第16話 A summer day(16)
ずっと
彼女は『商品』だと思っていた。
クラシック事業部所属のアーティストとして、どうやってプロデュースしていくか。
いかにして彼女を売り出すか。
そればかりを考えていた。
だけど
こうしてずっと彼女と接していると
正直
『恋心』に似た気持ちを抱いている自分に気づく。
もう頼りなくて
こんなんで世界にピアニストとして出て行けるのかって
心配になるほどで。
素顔の彼女はもう男なら間違いなく守ってあげたい!と思わせるには十分だった。
真尋もきっと。
そんな彼女に惹かれていったんだろう。
そして
彼女も真尋と真尋のピアノにどこまでも惹かれて。
だんだんと緊張がとけてきた彼女は
最後のショパンのノクターン第8番を弾く頃には、少しだけ笑みをたたえているようにも見えた。
そして
大きな大きな拍手を受けて。
心からホッとしたように、大輪のバラのような美しい笑顔を見せた。
何度も何度もお辞儀をして。
このパリの人たちの心も掴んだ彼女は、公演が始まる前よりもずっとずっと輝いて見えた。
舞台袖で拍手をして笑顔で迎えてくれていた志藤が目に入り。
「志藤さん・・」
絵梨沙の顔が少し崩れた。
「よう頑張ったなァ・・」
優しくそういう彼に、思わず全ての緊張が解けて抱きついてしまった。
「もー。 どうなることかと・・思いました・・」
ちょっとびっくりしたが
そんな彼女がかわいくて、志藤も彼女の背中に手をやった。
「・・あ・・ありがとう・・ございました、」
絵梨沙は泣きながら志藤にそう言った。
「エリちゃんの実力やん。 ほら・・まだめっちゃ拍手が続いてる。」
志藤は彼女の頭を撫でた。
その言葉に絵梨沙は何度も頷いた。
「もう、びっくりした。 なんなの、いきなり。」
ゆうこが慌しく入院することになり出かけていた母は慌てて病院にやって来た。
「なんなのって。 病院に電話したら・・・間違いなく陣痛だから、すぐ来てって。 南さんに連れてきてもらって、」
病院に入ってから、もう本格的に陣痛が始まったようでゆうこは痛みに耐えていた。
「ほんと。 予定日どおりなんだね~~。」
暢気な母に
「・・もー・・いたい、」
ゆうこは早くも泣きそうだった。
インタビューなどを受けていた絵梨沙だったが、はっと気づいて
「あの! すぐに帰る仕度を。 飛行機の予約はしてあるんでしょう? 最終の日本への直行便、」
志藤に言った。
「うん・・。」
時計を見た。
「間に合わないといけないですから。 早く。 あたしは大丈夫です。 ひとりで明日、ウイーンまで帰れますし、」
「わかった。 じゃあ。 気をつけて、」
志藤はニッコリ笑った。
まだ
ゆうこが入院したことは全く知らされておらず。
「そーなの。 なんか本格的に陣痛が始まっちゃってさあ。 志藤ちゃんに連絡取れないの?」
南は真太郎に電話をしていた。
「さっきホールに連絡したら、コンサートは終わったばっかりで。 志藤さんを捕まえられなかったんだよ、」
「え~? ホンマ? んじゃあ・・帰ってくるんかな?」
「終わったらすぐに帰るって言ってたから。 もう今日これからの日本への直行便はパリ発は1本だけだから。 それに乗って帰ってくると思う。 そうするとこっちに着くのは・・」
真太郎はインターネットを駆使して調べ始めた。
「たぶん。 こっちの時間で・・明日の朝かな。」
「明日の朝か。 どうなんやろ、子供。 生まれてしまうんやないかな、」
南は気をもんだ。
「え? 明日の朝? そうねえ・・どうだろ。 今もう8時だから。 まだ生まれないかもよ?」
ゆうこの母はそれを聞いて時計を見て、ケロっとしてそう言った。
「え? 明日の朝までかかるの?」
寝ていたゆうこは思わず飛び起きた。
「だって・・まだまだ進んでないじゃない。 ヘタしたら丸1日かかるかもよ、」
「うっそ~~~。 あ・・いたたたた・・」
ゆうこは陣痛に顔をしかめた。
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