第5話 レーズンパンと仮病

 私は子供の頃からレーズンが苦手でした。小学校の給食の時間には、週に一回くらい、必ずレーズンパンが現れました。小学校の6年間ずっと、こいつに苦しめられました。

 時間内に食べられなくて昼休みまで食べてるなんてのはざらで、ヘタすると机の上にパンを置いたまま午後の授業を受けていました。


 五年のある晩、私はゲロを吐きました。どうも風邪をひいていたようでした。次の日も気分は悪かったけど、学校を休むほどでもないので登校しました。

 その日は食欲が全くなかった。何も食べれそうにないのに、運悪くその日は給食がレーズンパンでした。レーズンパンの時はいつも時間がかかるけど、いつも以上に時間をかけながら、なんとか少しずつ食べていました。あまりに時間がかかってるので、見かねた友人が担任Nに

「みちみちしんどいんねんて」

 と言ってくれました。すると担任Nは

「レーズンパンやからそんなことゆうとんのやろ」

 と言いました。

 ……先生、いくら何でもレーズンパン食べたくないから仮病使うなんてことはないです僕。

 結局放課後も一人で残って、チビチビチビチビ食べました。


 六年のある日の朝礼の時、私は気分が悪かった。吐き気をもよおしてたので、中腰になって下を向いていました。

 しばらくして斜め前に気配を感じました。

 Nが立っている。

 私が顔を上げると、担任Nは「しんどいんか」と言いました。私はまた仮病だと思われると嫌なので、黙って首を横に振りました。

 Nは何も言わず去って行きました。


 五年だったか六年だったか、学校でポートボールの大会がありました。私はなぜか前衛(シュートを入れる役目)をやってたんだけど、ある日担任Nが

「みちみちが前衛ってのがなー」

 とクラス全員の前で、私が前衛であることが不満だという意味のことを口にしました。

 すると同じチームでゴールマン(シュートを受ける役目)をやってた友人が

「いや、みちみち(シュート)入れよるで」

 と言ってくれました。

 うれしかった。

 どっちが大人なんだか、と思いました。


 五年の時、赤塚賞に応募しようと思って漫画を描いてたことがあるけど、周囲の人間に「無理に決まってる」と言われたり、自分でもそう思ったりで、やめました。

 このころから、まわりの評価が厳しくなってきました。はっきりとけなされるようにもなりました。(けなすのは大抵大人)

 自分でも自分の絵がそんなにうまくないと気付き始めていました。

 少し、描くのがつらくなってきました。


 五年ではニシやん(仮名)という男と同じクラスになり、ツレになりました。奴も漫画を描いていたので、一緒に描くようになりました。

 六年の時は、ニシやんと同人誌の真似ごとのようなことをやっていました。鉛筆で描いた漫画に水性ペンで色を塗り、出来上がった漫画をクリップで束ねて、毎月1冊教室の後ろに置かせてもらってました。結構好評(?)で、一応1年間続きました。

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