪州の都市を破壊した一連の作戦の後、日本政府はもし仮に東洋艦隊が豪州救援に赴いていたら、一航艦は攻撃を諦めて撤退せざるを得なかったという嘘の発表をした。

 そして、その発表を真に受けた豪州国民の東洋艦隊あるいは英国に対する怒り、怨嗟は凄まじいものだったらしい。

 その日本政府による発表文を起草したのが、どうやら金満提督だったということを柳本参謀長は人伝に聞いている。

 艦隊の将兵らにとって、戦いから逃げて自分たちを見捨てたと思われ、その憎悪を向けられるのはたとえ他国の国民からであったとしてもつらいものがある。

 まして、自分たちが守るべき自国民からそのような目を向けられればいたたまれないだろう。


 すでに、日本政府は合衆国政府に対して西海岸ならびにハワイを攻撃すると事前通告している。

 そして、それと同じ内容のものを市民の避難のための一助にという建前で米国のマスコミにも知らせていた。

 このことで、金満提督が言うように太平洋艦隊は一機艦をスルーすることが出来なくなったはずだ。

 もし、太平洋艦隊が一機艦と戦わずに、その結果として西海岸の街が空襲されるようなことになれば自国民から受ける非難は凄絶なものになるだろう。

 それは、金満提督の奸計によって自国を見捨てられたと思い込まされた豪州国民が英国に抱く怨念どころの話ではないはずだ。


 柳本参謀長は実のところ、東洋艦隊の件と今回の件はつながっているのではないかと考えている。

 東洋艦隊が豪州を救援にいかなった事実を金満提督が盛大な尾ひれをつけて政治利用したことは、チャーチルの首を取るための手段のひとつだと思っていた。

 だが、実のところは太平洋艦隊に掣肘をかけるための布石、もっと言えば太平洋艦隊が一機艦と嫌でも戦わざるを得ない状況をつくり出すための環境づくりだったのではないか。

 あるいは豪州と英国を巻き込んだ離反工作はもののついでであって、本命はハワイの基地航空隊と米機動部隊の分断だったのかもしれない。

 もし、そうであるならば、この御仁を敵に回すような真似だけは絶対にしてはならない。

 そんな柳本参謀長の思いをよそに、金満提督が話を続ける。


 「それに補給部隊を三隊も伴っていることは彼らもすでに承知しているはずです。南半球の奥深くや遠いインド洋でさえ補給部隊は一隊だけだった。それが三隊もあるということがどういうことか彼らも容易に想像がつくでしょう」


 一機艦の現在位置はハワイの北北東一二〇〇キロ。

 東へ向けて航行を続けている。

 このまま進むと西海岸だ。

 ハワイを守る太平洋艦隊から見ればハワイを素通りして米本土へ向かってしまう格好だ。

 その一機艦はこの広大な太平洋の真ん中で太平洋艦隊を撃滅するつもりだった。

 ハワイや西海岸に展開する有力な基地航空隊の活動圏内で太平洋艦隊と戦うのは考えるまでもなく不利だからだ。

 軍令部の分析ではハワイには六〇〇機から七〇〇機程度の航空機があると見積もられている。

 太平洋艦隊の空母艦上機が三〇〇機から三五〇機程度だから合わせて一〇〇〇機になる。

 いくら精強の一機艦の航空隊でもまともにぶつかれば大損害を被るのは明らかだった。


 一方で、太平洋艦隊が一機艦に対して単独での戦闘を避けようとすることも分かっていた。

 空母にしろ戦艦にしろ、性能はともかく数の面では明らかに太平洋艦隊側が劣勢だからだ。

 そこで、一機艦のほうはわざと隙を見せる。

 米本土に向かうと見せかけることで、太平洋艦隊に対してあえて背中をさらすのだ。

 あるいは、その背後から襲ってこいという挑発とも言える。

 かといって、ほんとうに奇襲をうけるのはもちろん御免だ。

 だからハワイから西海岸にかけて伊号潜水艦による哨戒線、さらに四隻の「秋月」型駆逐艦によるレーダーピケットライン、それに九七艦電による電探索敵と零式水偵の従来の目視での索敵による四重の警戒線をもって米艦隊を待ち受ける。

 かつての情報や索敵を軽視した帝国海軍の姿はそこには無い。

 先のインド洋海戦でも四段索敵という病的ともいえる執念深い索敵によって英艦隊の奇襲を避けることができたという戦訓も大きい。


 「まあ、ここは信玄公にでもなったつもりでのんびり待ちましょう」


 言葉通り、のほほんとした口調で金満提督が誰ともなしに語りかける。


 「さしずめハワイが浜松城、太平洋艦隊が家康といったところですな」


 昔の合戦を引き合いに出した金満提督の言葉に柳本参謀長が応える。

 作戦中にもかかわらず、「赤城」艦橋の中はのんびりムードだ。

 それは金満提督の方針でもあった。

 人間という生き物は集中力を長時間維持することが出来ない。

 それに、余計な緊張は精神や神経を蝕み、ひいては戦力を削ることにもつながる。

 だから、のんびりできるときにはのんびりするに限る。

 だが、それも明日までだろう。

 太平洋艦隊は早ければ明後日、遅くとも四日以内には仕掛けてくると金満提督はみている。




 翌日、複数の潜水艦からの定時連絡が途絶えたという本国からの無電を「赤城」通信室がキャッチした。

 そのことで、誰もが確信する。

 自分たちの背後から太平洋艦隊が迫っていることを。

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