夢、あるいは走馬灯
自分が拾い子だと知ったのは俺が十歳になったころだった。
まあ拾い子である時点で正確な年齢は分からないのだが、拾った日から歳を数えていたというので、少なくとも十歳以上ではあるのだろう。
拾われた先はとある村に住む老人の家であった。拾い子の俺の年齢を丁寧に数えるくらい子想いで、拾い子という事実を知っても父親だという認識は少しも変わることは無かった。
質素ではあったが、村には同年代の子供達がいて仲良くしていたし、たまに大人達の仕事を手伝ったりして、とても楽しく生活していたことを覚えている。
俺を拾ってくれた爺さんと受け入れてくれた村が俺はたまらなく好きだったし、あの頃に戻れるものなら今でも戻りたいと思っている。
穏やかな日々であった。
子供同士の遊びには怪我が付き物だった。転んで足を擦りむいたり、虫に咬まれたり。
血を流すような怪我を誰かがすると、俺は吸い付くようにそこに視線を向けた。
血に対して好奇心が湧いていたことに関して不審に思うことはその時は無かった。
その行為が無意識なもの誰かが怪我をしたら驚いたり心配したりして、皆がその子に気を向ける。俺は皆もその子の血を気にしているものだと、そう思っていた。
……場面が変わる。
時間が飛んで、俺が村で本格的に働くようになったある日のことだ。
嵐が訪れた。雨脚の強い嵐だった。
村には時折雨は降るが、これほどひどいのはかなり珍しいらしく、俺にとっては生まれて初めて経験する嵐だった。
その日、俺は爺さんの言う通り家にずっとこもっていた。
大量の石ころが屋根にぶつかったような水音、頭上から落ちてくる水滴、俺はこの古びた家が嵐で潰れてしまうのではないかと心配していた。
そして、まだ昼だというのに不安から目を逸らすようにして横になった。
仕事で疲れていたこともあって、轟音が鳴り響く中でもすぐに眠りについた。
夜が訪れる。
嵐は峠を越えて、雨脚は遠のいた。
巨大な地響きに、俺は跳ね起きた。
寝起きで混乱している頭で、松明を持って爺さんに続き音のあった方へと向かった。
村には高価な魔法道具なんてものはなく、ぽつぽつと暗い中に松明の明かりだけが見えるのみだ。少し集まった程度では周囲を薄明るくできるだけ。
だが、そんな中でも異変にはすぐに気が付いた。
というか、何が起こったのかは皆うすうす勘づいていただろう。
大地が揺れるほどの地響きと、1日降り続いた雨、音の先は山の方。
目の前に大きな倒木があった。山が崩れたのだ。
無事だった村人はそのまま全員で救助に移った。
山の際にある友達の家は絶対に呑まれている、倒木を乗り越えながら他の友人と共に俺はまずそこへ向かった。
その場所は、土砂と倒木に覆われて、家の破片がかろうじて見える、最悪の有様だった。
何本もの重い木をひたすらどかして、土を掘る。
底は余りにも遠く、必死に作業しているにもかかわらず、とてもとても、時間を長く感じた。
もう間に合わないと皆が悟り始めた。
下にいる友人と特に仲の良かった子が手を止めてすすり泣くのを見て、俺も涙があふれた。
それでも、土を掘る手を止めることはなかった。
時間が経ち疲労が蓄積し、埋まっている人を傷つけないようにという作業の慎重さが失われたころ、土を刺したスコップは違う何かを突き刺した。
突然のことに驚いてすぐにスコップを引き抜き、手で土をかき分ける。
人の肌の感触だった。
反応は無く、棒のように固まった体は引き出しにくい。
それでもなんとか土の中から救い出せた。
顔の土を払いのけて、松明を近づけると、それが探していた友人だと判明する。
眠ったような表情だが、そこに血は通っていない、間違いなく死んでいた。
見つかった安堵と、突き付けられた事実の悲哀と、やっと作業が終わった解放感と……色々抱えながら、友人を呼ぶ、前に、スコップで傷つけてしまった場所を松明で探す。
脇腹に大きな刺し傷を見つけた。服の、穴が開いている箇所を中心に、汚れた服がさらに赤黒みをじわじわと増してくる。
大量出血を目の当たりにする。心がそれに奪われる。
心臓が、ひとつ跳ねて、ゆっくりと顔を近づけて、服を優しく唇で挟む。
ちゅ、とほんの少しだけ、吸ってしまった。
土に混じって、確かに感じたその味は、自分のものと何ら変わりはなく。
その刺激は、俺の脳を貫くほど、衝撃的なものだった。
頭を抱え、叫び声をあげて、その場を走り去った。
気が付けば自分の家に戻っていて、自分の布団の中に潜り込んでいた。
視界が弾けて、とてつもなく歯がかゆくなり、血が出るほど布団にこすりつけた。
そして何より、足りないと、そう頭も体も訴えかけてくるのだった。
……このときならまだ間に合ったのかもしれない。
変化の起こり始めたその時なら、二日三日自分を抑えれば今みたいにならずに済んだかもしれない。
いや、だけど、最初に土味の血に口をつけた時点で手遅れだったのだろう。
十数年来にして初めての食事が、フォークでスープを掬うよりも少なかったのだから。
血を吸う化け物の芽生えかけの本能が、それを良しとしなかった。
目の前にのこのこやってくるご馳走を我慢することを良しとしなかった。
……ああ、この先は、もう
玄関先から扉の開く音がした。
俺は、自分の体を手放したのだった。
この出来事は記憶に新しい。
忘れようもないこの夜は、俺は吸血鬼になった一夜であった。
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夜が明け、太陽が周って、夜が更ける。
起伏の無い平たい大地の中においては、どこまで行っても景色が変わることは無い。
遠くに見える地平線が案外歩いても行けるような距離なのだということは、この星もまた球体を成しているからなのだろう。
一握りの天才がそのことに気づけば、地動説発見のきっかけになったかもしれないが、もはやこの地は魔物がうろつく危険地帯。大壁ができてからというものの、誰一人として立ち入ることがない場所となっていた。
その中で、かの吸血鬼はぽつんと一人、己の過去という悪夢を見ながら荒野を歩き続ける。
昼の日照りに肌を焼き、夜の空気に凍える。
体中の傷が癒えるわけもなく、足元どころか意識もおぼつかない。生きるしかばねの様。
しかし、歩む方向だけはまっすぐに変わらない。
吸血鬼は己の目を働かさず、ただひたすらに嗅覚を頼りに荒野を横断していた。
吸血鬼はこのだだっ広い荒野に、ただ一つ漂ってきた匂いを嗅ぎ付けたのだ。
味気の無い空気と土埃と、魔力。それら以外が存在するはずのないこの死の大地において、ただ一つ。
彼は生の匂いを、はっきりと感じ取っていた。
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