第5話 真実の言葉 2

 それ以降、私は家で楽しみを追い求めていた。その方が気分がいいからだ。

 楽しいご飯の食べ方。楽しいお風呂の入り方。楽しい寝方、楽しい着替え方。

 私にできる些細な事で、楽しみを探す日々。

 私は楽しいことがないかと押し入れを探索していると、高校の制服を見つけた。

 思い返してみると、私は普通に学校に通っていれば、まだ高校3年生。生徒のフリをして学校に行ったら楽しそうだった。

 ちょうど両親が出掛けていて、家には私だけ。

 私は制服に着替え、出掛けてくると置き手紙をして、スマホだけを手に家を飛び出した。

 時刻は16時。既に学校は終わり、帰ってくる生徒とすれ違うように学校にむかう。

 生徒じゃないのに、生徒として振る舞ってることにドキドキしながら学校に潜入した。

 私は部活をする人達の様子を遠巻きに見ながら校庭の脇を通り、校内を一周ぐるっと回る。青春の匂いがするこの場所に、私はなんだか懐かしさを感じた。

 あの頃に想いを馳せていると、私は自分が授業を受けていた教室のある校舎の近くにやってきた。

 入っちゃえ。そう思い、渡り廊下の扉を開け中に入った。中の様子は当時と違い、至る所に机や椅子などものが置いてある。ほっこりでまみれ、まるで使われていない様子。

 私は、今日ぐらいいいや、と靴のまま中へと上がる。

不思議に思いながら、通れる道を抜け廊下を進んでいく。すると、遠くから声が聞こえる。セリフを読み上げるようなその声は演劇練習のようで。私は部活で誰か練習しているのだろうと思いながら階段を上がっていく。

階を上がれば上がるほど、その声は近づいていき、ようやく自分の元いた教室の前までたどり着くと、その声はここからする事を知る。

私は、こんな所で練習する人がいたら面白い。そんな思いで、躊躇せず扉を開けた。

そこにいたのは、東條さんでした。

扉を開けた瞬間、腕を天に伸ばしたままの恰好で私の顔を見ていたのは今でも忘れません。

よくわからない状況にぽかんとしていると、東條さんの顔はみるみる真っ赤になって、今更寝たふりなんてしてもしょうがないのに、徐に机に顔を伏せ始めた時、興味をそそられてしまいました。

東條さんに何をしていたのかと聞けば聞くほどよくわからないことを言っていて、最初は中々理解が出来ませんでした。冷静になって話を聞けば、不思議な癖があると話してくれて、私はさらに興味をそそられました。

もしかしたら、雰囲気に酔っていただけかもしれません。使われなくなった校舎で、私の思い出の教室で、夕陽に照らされながら、変わった癖に悩むかわいい男子と二人きりの出会い。

 それはまさに、運命のような出会いだと思いました。



「……そのあと、私は偽りを重ねていきました。病気ではない、健全で普通な女子高生。そんな設定を作り、亜樹くんに近づき、運命みたいな出会いから、亜樹君を好きになって、恋をするストーリーを、私は創作するように演技してきました」

 私はそこで話を一度区切り、視線を亜樹くんに戻し、言葉を続ける。

「……幻滅したでしょう? 嘘で塗り固められ、さも気があるように見せていた私は作り物。私に惚れさせるための芝居なんです」

 言いながらも、心が酷く締めつれられる。もう、早く終わってほしい。そう思いながら、私の口はまだ止まらない。

「私に未来はないんです。私は今ある目の前の楽しいことに全力なだけ。私の現実は、ベットの上で、明日死ぬかもしれない死を待つことだけ。こんな悲惨な人生、人の気持ちをもて遊んでも、バチはあたらないでしょう?」

 伏し目がちに、そう私は言葉を占めた。

 亜樹くんは俯き、しゃくりながら目から涙が溢れ、頬を伝い太ももにポタポタと落ちる。

「酷い……そんなこと……そんなのって無いよ……あんまりだ……」

 溢れる涙を手で拭う。しかしいくら拭っても涙は止まらない。

 私の言葉で傷ついた彼を見るのに、耐えれなくて、私はまた視線を彼から外した。

 嘘だよって言いたい。ホントは違うといいたい。けれど、私は彼を拒まなければいけない。

「……すみません、泣くほど幻滅するとは思いませんでした。期待させ過ぎた事は謝ります。申し訳ありませんでした」

 私は深々と頭を下げた。気持ちを押し殺した、最大限できる謝罪の言葉。

「……違う……そうじゃない……そうじゃないんだ」

 涙を拭いながら、嗚咽しながらも亜樹くんは話を始めた。

「莉愛さんの人生を想像すると……辛くて……苦しくて……そんなにも頑張って来たんだって……僕はこれっぽっちも想像出来なくて……全く気付いてあげられなかった自分が不甲斐なくて……」

 途切れの亜樹くんの言葉は、私が想像していた内容と違った。

「……東條さん?」

 私は思わず問いかけた。幻滅した様子が、彼にはなかった。

じゃあ、なぜそんなにも泣いているの?

