豪州覆滅作戦
第23話 豪州一突き
「ちょっと遠すぎませんか」
連合艦隊司令部が提出した次期作戦計画書を見た軍令部員の甲高い声が上がる。
次の作戦目標について軍令部と連合艦隊司令部との間で持たれた会議でのことだ。
本来であれば軍令部が出した命令に従うのが連合艦隊としての立場だが、しかしウェーク島沖海戦で太平洋艦隊を撃滅したという実績は大きく、軍令部もそうそう強気には出られない。
軍令部としては太平洋艦隊の脅威が無くなった今、ラバウルを攻略してポートモレスビーまで進出、米豪遮断という堅実な作戦に打って出たい。
だが、連合艦隊司令部が出した案というのはオーストラリア本土に直接攻撃をかけ、相手の戦意を喪失させて一気に単独講和に持ち込もうというものだった。
「ケアンズやタウンズビル、あるいはマッカイといった豪北部の都市ならまだ分かります。しかし、ブリスベンやシドニー、それにメルボルンはあまりにも遠すぎます。補給が続きません」
「別に上陸するわけではないから給油艦だけあれば大丈夫だ」
兵站を重視する軍令部員のもっともな懸念の声に、だがしかし連合艦隊の作戦参謀はしれっと答える。
「米豪から側背を突かれる恐れがあります」
「太平洋艦隊については『ヨークタウン』が大西洋から西海岸へ回航中、『ワスプ』と『レンジャー』はいまだ大西洋にいることが分かっている。『ホーネット』の動向が不明だが、これを計算に入れても空母は二隻にしかすぎない。それに重巡以下の補助艦艇しか持たない豪海軍に至っては我々と正面から戦う力は無い」
「豪本土には相当数の航空機が展開していると思われますが、その対処はいかがしますか」
「空母は戦闘機主体の編成にする。豪州の航空戦力は北はポートモレスビーから南はメルボルンまで各地に広く薄く展開している状況だ。そのうえ、東海岸だけでなく西海岸も守らなければならない。それに、新型機は我が国との戦闘正面に近い豪州北部とポートモレスビーに集中しているだろうから、豪南部の航空戦力はさほど脅威ではない」
「事前にこれを察知した米英の空母による待ち伏せの危険は」
「もちろん、米英も豪州を失いたくはないだろうから十分に有りうると考えている。敵空母に関しては索敵を密にしてこれを警戒する。先ほども話したが米軍は最大でも空母二隻、英軍も多くて同じ程度だろう」
軍令部員と部下の参謀のやりとりを黙って聞いていた山本連合艦隊司令長官だったが、イライラの限界を迎えたのか口を挟む。
「我が国には時間が無いのだ。ラバウルを陥とし、ポートモレスビーを攻略した後で米豪遮断をするというが、いつになったら豪州が音を上げるのか。それに今次作戦について軍令部員は補給の心配をしていたが逆だ。ポートモレスビーのようなところで米豪遮断を目的とした航空撃滅戦を延々とやる方が補給の負担になるし、米豪に決定的な打撃を与えることもなく無駄に搭乗員を消耗することになる」
金満提督にとって、いろいろと思うところのある山本長官だが、今の発言は彼が正しい。
時間が無いのだ。
あと三年もすれば米軍は一〇隻の新型空母と一〇〇〇機の艦載機でもって太平洋を縦横無尽に暴れまわるだろう。
四年だと二〇隻の空母に二〇〇〇機の艦載機だ。
その背後には数十隻の護衛空母と数百隻の輸送船。
飛行機も弾薬も、人材までも補給し放題だ。
いや、機動部隊すらいらない。
大量に建造された潜水艦で海上交通路を寸断するだけでいい。
艦隊決戦をする以前に日本は干上がってしまうだろう。
日本にとって時間は「毒」なのだ。
それに、豪州北部近辺でちまちまと「米豪遮断」をやるなど、米国や豪州の皮に傷をつける程度のものだ。
もちろん痛がるし怖がるかもしれないが、それだけのことだ。
やるなら心臓を一突きにしなければならない。
日本に持久戦や消耗戦を戦えるだけの力は無いのだ。
軍令部の認識や考えは甘いと断ぜざるを得なった。
金満提督は自分の口からこの作戦の意義を説明するのは億劫だったが、それでも自分が言い出したことだし、世界から悪魔呼ばわりされるかもしれないのにもかかわらず苦笑しながらこの作戦を認めてくれた山本長官への義理もある。
発言の許可を求めようと金満提督が挙手したその瞬間、だがしかし山本長官が切り札とも言うべき爆弾を吐き出した。
「この作戦が認められないと言うのであれば、自分はこれからの戦争指導に責任が持てない。連合艦隊司令長官の職を辞させていただく」
これが以前の山本長官だったら、あるいは軍令部も「はい、どうぞ」と言えたのかもしれない。
だが、違うのだ。
今はすでに戦時下で、この男は日本海海戦を遥かに上回る戦果を一隻の艦艇も失わずに成し遂げた「超軍神」なのだ。
辞めさせることなど到底出来るはずもない。
だが、黙って山本長官の言われるがままになるというのも業腹だったのだろう。
「作戦は認めるが、以前のような長官の陣頭指揮は認めない。今や『軍神』となった身だ。自重してほしい」
永野軍令部総長がしかつめらしい顔で釘をさす。
ウェーク島沖海戦で山本長官が座乗していた空母「赤城」が敵の急降下爆撃を受けて被弾したことを言っているのだろう。
確かに、爆弾が少しずれていたら山本長官は死んでいた。
金満提督も死んでいた。
その山本長官はといえば、一瞬悔しそうな表情を見せた後、「承知しました。それにつきまして総長のおっしゃる通りにいたします」といかにも残念そうに言う。
実は山本長官は今回は陣頭指揮をするつもりなどまったく無かった。
この作戦には少なからず政治が絡む要素があり、東京に居る必要があったからだ。
余談だが、かつて連合艦隊司令部による戦艦「武蔵」の司令部施設の拡張要求というのがあったのだが、それは却下されてしまった。
連合艦隊司令長官が陣頭指揮をするための措置だと軍令部が誤解したらしい。
結果、「武蔵」は当初の計画通りに竣工することになる。
山本長官のしおらしい(ふりをした)態度に永野総長は少しばかり溜飲を下げたのか、今度は金満提督に向き直る。
「金田中将の提出した捕虜の扱いと『例のノート』の件だが、あれは認められたよ。外務省も協力してくれるそうだ」
「軍令部総長にお力添えいただいたおかげです」
金満提督も山本長官の態度を見て思うところがあったのか、恭しく頭を垂れる。
これを見た永野総長は少しばかり機嫌が良くなったようだ。
いずれにせよ、豪州の心臓部を直撃する作戦は認められた。
それは「昭和の軍神」を「世界の悪魔」にする作戦でもあった。
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