第24話 日本からの紙爆弾

 「またか・・・・・・」


 もう何度目だろうか。

 ルーズベルト合衆国大統領はうんざりしたように顔を上げる。

 年が明けてから面会の申し入れが無かった日は無い。

 原因は分かり切っている。

 日本政府が合衆国政府ならびに新聞社をはじめとしたマスコミに送り付けてきたあの分厚くて忌々しいリストのせいだ。

 リストと言っているが、日本政府からの正式な外交文書だ。

 そのリストには昨年末のウェーク島沖で行われた海戦とそれに伴う戦果と損害、そして捕虜になった者たちの名前が記されてあった。

 米国では一部の政府高官と海軍上層部を除き、ウェーク島沖海戦の実相を知る者はこの当時ほとんどいなかった。


 米政府は昨年のうちに太平洋艦隊がウェーク島の友軍救援に赴き、善戦むなしく敗北、キンメル太平洋艦隊司令長官は戦死しウェーク島守備隊も降伏したと発表している。

 ただし、個々の艦艇の被害状況については敵の戦略判断の材料に利用されるとして伏せられている。

 ルーズベルト大統領としては負けたと正直に発表しているし、善戦というのは多分に主観が含まれるが日本の主力空母である「赤城」と「加賀」を撃破したことは事実だ。

 なにも嘘は言っていない。

 だが、日本から送り付けられたリストを掲載した新聞の号外を見た米国人たちは大統領の見解とは違う。


 「負けは負けでもぼろ負けじゃないか」


 太平洋艦隊は戦艦八隻と空母三隻さらに巡洋艦一三隻、そのうえ駆逐艦にいたっては三二隻も撃沈されるかあるいは鹵獲されてしまった。

 それにもかかわらず、日本の方はといえばただの一隻も失っていない。

 リストに添付された写真には、日本に鹵獲され日章旗を掲げた米国の駆逐艦群が写っている。

 そしてそのリストには艦ごとに捕虜となった数千人の将兵の階級と名前が載っていた。

 こうなってくると、このリストの信憑性に疑問を持つことはできない。

 捕虜となった将兵の中には経済界の大物や有力議員の子息が少なからず含まれており、そういった連中が捕虜の早期解放を求めてルーズベルト大統領に面会を求めてくるのだ。

 リストに名前のある人間の中には海戦における負傷が原因で予断を許さない重篤の者も含まれており、毎日のように兵士が死んでいるという。

 懸命の手当てにもかかわらず死亡、日本において埋葬された兵士のリストも記されている。

 これらの事実が捕虜の家族を焦燥に駆り立て、やがてそれは大統領や政府、海軍への批判につながっていく。

 数千人規模というのは、捕虜としてリストに名前が無かった兵士の家族にも「記入漏れではないか」「まだ生きているのではないか」という希望を抱かせるのには十分な数であった。


 その件について、ルーズベルト大統領はスタッフらとともに同リストの問題について検討している。


 リストには捕虜を解放する条件がいくつか記されてあった。


 一、捕虜は軍を辞め、二度と日本に対して矛を向けないこと。

 一、捕虜本人と家族がそれを誓うこと。

 一、米国は捕虜の退役を認め、捕虜の動向・行動に責任を持つこと。

 一、亡くなった兵士の家族が困窮せぬよう対策をとること。



 合衆国としては戦艦や空母を失ったことよりも大勢の訓練された将兵を失ったことが痛い。

 新造戦艦や空母が続々と就役するのにもかかわらず、訓練された将兵が全然足りていないのだ。

 ウェーク島沖海戦で三万人以上もの将兵を失い、数千人が捕虜となったことが大きく影響している。

 合衆国海軍の再建は艦よりも人がボトルネックになっているのだ。

 数千人の捕虜が帰ってくるということは、訓練と実戦経験を積んだ兵士を一気に獲得できるということと同義なのだが・・・・・・


 「日本の提案を受け入れざるを得まい」


 ルーズベルト大統領は苦々し気にそう語る。

 日本の提案を拒否すれば捕虜は還ってこない。

 そうなれば大統領は捕虜を見殺しにしたことになる。

 こうやっている間にも重い傷を負った合衆国軍人が遠い異国で捕虜として次々に死んでいるのだ。

 拒否はできない。

 国民の反発を受け、さらに兵士の士気は下がり、そこを政敵に利用され、とロクでもない循環が始まる。


 「捕虜については軍を退役することになっても仕方がないだろう。だが手はある。搭乗員は航空会社で輸送機のパイロットにでもなってもらえばよかろう。民間の航空学校の教官としてパイロットを育ててもらってもいい。航海科や機関科の将兵は民間の船会社にでも斡旋すればいい。いざというときには武器も扱える船乗りというのは戦時下では非常に貴重だからな。造船会社も人手不足だから技術を持った連中はこちらに回してもいい。日本は軍で戦うなと言っているだけだ。民間で造るな、育てるなとは言っていない」


 ルーズベルト大統領は少しばかり得意げに続ける。


 「それに日本のような独裁国家ならば軍を離れた軍人というのはみじめなものなのかもしれないが、合衆国はサービス産業の発達した民主主義国家だ。元軍人の使い道などいくらでもある」


 だが、得意げな表情も一瞬のことだった。

 ルーズベルト大統領はふたたび深刻な表情を隠そうともせずにスタッフに向き直る。


 「捕虜の問題もだが、こちらの問題も深刻だ」


 なによりルーズベルト大統領を悩ませているもの。

 それはリストとともに送られてきた俗に「ハル・ノート」と呼ばれる外交文書の写しであった。

 その「ハル・ノート」について「日本は米国に服従し屈辱の中で生きるか、あるいは誇りを守るために戦うかの選択を迫られた」とこの文書に対する日本の見解が記されてある。

 さらに日本側からみた交渉経過も記されており「あとは合衆国国民に判断を委ねる」との言葉で締められていた。

 偽物だ、日本のでっちあげだとは言えなかった。

 日本やドイツのスパイが暗躍したのか、あるいは政敵の意を受けた者が国務省に紛れ込んでいたのか、「ハル・ノート」の存在と交渉経緯を裏付ける証拠が次々とあがっていたからだ。

 これを見た米国民の反応はさまざまだ。

 「侵略を続ける軍事独裁国家が何を勝手なことを言うのか」と切って捨てる者もいれば、「これでは相手は怒って当然。挑発以外の何物でもない」と日本がとった行動に理解を示す者もいる。

 野党にとってもこれは政府の外交政策の失敗を追及する格好の材料だった。


 「もっと上手に、誠実に日本との交渉ができていれば戦争は防げたのではないか。多くの合衆国青年が死なずにすんだのではないか」


 野党の糾弾に、一方の政府のほうは釈明に追われている。


 「本当に忌々しい」


 ルーズベルト大統領は思う。

 日本人にこのような芸当は無理だろう。

 あるいは、ドイツあたりが日本へ宣伝戦のエキスパートを送ったのかもしれない。

 開戦時には九〇パーセントを超えていたルーズベルト大統領の支持率は今朝発表された緊急の世論調査では六〇パーセント台にまで下がっている。

 日本が送ってきた紙爆弾の影響は思いのほか大きかった。

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