インド洋作戦
第31話 次なる目標
「次の目標はハワイでどうかと思うのだが」
豪州における一連の作戦の残務処理が一段落ついたところで山本連合艦隊司令長官は金満提督に件の話を持ちかけた。
金満提督と山本長官は豪州が講和を受諾したその日、海軍の講和反対派を抑えるべく、海軍省や軍令部の担当者らとともに奔走していた。
なんだかんだ言っても、やはり軍令部はエリート集団だった。
こちらが何も言わなくても豪州との講和の意義を理解していた。
豪州が戦争から退場してくれれば、日本は南からの連合国軍航空戦力の突き上げを食らわずに済む。
さらに、連合国軍はブリスベンやフリーマントルといった潜水艦による通商破壊戦の策源地を失うのだ。
その意義は極めて大きい。
だが、帝国海軍にも物わかりの悪いやつはいる。
「トラックの安全を図るためにせめてラバウルの保障占領は認めさせるべきだ」
こういった意見はまだマシな方だった。
「なぜ賠償金が無いのか」
「相手が無条件降伏するまで攻撃の手をゆるめるべきではない」
このような、現状を弁えないあるいは日本の国力を無視した正気を疑うような事を言ってきた連中さえいた。
もちろんそのような連中は「超軍神」の一喝でだまらせることもできたが、後にしこりが残りそうだったし、力づくや権力づくというのはいかにも筋が悪い。
そこで金満提督が相手に合わせてお得な情報をお知らせすることになる。
「講和によって米軍が豪州から追い出されれば、潜水艦の策源地はハワイまで後退することになり、南方航路の安全性が劇的に向上します。あなたの艦隊も船団護衛が楽になりますよ」
「豪州戦のために用意した基地航空隊の精鋭を他の用途に転用できます。あなたの戦区に『台南空』の猛者がきてくれるかも」
そもそも米国や英国といった世界の強国と戦争をしている日本に、さらに豪州に戦力を割く余裕なんてあるはずがない。
金満提督に言わせれば、帝国海軍のアホどもに割く時間も無いのだが。
一方の帝国陸軍は何も言わなかった。
ソ連を主敵あるいは大陸を主戦場と考える帝国陸軍は豪州に兵力を割くのには消極的だったからだ。
もし、ここで豪州が手をあげてくれるのならば、貴重な兵力を南方に投入しなくて済む。
兵力の不足に悩む帝国陸軍上層部からすれば願ったりかなったりだ。
余計なことを言って変にこじらせる必要は無かった。
昨日、一日署長ならぬ一日苦情受付担当をしていた金満提督はほんとうなら今日は一日のんびりしようと思っていた。
帝国海軍のアホどもの相手をしたおかげで心底疲れてしまったからだ。
そうしたら今日、空気を読まない山本長官が訪ねてきて、ハワイはどうかな? などと言ってくる。
金満提督もさすがに面倒くさい。
「私のような無任所に話を聞くより、立派な参謀長をはじめとしたブレーンがいるのだから、そちらに相談すればいいでしょう」
そう言ったあとで金満提督は地雷を踏んだことに気づく。
山本長官に「参謀長」は禁句だった。
両名の人間関係がうまくいっていないことは海軍の高級士官ならだれもが知っている。
だが、口から出てしまったものはしょうがない。
金満提督はあきらめて山本長官の機嫌をとるために話を聞くことにした。
そうしたところ、山本長官はハワイ攻撃、しかも徹底した撃滅を希望しているのだという。
「ハワイを叩くんですか?」
金満提督にしては珍しく思わずオウム返ししてしまう。
山本長官が軍事常識知らずなのは知っていたが、まさかここまでとは思ってもいなかったからだ。
「うむ。今なら米空母は多くても二隻、我が方は七隻有る。大西洋の『ワスプ』と『レンジャー』が合流してこないうちにこちらから仕掛ける」
「ハワイの飛行場には戦闘機や爆撃機がたくさんいますよ」
「豪州でやったことと同じだ。空母は戦闘機中心の編成とし、艦爆と艦攻は空母二隻を撃沈できる分だけあればいい。まずは零戦隊によって制空権を掌握し、しかる後に戦艦の艦砲射撃で飛行場ごと敵機を撃滅する」
