絞りカスの理性

 

 どこまで歩いても見渡す限り荒野で、俺は何を目的に歩いているのか。

 前後左右もあやふや、そもそもこれが現実なのかどうかも分からない。

 体中の感覚がなくなって、ふわふわしている。

 自分はもう死んでいるのではないかという希望が浮かんでいた。


 身体が歩き続けている。

 意識は不思議と鮮明なのに、足を止めようとしても言うことを聞いてくれない。

 俺が吸血鬼となったあの日から、この現象はちょくちょく発生していた。

 ずっと血を吸っていない時や、それこそさっきのような命の危機に瀕している時、あれから何度も自殺しようと試みたが、俺の身体は決してその一歩を踏み出させない。

 俺の意思と裏腹に、本能が生きようとする。

 自分が何を考えているのかわからない、すごく気持ち悪くて不快なはずなのに、それが自然だという感覚があった。

 人の血を吸うという禁忌に恐れと嫌悪を抱き、そのタガを外してしまえば背徳に身を任せてしまいそうだった。

 あの森で逃げ切れていれば、あともう少ししたらこの理性も完全に乗っ取られて、完全に吸血鬼に、人でも動物でもない魔物に変貌してしまっていただろう。


 今の状況が夢ではなく、現実に死の大地に放り出されているのなら、魔物が魔物の住処に帰ったということになるのだろうか。

 だとしたらそれは自然なことで、本当に良いことなのだと思う。

 俺の理性が残っているうちに、この結果に終わってくれたことが、……少なくとも納得のいく結果になってくれてよかったと思おう。

 人間に危害を加える存在が人間のそばにいてはならない。

 それがたとえ自分のことだとしてもそう思うし、そういう存在になってしまった自分がなにより耐え難かったから。


 正直、もう疲れてしまった。

 意識を閉ざして、眠ってしまいたかった。

 そんな理性を留めていたのは、いまだに歩き続けている自分だった。

 不気味だった。歩みが右往左往していないこと、視覚だけが今の俺に残されていること。

 この極限状態に眼しか働かせる余裕しかないものだと思ったが、多分違う。

 俺の本能がそれ以外の全てを奪っているのではないか。

 時間が経っても自分の意識が保てている、なんならさっきよりもはっきりしている。

 だというのに、土を踏む感触も、足音も、自分の足を動かす感覚も、視覚以外の感覚を全く感じない。無であった。


「——いい加減にしろよっ!」


 空けた荒野に、気持ちを放つ。


「なんなんだよ俺っ。何があったんだよ、あの日からっ! 大切な人を殺して、たくさんの人を自分のために殺して、何度も罪悪感背負って、なんでそこまでして生きようとできるんだよ! バカの方がましだよ、アホの方がましだよ、最低最悪だよ俺は! もう人ですらない! 意味わかんねえよ、なんで勝手に体が動くんだよ! 止まれや、足! 何目指してんだ、お前! なんだ……なんなんだ…………」


 涙は出ない。視線も動かない。


「誰なんだよ、俺は……」


 足は、止まらない。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 日は落ちて、黄昏時も終わりかけ。俺の視覚はもうすぐその存在意義を失う。


「あああああああああああああああああああ、あああああああああああああ」


 歩いている間に、俺はひたすら呻いていた。

 声が出せたから、自分の体力を少しでも削ろうとしていた。


 長い時間だった。

 ついに俺の身体は膝から崩れ落ちた。


 ああ、ようやく死ねる。

 ついに終わる。


 だがそれは勘違いだった。


 俺は、目的の場所に着いたのだ。


 俺は何かを手にとって、それは心臓だった。


 なぜか拍動していた。


 それは間違いなく俺が求めた"生"だった。


 俺は、それに、かぶりついた。

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