太平洋決戦

第40話 布石

 それはインド洋作戦が終わって一カ月もしないうちのことだった。

 金満提督は山本連合艦隊司令長官から呼び出されて海軍御用達の料亭にきていた。

 山本長官のようなあまり酒を飲まない人と一緒に飲んでも楽しくはないんだがな、と思いつつもあれこれ苦労している彼の誘いを断るのもなんだか悪い気がしたのでお付き合いすることにしたのだ。

 だけど来てびっくり、そこには山本長官のほかに「三羽烏」の長兄と末弟、つまりは米内大将と井上中将もいたのだ。

 金満提督は何か自分がとんでもない思惑に巻き込まれているんじゃないかと警戒した。

 それでも、このメンバーであればせいぜい終戦に向けた工作資金のおねだりかな? 程度にしかその時は考えていなかった。

 そんな金満提督に対し、山本長官は挨拶もそこそこに本題を切り出した。


 「金田君、アルコールが入る前に結論から先に話す。君には第一機動艦隊の司令長官を引き受けてもらいたい」


 金満提督は一瞬、苦労続きの山本長官がついに壊れてしまったかと思った。

 平時ですら激務と言われる連合艦隊司令長官を、しかも三年近くも続けているのだ。

 そのうえ今は戦時だから、彼が受けるストレスは生半可なものでは無いことは想像に難くない。

 金満提督は山本長官のことを奇矯なところがある人間だとも思っているが、それでもそのことを口に出さないくらいの分別は弁えている。

 だから、ただ黙ってその先の言葉を待つ。


 「この任務は君にしか任せることが出来ない。私は人をみる目はあるんだ」


 この言にはさすがの金満提督も胸中で盛大に叫ぶ。


 「それだけはやめてくれ! 人としての自信が無くなる」


 山本長官の人の見る目の無さは、金満提督の中では絶対真理だ。

 実際、山本長官の意を反映して集められた連合艦隊司令部の参謀連中を見れば分かる。

 どいつもこいつも以下略・・・・・・

 金満提督は気を取り直して口を開く。


 「お言葉ですが長官、私は戦隊司令官はおろか艦長さえやったことがありませんよ」


 「貴官は中将になるまで海軍で何をやっていたんだ?」


 金満提督のカミングアウトに山本長官が呆れた声を出す。

 だが、無理も無い。

 他国はともかく帝国海軍において艦長や司令官を経験せずに中将になった者など皆無に等しい。


 「そもそも、何で私なんですか。今の一機艦の小沢長官は立派に任務を果たしているじゃないですか」


 「彼には連合艦隊司令長官になってもらう」


 「じゃあ長官ご自身は?」


 「海軍大臣になることが内定している」


 山本長官が海軍大臣になる。

 そのことで、金満提督はぴんとくるものがあった。


 「じゃあ、そこのお二方は軍令部総長と軍令部次長ですか」


 山本長官がニヤリと笑う。

 分かっているじゃないかと。

 金満提督は完全に悟る。

 これはもう、あれだ。

 完全に講和、つまりは終戦に向けた布陣だ。

 金満提督も山本長官の政治力だけは認めている。

 この人のことだから、海軍はおろか陸軍にも相当にいろいろと食い込んでいるはずだ。

 それに山本長官が海軍大臣に就任し、そして「三羽烏」の長兄と末弟が軍令部の要職につくということは、やんごとなき海軍元帥一派との権力闘争に打ち勝ったということなのだろう。

 今の海軍大臣を辞めさせるには、やんごとなき海軍元帥をまずはどうにかしなければならないからだ。

 そして、それを成功させるためにはやんごとなき海軍元帥を上回る力が必要となる。

 そのような人間など、日本には「現人神」しかいない。

 そして、山本長官は「現人神」の周辺にも手を回し、やんごとなき海軍元帥とそれに連なる関係者を排除した。

 それは、つまりは「超軍神」が帝国海軍内において絶対的な権力を握ったということだ。

 同時にそれは、金満提督の外堀もまた完全に埋められてしまったことも意味する。

 それでも、金満提督は逃げ道が無くなったことを自覚しつつも最後の抵抗を試みる。


 「次の作戦は、日米の講和が成るか成らないかの天王山です。皇国の興廃この一戦にありの戦いですよ。それがなぜ指揮経験の無い私なんですか」


 金満提督の「皇国の興廃この一戦にあり」の言葉に山本長官は少し悔しそうな顔をする。

 実はウェーク島沖海戦のときに舞い上がってしまった彼は「Z旗」を掲げ忘れたのだ。

 それが今もトラウマになっている。

 金満提督もそれを知っていてわざと言ったのだが。


 「ウェーク島沖海戦から、いや戦争が始まる前から貴官のことはずっと見させてもらってきた。電探をはじめとした進取の気性に戦場での果断な決断。もちろん、これを持ち合わせている海軍将官も無ではない。だが、君のように軍事にしろあるいは政治や経済にしろ、正確に損得勘定ができる人間は他にいないのだ。敵国首脳への嫌がらせは天才的だった」


 「計算高くて根性の悪い人間のように聞こえますが」


 「その通りだ」


 そう言って山本長官は悪い笑みを浮かべ、それから真顔に戻る。


 「君はかつて米国駐在中に米国市場相手の経済戦争に打ち勝った。そして今度はほんとうの戦争で米国に打ち勝ってほしい。この戦争を終わらせることが出来るのは君をおいて他にはいないのだ」


 山本長官の決意は固そうだ。

 金満提督はすべてを諦めるとともに大事なことを確認する。


 「国内政治の方はお任せしても?」


 「私を誰だと思っている」


 山本長官の力強い言葉に金満提督は決意する。

 戦争を始めるための戦いならまっぴらごめんだが、終わらせるための戦いなら拒否できるはずがない。

 金満提督の表情を見てとったのだろう、「三羽烏」の長兄と末弟もニヤニヤしている。


 「これは山本長官にうまく丸め込まれたかな」


 金満提督はあの山本長官に一本取られたのは癪だったが、悪い気はしなかった。




 時を同じくして、帝国海軍は総力を挙げて第一機動艦隊の兵力拡充に努めていた。

 既存艦に対空兵装の増備や対潜装備の刷新を進め、新しく就役した空母「隼鷹」と「飛鷹」、それに「龍鳳」や巨大戦艦「武蔵」は猛訓練に明け暮れている。


 一方の米海軍も空母「ワスプ」と「レンジャー」に加え、新鋭戦艦「ワシントン」ならびに「ノースカロライナ」を大西洋から太平洋に回航、新生太平洋艦隊の増強を図っていた。


 戦機が急速に熟しつつあった。

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