 疑問に思っていると、亜樹くんはぐっと涙を振り払う様に拭うと、顔を上げ、力強く私の目を見て、唐突に叫んだ。


「僕は莉愛さんが好きだ!!」


 その声は病室に響き渡った。もしかしたら、隣の病室ぐらいには聞こえていたかもしれない。

 一瞬、彼が何を言ったのか私には理解できなかった。今までの話を聞いて出る言葉とは到底思えなかったから。

「……な、何を言ってるんですか!? 私の話聞いてましたか!?」

 困惑したように聞き返すと、亜樹くんは迷うことなく再び言う。

「莉愛さんが好きだ! 昔の彼氏になんて言われたのかなんてしりません! 病気だろうと何だろうとしりません! 僕が莉愛さんを好きな気持ちにかわりなんてないですよ!」

 まっすぐ告げる彼に、私は恥ずかしさで顔が真っ赤になる。私の心は、一気に乱され平静を保てていない。

「な……何言って……そ、そもそも私は、あなたのことを好きでも……何でもないんです!」

 顔を赤くしていう私のその言葉はどれほどの説得力があっただろうか。

「そんなの嘘ってすぐ分かりますよ! 下手な芝居しちゃって!」

 やっぱりすぐに気付かれた。でも、私は最初の冷静さを取り戻せるほど、心に余裕はなくなっていた。

「な、何故ですか!? 私は本気で言ってるんです!」

「物語だとか、演技だとか色々言ったけど、結局楽しかったんでしょ? だから僕と一緒にいたんでしょ? だったら、それが真実じゃないですか。僕に出会った後の話は、それこそ今の莉愛さんが作った嘘でしょ」

 と、あっけなく私が毎晩考えていた嘘がばれてしまった。

 でも、私はそれを受け入れてはいけない。

「な、なんで……どうしてそこまで勘違い出来るんですか!?」

「だって莉愛さん、一回も僕を嫌いだって言わないから!」

「! そ、それは……」

 痛い所を突かれ、私は思わず言葉に詰まってしまった。

 嫌い。その単語は使いたくなかった。言葉にすると泣いてしまいそうで、辛くなってしまいそうで、出来るだけ遠回しに言葉を選んだのに。

「ほら、当たったでしょ?」

 黙った私に、亜樹くんはしてやったりとした顔で口元をにやけさせて言った。

 その言葉に、不覚にも私はときめいてしまって。顔が真っ赤に熱くなる。

 私の本当の気持ちを理解してくれたのが嬉しくて、けどそれは受け入れちゃいけない気持ちで、私は否定しなきゃと焦り、頬を真っ赤しながら目に涙を溜めて、困った顔をしながら布団をぎゅっと握り、目を閉じながら首を振って誤魔化す様に言った。

「違います! ……き、嫌いです! 東條さんなんて……大っ嫌いです!」

 冷静さを失った私は、我儘な子供が必死に嘘をついているようで。

「今更慌てて言ったって説得力ないですよ~だ!」

 私を煽るように言われてしまう始末。こんな亜樹くん初めて見た。

「な、なんなんですか!? 亜樹くんそんなキャラじゃなかったですよね!?」

 もうすでに、何を言いたかったのかよく分からなくなり、私は、恥ずかしさを感じながらも、いつものようなテンションで亜樹くんと喋れている事が嬉しくなっていた。

「今の僕は無敵ですよ?」

 彼は少しふざけた様に笑って言った後、真剣な表情になり、身を乗り出し私の手を両手で包み込むように握り締めてきた。

 その手は優しくて、けれどしっかりと私を握りしめていて。私はドキドキしてしまって。

 あっけにとられる私に、亜樹くんは真っすぐ私の目を見て言葉を続ける。

「僕は今日、どんな事があっても受け入れる覚悟をしてきた。だから、そんな嘘ごときで怯みません。振られる覚悟で来たんですから」

 私の心を見透かした言葉にまたときめいてしまう。

 顔は赤くなり、亜樹君が好きだと、心が勝手に強く感じ取ってしまう。

「本当に嫌いなら、この手を振り払っい、僕の目を真っすぐみて言ってごらん? 大嫌いだって」

 散々好きと言っておきながら、嫌いなら振り払えと彼はいう。

 私は目を泳がせ、頬を真っ赤にさせ、パクパクと、口が何かを言おうとするが、どうしたらいいか分からなくなった私は、言葉を発せず。

 亜樹くんはじっと私の目から視線を外すことなく、私の言葉を待っている。

 真っすぐな彼の好意に、私はそれを否定しなければと思う。

 けれど、強いその意志に、私の小さな嘘は、あまりにも無力だった。

 私は項垂れた様に首を落とし、先ほどまでの興奮とは違う、悲しみの涙が頬を伝った。

「……ずるいですそんなの……出来るわけ……ないじゃないですか」

 震えた声で、私は呟くように言った。

 私の抑え込んでいた気持ちは耐えきれなくなり、想いが出してはいけない思いが勝手に言葉を紡いでしまう。

「私に未来なんてないんですよ!? 私と一緒にいても……あるのは死と別れだけ……なのに……どうして私に好意を寄せるんですか……?」

「好きになっちゃったから」

 惚けた様にさっぱりいう彼に、私はまたよくわからない涙があふれてくる。

「意味がわかりません……それで苦しむのは私じゃない……亜樹くんなんですよ!? 私は、死んでしまえば、悲しみに苦しむこともないんです! 残された人たちのが……辛いんです……そんな思い、してほしくないんです」

