第22話 (閑話)ある日の提督その一
金満提督は最近、理由をつけては外に出たがる。
海軍省や軍令部にいると、いたたまれない気持ちになるのだ。
原因は山本連合艦隊司令長官だった。
「ウェーク島沖海戦の勝利は実は自分の手柄じゃないんだよ。あれは金田中将が作戦を立案、戦場でも彼が臨機応変に作戦指導した結果なんだ」
ウェーク島沖海戦の大勝利で今や「軍神」となった山本長官はことあるごとにこういったことを各所で吹聴しているらしい。
本人は謙遜のつもりかもしれないが、だしにされた側はたまったもんじゃない。
海軍施設のどこにいてもあこがれや尊敬の眼差しを向けられる。
冗談じゃない。
金満提督は叫びたい。
「自分は将官なのに無任所という海軍の穀潰しなんだ。そんな目で見るのはやめてくれ」と。
金満提督は少し前まで自身に注がれていた冷たい視線が懐かしかった。
ある日のこと、金満提督は海軍病院に捕虜たちの様子をうかがいに行った。
現在、この海軍病院にはウェーク島沖海戦で重傷を負った二〇〇人近い米兵が入院していた。
応接室に通された金満提督はそこで婦長から説明を受ける。
「看護婦たちは金田さんの指示通りにやってくれています」
金満提督が看護婦たちに出した指示というのは「献身的に看護してくれ。そして、相手に気があるそぶりで接してくれ」というものだった。
金満提督は帝国海軍に協力を依頼し、近隣の病院から容姿端麗で口の堅い看護婦を集めてもらった。
それに、男を堕とすテクニックを持っていれば申し分無しだと半分冗談めかして。
まあ、そもそもとして、そんな看護婦さんなんて滅多にいないだろうと金満提督は思っていた。
しかし、彼の予想はあっさりと裏切られる。
いたのだ、それも結構な人数が。
その、あまりの見事な集めっぷりに金満提督は帝国海軍に対する認識を改めた。
その金満提督は看護婦の募集に対し、容姿でどうのこうのという条件を付けたのはあまり褒められた行為ではないという自覚はあるのだが、だがしかし男という生き物を相手にする以上、そこは仕方が無いことだと割り切っていた。
一方、入院している米兵から見れば、自分たちが倒そうとしたあるいは殺そうとした敵国の見目麗しい女性が自分のことを献身的に看護してくれるというのはなかなかに複雑な気分にさせてくれる存在だ。
まるで自分が悪いことをしてしまっているかのような錯覚さえ抱く者も少なくない。
多くの米兵は日本という国は存外悪い国ではないのかも、と思ってしまっている。
もちろん、そこは看護婦さんたちのテクニックによるところが大きい。
そもそもとして人間、弱っている時に親切にされると弱い。
まして戦闘で負傷して敵国の捕虜となり、どんな尋問が待ち受けているのかと恐れていた中での優しさだ。
しかも相手は美人で自分のことを憎からず思っているようなそぶりを見せる。
そうなれば気になって仕方がない。
ハニートラップではないかとも考えたが何か情報を引き出そうとする様子もないし、そもそも英語が分からないようだ。
米兵は思う。
「戦争さえなければ」
だが、その気持ちこそが金満提督の狙い、もしくは思う壺だった。
「アメリカ兵に厭戦気分を起こさせれば、その分だけ和平の機運が高まります。ご苦労ですが彼らが退院するまでよろしくお願いします」
婦長からの現状説明に満足した金満提督が礼を言って帰ろうとしたとき、「よろしいですか」と看護婦の一人から声をかけられる。
金満提督の依頼を受けてくれた看護婦の中で最年長でありながら、すでに五人もの米兵を堕としているエース看護婦の一人だ。
金満提督が来るというので、ひとこと言ってやると手ぐすね引いて待っていたらしい。
「依頼された仕事に不満はありませんが、名前だけはどうにかならないものでしょうか」
米兵への看護にあたっている看護婦らには米兵たちと後腐れが無いよう偽名を使ってもらっている。
看護婦の態度を勘違いした(勘違いするように仕向けているのだが)米兵が、戦争が終わった後でストーカーと化す恐れもあったからだ。
「名前の不満というのはどういうことでしょうか?」
金満提督はふだんから他人に偉そうにするような人間ではないが、それでも看護婦さんに対してはことさらに丁寧だ。
誰も知らないが、金満提督は聖職者に弱い。
「私の偽名はホウコということで問題ないのですが、後輩でソウコとかヒコとかズイコとかいった子たちから名前をどうにかしてくれと言われているのです。リュウコやショウコといった良い名前があるのに、なぜ私たちの名前はこんななのかと。アカコさんやカガコさんも口にこそ出して言いませんが不満そうです」
金満提督は、どうやら自分が適当につけた偽名がことのほか不評だったことを理解する。
金満提督は他にも考えなければならない重要問題が山積していたので看護婦の名前は例の艦種から採ったこと、さらに自身が覚えやすいように年齢と艦齢も一致させてます、という真実はふせておいたほうがいいだろうと即座に判断する。
「ああ、すみません。それは私が海軍の至宝ともいえる存在にあやかってつけた名前なんです。じゃあ、代わりにコンコとかヒエコなんていかがでしょうか」
看護婦たちは一〇人もいないから、戦艦のほうでも十分に足りる。
コンコにヒエコ、それにハルコにキリコ。
うん、存外悪くない。
一人悦に入る金満提督に、それを聞いたエース看護婦は米兵を堕とした聖母の微笑とは全く違う類の笑顔を向けた。
「金田さん、私たちで名前を決めさせてもらって構わないでしょうか?」
ホウコさんは妖艶に、そして凄絶に笑う。
美白ゆえに、そのこめかみにうっすらと青い筋が浮かぶのがはっきりと分かった。
金満提督は知っている。
激怒したときにその表情が笑みに変わる人間はたいていヤバい。
微笑にも似たその表情を向けてくるホウコさんを前に、金満提督はウェーク島沖海戦でさえ抱くことのなかった恐怖を覚えた。
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