第32話 次なる目的

 「いやー、さすがです」


 室内に軍令部員の明るい声が響く。

 軍令部と連合艦隊司令部の会議でのことだ。

 開戦以前から戦略目標の選定をめぐっていつも諍いを起こしていたのが、今回は珍しく両者の思惑が合致したのでうれしいのだろう。

 目指すはインド洋、戦うべき相手は東洋艦隊、狙うは英首相チャーチルの首。


 「これが戦術レベルの指揮官なら米空母のいない今のうちにハワイを攻めようとか言い出すのでしょうが、さすがは無敵の連合艦隊。世界レベルで戦略を見ておられる」


 世辞のつもりの軍令部員の言に、山本連合艦隊司令長官が微笑を浮かべている。

 先日、山本長官が何を言っていたかということを知っている金満提督は気が気ではない。

 そんな彼だからこそ、今の山本長官の微笑が決して笑っているのではないこともよく理解出来る。

 それに、少し前に見たのだ。

 男女の違いはあれど、海軍病院で同じ類の笑顔を。

 金満提督は心の中で軍令部員に叫ぶ。


 「それ以上はやめろ! 戦術レベルの超軍神に殺されるぞ!」


 山本長官の微笑(に見える顔)を見て喜んでいると勘違いしたのだろう。

 さらに言葉を紡ごうとしている軍令部員に対し、連合艦隊参謀長の宇垣少将がさっさと話を進めるよう促す。

 互いに忙しい身である自分たちに世辞などで時間を潰している暇などないということだろう。

 傲岸不遜、ときに鉄仮面とも揶揄されるいかにも宇垣参謀長らしい振る舞いといえた。

 だが、そんな宇垣参謀長に金満提督は胸中で喝采を送る。


 「ナイス参謀長! あなたは今、三途の川を渡りかけていた軍令部員に最高のタイミングで助け舟を出した。あなたは今、ひとりの軍令部員を救ったのです!」


 なんにせよ、危ないところで話は本筋に戻る。


 「では、今回は目標は一致していますのでこちらは良しとして、まずは予定している参加兵力についてお聞かせ願えますか」


 空気の読める別の軍令部員が投入戦力について問いかける。


 「作戦が五月なので、四月以降の編成を基準にして説明させていただくと、第一と第二ならびに第三、それに第五と第七、加えて第四艦隊の巡洋艦と駆逐艦がその対象となります」


 連合艦隊の作戦参謀が端的に答える。


 四月をもって大幅に連合艦隊の編成が変わることはここにいる者たちにとっては周知の事実だった。


 「作戦参加艦艇の具体的な数をお聞かせ願えますか」


 「戦闘用としては空母が九隻に戦艦が五隻、重巡が一二隻に駆逐艦が二六隻です。油槽船の護衛には重巡四隻に駆逐艦八隻、それに臨時編入の『大鷹』がこれにあたります」


 作戦参謀があげた戦力に軍令部員たちが小さくどよめく。

 これまでの分析から敵の予想される戦力は戦艦五隻に空母三隻、巡洋艦が六隻前後で駆逐艦が一五隻程度と見積もられている。

 戦艦こそ数は同じだが、それ以外は日本側が圧倒していた。

 彼我の戦力差に意を強くしたのか、一人の軍令部員が「この戦も鎧袖一触ですな」などとのんきなことを言う。

 他の軍令部員たちも連合艦隊司令部が示した戦力に安心した様子だ。


 「まずい雰囲気だ」


 金満提督は思う。

 太平洋艦隊に圧勝したことで帝国海軍は傲慢の陥穽に陥っている、と。

 嫌だが、ここは言わねばならない。


 「油断はできません。英空母には夜間雷撃という決め手があります」


 突然の金満提督の言に「タラントかね」と山本長官がすかさず言葉を差し挟む。

 事前の打ち合わせ通り、つまりは金満提督と山本長官の予定調和だ。

 金満提督から見れば軍令部もまた度重なる勝利で天狗になりつつあるように思える。

 それゆえ、組織としての油断はここで断ち切っておかねばならず、そのために金満提督と山本長官は一芝居打ったのだ。

 その山本長官が言ったタラント。

 少数の雷撃機が夜間雷撃で戦艦三隻を撃沈破した海軍史に残る快挙だ。


 「英艦隊は昼間はこちらと距離を取って積極的に動かず、夕方以降に肉薄して夜間雷撃を仕掛けてくるはずです」


 「なぜ、そう思う」


 山本長官は金満提督に疑問を呈するが、これは疑問の形を取った周りの者に対する注意喚起だ。

 先述した通り、金満提督と山本長官の間ではすでに共通認識を持つためのすり合わせはとっくに済んでいる。


 「勝つ手段が他に無いからです」


 かつて山本長官は誰もが連合艦隊は必ず勝つ、逆に言えば英艦隊に勝てる見込みは無いと思い込んでいた中で、金満提督だけは英艦隊の立場になってその勝てる可能性を探っていたことを知っている。

 だから、これから彼に投げかける想定とともにその答えもすでに聞き及んでいる。

 山本長官自身、最初にその言葉を耳にしたときはびっくりしたが。


 「我が方が敵を発見できず、逆に敵が我が方を発見していた状況で日没を迎えた場合はどうする」


 「逃げます」


 金満提督の言に場がざわめく。

 誰かが「連合艦隊が敵に背を見せて逃げるのか」と小さくつぶやく。


 「夜間雷撃は相手との距離が遠ければ遠いほど難易度が上がります。それに逃げることは恥ではありません。打つべき手を打たず、いたずらに被害を受けることのほうが恥です」


 合理的精神を重んじる金満提督にとって、逃げは立派な戦術のひとつだ。


 「電探で敵機を見つけたら逆方向に舵を切って逃げればいいのではないか」


 「対空電探は低高度では波による反射波の影響を受けて機体の判別が困難になります。レーダー先進国の英国はそれを熟知しています」


 山本長官の質問に答えたあと、そのまま金満提督は全員を見回す。

 場のざわめきが収まるのを待って口を開く。


 「英艦隊は最高の夜間雷撃の技量を持った搭乗員を擁し、そして最も進んだ電探の技術を持っています。もちろん数の差がありますから、白昼堂々と戦えば我々の勝利は間違いないでしょう。ですが、零戦が飛ぶことができない夜間、そして電探の捉えられない低空域、つまり夜の低空域は彼らの方が圧倒的に強いのです」


 軍令部員も、そして山本長官を除く連合艦隊司令部員らも声が無い。

 東洋艦隊程度の戦力であれば、まともにぶつかり合えばこちらは負けることは無いと思っていた。

 そして、それは間違いない。

 だが、まともでなかった場合はどうなのか。

 圧倒的な戦力差に安心し、危険の芽を摘み取る努力を怠っていたことを軍令部員も連合艦隊司令部員も自覚する。

 下手をすればタラントでやられたイタリア戦艦の二の舞だ。

 このことで、弛緩した空気は吹き飛んだ。

 議論が熱を帯びてくる。

 軍令部と連合艦隊司令部は一丸となった。

 それは戦争が始まって以来初めてのことかもしれなかった。

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