手負いの吸血鬼

「こっちに逃げたぞ、追えっ!」


 声はあまり離れていないところで聞こえた。なんとか森の深みにまで逃げ込むことができたのに、思った以上のしつこさに俺は根負けしそうになっていた。


「ハッ……ハッ………ハッ……」


 息も絶え絶えになりながらすがる思いで身を隠しやすい森へ逃げ込んだというのに、連中、兵どもは見失うことなく追ってくる。途中隠れやすそうな場所を見つけては、身を潜め息をつきたいという欲を抑えた。

 視界の悪い森の中にしては、奴らが俺の痕跡を確認しながら追うスピードが速すぎる。どこかで足を休めながら身を潜めたとしてもすぐに居場所を嗅ぎ当てられそうな予感がした。


 捕まれば殺される。確証は無いが確信していた。

 あいつらにとって俺は死の大地をうろつく魔物と同じ存在なのだ。見つかれば、殺され、研究されて――。

 ああ、そうか、あいつら魔物を探知するのと同じ方法で俺を――!


 魔物を探知する機器について噂で聞いたことが頭をよぎったその時、草を撥ねながら走る音が側方から聞こえた。

 その方向から離れる方へと進路を変えるが、反対方向からも同じような音がした。

 逃げ道を無くされていると今になって気づく。後方と両側を囲まれているということを自覚すると、途端に圧迫感が押し寄せてきた。それと同時にあることに気づいて、ここまでの道のりを後悔した。

 最初に隠れてやり過ごそうとしただけに、ひたすら距離を取ろうと一直線に走ってきたことが仇となった。


「ハァ……ハァ……ああ、クソッ」


 巨大な障害物が俺の前に立ちふさがる。

 森の深みに入る前から見えていた、巨大な壁。

 死の大地を囲んでいる大壁が俺の眼前に聳え立っていた。

 

「追い詰めたぞ!囲め、囲め!」


 間もなく、ガサガサと葉っぱを揺らす音と共に数人の兵たちが現れ、俺を取り囲んだ。皆して槍を手に、じりじりと俺との距離を詰めてくる。

 暗がりの中で睨みつけてくるその眼光からは、これからこの魔物もどきを殺すという意思がひしひしと伝わってきた。


 逃げるための奥の手はある。

 しかし……。


 動きを連中に気づかれないように横目で視線だけを壁にやる。

 壁の高さを目測しようとしたが、どれだけ上の方を目で追っても頂上は見えない。こうして目の前に立つと見上げなければ頂上が見えないほどの高い壁だ、奥の手を使ったとしてもこのままでは超えることができない。

 力が……血が、足りない。


 少し息をついた後、俺は再び兵たちを見やった。

 すると、兵たちは少し変わった俺の様子に勘づいたらしく、更に深く身構えた。できれば俺も平常心でいたかったが、自分の命のかかった場面に外からでもわかるほどに力んでしまっているのだろう。

 ここまできたら、もうなりふり構っていられない。

 俺は懐に携えていたナイフを取り出し、構える。兵たち全員に、忙しなく視線と刃を向け、常に全方向を警戒した。

 兵たちは俺の様子を見ながら、注意深く俺の方へと足を進めてくる。

 小さなナイフと俺を取り囲む長い槍。まともに戦えるとも、戦おうとも最初から思っていない。

 今からやろうとしているのは、一瞬で一度きりのチャンスを作るだけの無謀な猪口才だ。

 だが、俺はそれに命を賭けるしか生きる道は無かった。


 兵たちは距離を詰めるごとに俺は後ずさるが、やがて後ろの壁に追い詰められてしまう。

 一気に槍を突き刺せば終わりなのに、バカみたいに慎重だなという思いが一瞬頭をよぎった。そのおかげで助かっている部分もあるのだが。

 さあ、さて、そろそろ潮時だ。

 俺と一緒にここまで走ってきたんだ。そしてちょっと長めの睨み合い、そろそろ集中も欠き始めたんじゃないのか?

 俺は変わらず全方向を警戒するポーズを続けている。

 次に視線を向けた兵に向けて、ナイフを投げつけた。


「うわっ」


 ナイフを投げつけられた兵士は気が抜けかけていたのか、一瞬遅れてから槍で防御をする。しかし、ナイフは兵士の頭上を飛んでいく。

 その代わりに、驚いて無防備な兵士の懐に飛んで行ったのは、俺自身だった。

 兵士に組み付き、その首元に噛み付き、あふれ出る流血を一心不乱に飲み始める。

 もっと、もっと……ギリギリまで補給しなければ!


「わっ、わぁぁ。やめろ、離せっ!」


 兵士が俺のことを引きはがそうとしながら、悲鳴を上げる。

 ナイフに気を取られた他の兵士たちが、その声で我を取り戻した。


「殺せっ、こいつを殺せー!」


 兵たちの槍の、文字通り矛先が俺に向かうのを感じた。

 もうここが限界っ。

 兵士の首から牙を抜き、突き飛ばす反動で俺は身を宙に浮かす。

 神経を地面に対して突き出した手に集中させ、力を籠める。


「……ぅぐっ」


 突如、脇腹と肩へ激しい痛みが襲う。

 初めて感じる、体の中を焼き尽くすような痛みを必死に我慢し、力を籠め続けて

 目いっぱい、まで溜めてる間も、いくつもの切傷をつけられて、刺されて

 そして、ギリギリまでたまったそれを、解き、

 放った


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 朦朧とした意識の中、その吸血鬼は、血にも似た赤い波動を地面に撃った。

 波動はジェット噴射のように吸血鬼を空へと押し出す。

 あっという間に地面が遠くに、木々を抜けて、そして推進力は尽きることなく大壁の上を通り越していった。

 吸血鬼は壁の頂上を霞んだ眼に映してから、多く、深い傷と、大量の力を一度に使ったショックで彼自身の意識も放したのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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