第42話 金満艦隊

 出撃前のセレモニーを終えた金満提督は大勢の関係者に見送られながら長官用の内火艇に乗り込もうとしていた。

 彼は四個機動艦隊ならびに一個水上打撃艦隊を主力とする第一機動艦隊の最高指揮官として米国に戦いを挑むのだ。

 内火艇の向かう先には旗艦「赤城」が停泊していた。

 金満提督は最後となるかもしれない本土の景色とともに岸壁で見送る人たちをみやる。

 そこでふと、周囲の景色から浮いている一〇人ほどの白い服を着た一団が彼の瞳に映る。

 その誰もが美人でスタイルが良く、なによりその顔に見覚えがあった。

 米軍捕虜を相手にした和平工作? をお願いしていた海軍病院の看護婦たちだった。

 金満提督と目が合ったことに気づいた一番右にいた最も年かさに見える女性、つまりはホウコさんが金満提督だけに分かる凄みのある笑みを浮かべて敬礼する。

 他の看護婦たちもそれにならって次々に見事な敬礼を決めた。

 ふだんから姿勢が良く、そのうえ美人揃いということもあって、彼女らは周囲から好奇の視線の集中砲火を浴びる。

 そんな彼女らに対し、金満提督も苦笑しながら答礼、看護婦たちは金満提督の姿が見えなくなるまでその敬礼を崩さなかった。


 「思い返せば、彼女たちにもいろいろと苦労や迷惑をかけた」


 金満提督も最近聞いたのだが、捕虜の中には帰国を拒否し、このまま看護婦のいる日本で生きると言ってだだをこねる者が続出したらしい。

 祖国よりも女を選ぶというのは、男のなかではありがちな反応だ。

 しかも見目麗しく、そのうえ自分に思わせぶりな態度を隠さない若い女性であればなおのこと。

 だが、そのことで海軍病院の関係者は彼らへの対応に大変な思いをしたという。

 そりゃそうだろう。

 女にのぼせあがった屈強な米兵を翻意させ、本国へ送り返すという作業は並大抵の苦労ではなかったはずだ。


 九カ月近く前のことを金満提督は思い出す。

 ホウコさんの笑顔(のように見えるもの)に、この世には決して怒らせてはいけない相手がいることを学んだ。

 改名を希望したソウコさんとヒコさんは、こちらが新たに提示したハルナならびにマヤの名前を聞いてとても喜んでいた。

 若くて妖精のような雰囲気を纏ったズイコちゃんは、自分が冗談で提案したユキカゼという名前がなぜかいたく気に入ったようで、周りが考え直すように促したのにもかかわらず頑としてユキカゼに改名すると言い張ったこと。

 ばかばかしい、それでいてどこか懐かしい記憶を思い起こすとともに、日本の未来を決する戦いに臨む自分の心が知らず知らずのうちに恐怖や不安によって蝕まれていたことを金満提督は自覚する。

 自分は物事に動じないタイプだと思っていたが、どうやらそうでもなかったみたいだ。

 そして、看護婦である彼女たちは、今の自分の心の状態がどうなっているのか分かってくれていたのだろう。

 そして周囲の物珍し気な視線を我慢しつつ、白衣のままの姿で自分を見送ってくれた。

 ふだん通りでいいのだと。


 金満提督は心の中で看護婦たちに感謝した。

 そして、改めて誓う。

 この戦い、必ず勝たなければならないのだと。

 負ければ日本は破滅する。

 本土の大半は爆撃や艦砲射撃によって蹂躙され、焼野原にされてしまうはずだ。

 もちろん、その過程で大勢の人がその命を落とすだろう。

 その最悪のシナリオを回避するために、たった一度のチャンスをつかみ取るために自分たちは出撃する。

 金満提督は改めて重責を感じた。

 しかし、それはこれまでのものとは違う、前向きなそれだった。




 徐々に小さくなる「赤城」を二人の将官が見送っている。


 「行ってしまいましたな」


 新しく連合艦隊司令長官に就任した小沢中将が信頼と不安が半ば入り混じったような顔を山本大臣に向ける。


 「大丈夫でしょうか。金満提督は、自分は戦隊司令はおろか艦長すらも一度たりとてやったことがないのにとぼやいていましたが」


 そう語る小沢長官に対し、山本大臣は「彼ならやってくれるさ」と信頼しきった表情で返す。

 金満提督はこの戦いの本当の目的、必要な勝利条件をこちらが言う前からすべて理解していた。

 山本大臣は確信している。

 彼であれば大丈夫だ、と。

 そして、今作戦の布石の第一段として間もなく世界へ向けて日本から発信される。


 「最強の艦隊は出撃した。再度勧告する。ハワイならびに西海岸住民は避難を急げ」


 攻撃を予告することで騙し討ちだという非難を避けるとともに、もし仮に民間人に死傷者が出たとしても、それはこちらの警告を無視したからだと相手の政府や軍にその責任を転嫁することが出来る。

 これもまた、金満提督の入れ知恵だった。


 その金満提督を乗せた「赤城」が水平線の向こうに消えつつある


 「金満艦隊が征く、か」


 「貧乏な帝国海軍に対する当てつけのような名前ですな」


 山本大臣のつぶやきに、小沢長官が苦笑込みのリアクションを返す。

 だがしかし、山本大臣は小さく首を振る。


 「私はそうは思わんよ。金満艦隊の金はマネーではなくゴールドだ。黄金の光、それは希望の光だ。金満艦隊とは希望の光に満ちた艦隊。きっとこの戦争から日本を救ってくれる」


 そう語る山本大臣は、こうも思っている。

 日本が生きるも死ぬも、金満提督次第なのだと。




 ときに昭和一七年九月二一日。

 金満艦隊は最初にして最後の戦いに出撃した。

 それは日本の未来を、存亡をかけた戦いでもあった。

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