金満提督は山本長官の言葉に危うさを感じた。
一度成功した作戦を二度、三度と繰り返そうとするのは帝国海軍の悪癖だった。
相手は間違いなく対抗策を考えているだろうに。
「うーん、やっぱりハワイはおすすめできませんねえ」
「何故だ。米政府と米国民は今、ブリスベンとシドニーの壊滅に衝撃を受けている。そのうえハワイまで同じ運命をたどれば西海岸はパニックに陥るはずだ。そのことで進退窮まった米政府が和平を求めてくるかもしれないだろう」
「サンフランシスコかロサンゼルスあたりなら可能性が無いことは無いですが、ハワイ程度ではアメリカは和平なんか求めてきませんよ」
「じゃあ、どうしろと?」
「司令長官は今、世界で誰が一番困っていると思いますか」
「私だ」
部下にダメ出しされたくらいで世界で一番困っている人になるっていうのだったら、世の管理職のほとんどは世界一困っている人になる。
「何を言っているんですか。英首相のチャーチルですよ」
金満提督は面倒くさそうに山本長官に説明を始める。
「チャーチルは自らが主導して最新鋭戦艦をシンガポールに送り込みましたが、その戦艦は我が軍の陸攻によってあえなく撃沈されました。また、東洋にある植民地もそのほとんどを失陥しています。そして昨日、同盟国の豪州が連合国陣営から脱落した。つまり、あと一押しで彼を戦争の表舞台から引きずり下ろすことが出来る好機が到来したのですよ」
山本長官は金満提督の言葉の意味を考える。
チャーチルは一国の首相という存在にとどまらない。
資本主義の米国や共産主義のソ連といった国家による主義主張や理念の違いを乗り越えて連合国を取りまとめ、ある意味この大戦における連合国側の戦争指導の頂点に立つ人物だ。
連合国をまさに「連合」たらしめているのも、この人物のたぐいまれなる手腕によってだ。
そのチャーチルが東洋での一連の失敗と敗戦によって、いまでは政治生命の危機に陥っている。
もし、チャーチルが政治の世界から退場するということになれば、わがままな連中ばかりの連合国という集団から唯一の調整役兼宥め役がいなくなることになる。
これによって連合国が瓦解することはないにせよ、連携に大きな綻びが生じることは避けえない。
そのことによって間違いなく連合国全体としての効率、つまり戦力は大きくダウンするだろう。
それは太平洋の拠点や空母二、三隻を失う程度のダメージどころではない。
金満提督の言わんとしていることが分かってきた。
チャーチルは連合国にとっての扇の要なのだ。
その要を失った連合国という扇はどうなるのか・・・・・・
「金田中将、これから連合艦隊司令部に私と一緒に来てくれ。細部をつめたい」
現状においてなすべきアクションの最適解を見出した山本長官の決断は早い。
ただ、それは生来ののんびり屋でもある金満提督にとっては迷惑このうえないものでもあった。
「嫌ですよ。これ以上軍令部からにらまれたくありませんよ」
「そんなことを言っていると連合艦隊の参謀長にするぞ!」
山本長官の言葉に金満提督は心底ぞっとする。
言葉に怒気が含まれているうえに目も笑っていない。
洒落にならなかった。
太平洋艦隊に完勝し、あっという間に豪州を下した山本長官は、「超軍神」は万能だ。
海軍省にねじ込んで人事の横紙破りくらいは平気でやりかねない。
それと、今の連合艦隊司令部に金満提督と気の合う参謀など誰一人としていない。
むしろ、一航戦と二航戦の対抗演習のことで彼らには恨みすらも買っている。
参謀長とはいえ、そこに入れば外様、もっと言えば針の筵だ。
なので、金満提督はグチグチ言いながらも外に出る準備を始める。
自身の連合艦隊参謀長への就任を阻止するために。
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