第3話 海軍に足りないもの

 軍令部某所にて


 「中将への昇進おめでとうございます」


 海軍軍備を司る軍令部第二部第三課長の柳本大佐が満面の笑みで目の前の男に祝いの言葉をかける。

 金満提督こと金田満はこの春、少将から中将へと昇進していた。

 海兵の卒業年次とハンモックナンバーを考えれば同期の中でもトップクラスの出世スピードだ。


 「本来でしたら、こちらがお祝いを贈るべきなのに恐縮です」


 柳本大佐が申し訳なさそうに言葉を足してくる。

 金満提督は海軍航空戦備の充実にと航空魚雷や爆弾、それに航空ガソリンや潤滑油などといった必需品を備蓄するのに必要な金の寄贈に軍令部にやってきていた。

 日本海軍は貧乏な割に高価な戦艦や空母の充実に熱心だが、その一方で燃料や弾薬の備蓄に割く予算が割を食ってしまっている。

 無理して高級車を手に入れたはいいが、ガソリン代が乏しくなってロクに走ることができない庶民のようなものだ。

 弾薬類でも特に高価な魚雷は不足が著しい。

 かといってない袖は振れないし、またあのうるさ型の上司である某井上先輩に怒られる。

 どうしようかと柳本大佐が思い悩んでいたところに金満提督からの申し入れがあったのだ。


 「戦艦や飛行機もしょせんは砲弾や爆弾、それに魚雷を相手にぶつけるための運搬手段にしかすぎません。いくら戦艦や飛行機の数をそろえたところで肝心の弾薬がなければどうにもならない。誰にでも分かりそうなものなのですが」


 「こちらもそれは理解しているのですが、その、いろいろありまして・・・・・・」


 金満提督の指摘に柳本大佐は心苦しい表情を隠さない。

 なぜかような状況になっているのかは金満提督も柳本大佐もその理由を嫌という程に理解している。

 巨大戦艦などのような高価な玩具を欲しがって駄々をこねるガキが多すぎるのだ。

 そのしわ寄せが燃料や弾薬の備蓄の少なさに如実に現れている。

 軍備担当の柳本大佐の苦労がしのばれる。

 その柳本大佐が表情を明るくして金満提督に語りかける。


 「母艦練習航空隊の一期生がまもなく卒業します。その多くは夏以降に就役する新鋭空母へ配属されるそうです」


 柳本大佐の言う「母艦練習航空隊」とは練習航空隊の基礎訓練を修了した練習生の中から母艦勤務に適性の有る者をピックアップし、空母への離着艦の技術を徹底して叩きこむ組織だ。

 一航戦と二航戦との演習で「搭乗員の大量喪失」の予想に危機感を抱いた海軍に対し、金満提督が資金提供を持ちかけて立ち上げた。

 「母艦練習航空隊」の発足と併せて練習航空隊全体の規模も大きくなっている。

 資金提供に際し金満提督は「母艦練習航空隊」の練習生は卒業後は必ず空母に勤務させ、決して基地航空隊には配属させないよう確約させていた。

 母艦搭乗員が便利使いされて陸上での戦いで消耗することを恐れたためだ。

 一方で金満提督は「母艦練習航空隊」の生徒の卒業が新鋭空母の就役に間に合ったことに安堵している。

 もし、彼らがいなければ新鋭空母に配備する搭乗員が大量に不足する事態に陥ったはずだ。

 軽空母の搭乗員を根こそぎ新鋭空母に異動させ、基地航空隊から母艦勤務経験者らを抽出して配属させても全然足りない。

 恐らく訓練部隊の教官や教員らもかき集めることになったのではないか。

 これでは戦争をする前から末期症状だ。


 「近いうちに一航艦は空母六隻を擁する世界最強の機動部隊になる」


 無邪気にそう言っている連中がうらやましい。

 搭乗員だけでなく魚雷も爆弾も、なにもかも足りないというのに。


 「一期生にはいろいろと不便と苦労をかけてしまいました」


 金満提督が少し申し訳なさそうな表情でそう口にする。

 彼の資金援助のおかげもあって空母艦載機の更新も順調に進み、軽空母の「龍驤」や「瑞鳳」でさえ、すでに零戦が搭載されている。

 だが、日本の航空機の生産能力の限界もあり、練習航空隊にまで新鋭機を回すことはできず当時の一期生らは卒業直前まで九六艦戦や九六艦攻などといった旧式機材で訓練せざるを得なかった。


 「現在では新式の機材も十分な数が練習航空隊に配備されていますし、一期生たちも配属先の空母で猛訓練を続けるでしょう。それもこれもひとえに金田さんのおかげです」


 そう言ってくれる柳本大佐に、だがしかし金満提督は表情を変えず辛らつな言葉を吐く。


 「一航艦もこれで少しは使える部隊になるでしょう」


 そのことで、柳本大佐は以前、金満提督が語っていた言葉を思い出す。


 「帝国海軍軍人が思っているほど日本海軍は強くない。戦う者には瞬発力、持続力、回復力が求められるが、日本海軍は瞬発力ばかり強くて、あとはからっきしだ」

 「戦艦や巡洋艦、駆逐艦が敵に砲弾や魚雷をぶつける力は世界屈指かもしれない。だが、戦い続けるためのその砲弾や魚雷は全然足りていない。傷ついた艦を修理したり、失った艦を補うための造修施設は貧弱の一言につきる」

 「海軍の将兵は強い。だが、搭乗員を見れば分かるように層の厚みに欠ける。傷ついた兵を回復させる医療態勢も他国に比べ進んでいるようにはみえない」


 確かこのようなことを言っていたはずだ。


 金満提督が海軍に寄付するのも持続力や回復力に関するものが多く、技術や生産性の向上にも熱心だ。

 継戦能力を上げるための燃料や弾薬、傷ついた艦や将兵の回復力を向上させるための工作艦や医療施設の備品、それに電探の開発予算も。

 そういえばと、柳本大佐は金満提督と工作艦「明石」にまつわる話を思い出す。


 「この艦はすごい。海軍艦艇の稼働率や回転率を一気に向上させる。『長門』や『陸奥』よりも遥かに役に立つ」


 「明石」をみた彼は、そう言って大喜びしていたらしい。

 軍備を司る軍令部第二部第三課長という立場を経験したおかげで柳本大佐は金満提督の考えがよく理解できる。

 だからこそ、この提督には正直に現状を話さなければならない。


 「このような場で申し上げにくいのですが、ずっと以前からご支援いただいている航空ガソリンの精製技術の進捗がはかばかしくないようです。米国並みの一〇〇オクタンは無理としても九五オクタンは何とかしようと頑張ってはいるのですが、量産化するのは難しいようで。それと航空機用の過給機の開発も困難を極めているようです」


 金満提督も航空ガソリンの高オクタン化や過給機の開発は、今の日本の技術力では極めて困難だろうと予想していたのでさほど落胆はない。

 投資がすべてうまくいけば何の苦労も無い。


 「関係者の方にはくれぐれも無理をしないようお伝えください。追加の支援が必要であればいつでもご連絡くださるようにと。では、私はこれで失礼します」


 「言いにくいことを正直に言ってくれてありがとう」

 そのような意を込めた穏やかな笑顔をつくった金満提督に柳本大佐は思わず尋ねる。


 「この後はいかがなさるのですか」


 「連合艦隊司令長官に呼び出しを受けています」


 金満提督の笑みがこれからいたずらをしようという子供のようなものに変わった。

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