 お願いだから、嫌いと言ってほしい。

 でも、彼は優しく笑いながら言答える。

「確かに僕達も、莉愛さんが死んじゃったら悲しくて辛いけど……でも、莉愛さんより辛いなんてことはないよ」

 彼の優しい言葉が痛い。辛い。


「やめて下さい!!」


 優しさが耐えられなくて、私は叫んで、握っていた亜樹君の手を振り払った。

 これ以上優しくされたら気が狂ってしまいそうで。私は彼を直接拒絶する。

「これ以上私を苦しめないでください! 病気じゃなければ! こんな体じゃ無ければ良かったなんて……考えたくないんです! 考えない様にしてきたのに……普通の女子高生になれたら……ずっとずっと亜樹君と一緒にいれたのかなって考えると……死にたくなるぐらい辛いんです……」

 服の胸元をつかみ、苦しむ。締め付けられ、悲しみに潰され、ひりだす様にしか声が出ない。

「だから……もう……私に希望を与えないでよ……やってこない人生の夢を……私に見せないで……お願いだから……」

 蹲り、苦しみながら私はそう懇願することしかできなかった。

 私はそのまま、どうしようもない苦しみと悲しみに嗚咽を繰り返した。

「莉愛さん!」

 亜樹くんは、突如私の名前を呼ぶと、蹲る私の肩をつかみ、ぐっと上半身を起き上がらせる。私は思わず驚くと、亜樹君はその勢いのまま、私を力強く抱きしめた。

 唐突な彼の行動に、私の思考は一瞬止まる。

「言ったでしょ? 莉愛さんは、僕の人生に色をくれた。灰色だった人生に、莉愛さんといる時だけ鮮やかな色が着く。それが恋だと知った時、僕は心から莉愛さんに感謝してるんですよ」

 静かに彼は話し始める。私はただ聞くだけで、答える気力はもう残っていなかった。

「莉愛さんといる時、僕は莉愛さんが楽しそうに笑うのが好きです。僕には思いつかない事を提案をするのが好きです。莉愛さんが幸せな顔をするのが大好きです。それだけで幸せなんです」

 語る彼の口調はどこまでも優しくて、彼が私に想いを伝えるたびに、目から勝手に涙が溢れてくる。

「莉愛さんは、僕といると幸せじゃありませんでした?」

 その問いかけに……私の抑えていた心は、閉じ込めた鍵を破るように、溢れ出た。

「ずっと……ずっと亜樹くんといたい! 毎日一緒に寄り道して、休みの日はお出かけして! 将来結婚して、子供だって欲しい! けど……けど!」

 思うことはたくさんあった。細かく考えたもっとしたいことはたくさんある。けど、それは私の幸せで、彼の長い将来の幸せを私が望むのなら、私は彼の好きを、否定しなければならない。

 けど、彼は優しくもしっかりと私を抱きしめ、離そうとはしなかった。

「僕の幸せは、莉愛さんを幸せにすること。おじいちゃんになっても、莉愛さんを幸せにすることができたら間違いなく幸せだよ。……だから、僕のためにも、残り少ない莉愛さんの人生を幸せにするためにも、僕を受け入れてくれませんか?」

 耳元で、囁くように言ってくれたその言葉は、私の最後の不安を消し去った。

 私が守ろうとした、彼の未来の幸せを、彼は私と一緒になることで、幸せになると言ってくれた。

 ……ここまで言ってってくれる人を、まだ私は否定しなければいけないだろうか。いくら考えてみても、否定する彼を否定する理由はどこにもない。

「本当に……本当にいいんですか……? 私といても良いことなんて一つもないですよ……?」

「莉愛さんの側にいられるだけで良いことだよ」

「私すぐ死んじゃいますよ……? 未来なんてないんですよ?」

「未来なんていりません。莉愛さんと一緒に幸せになる時間を下さい」

 私の不安に、亜樹君はしっかりと答えてくれる。

「望んで……いいんですか?」

「うん。僕に出来る限りの幸せを君に捧げるよ」

 彼は私がどれだけ否定しようが、全て受け入れてくれる。

 自ら不幸になるとわかっていながらも、それを幸せだと彼は言う。

 なんて愛おしいんだろう。こんな人を、私はもう否定出来るはずもなく。

「一生ついていきますよ? 私、何があっても……絶対亜樹くんの側を離れませんよ?」

 私は嬉し涙を流し、心の底から笑って言うことができた。

「はい。愛してます」

 亜樹くんも、笑って嬉しそうな顔でそう返してくれる。

「……私も! 愛してる! 亜樹くん!」

 愛してるの言葉に、すべてを受け入れた私の心は羽でも生えたかのように軽くなった。

 私は、躊躇くすることなく、自然に亜樹くんをぎゅっと抱きしめ返し、しばらく二人で涙を流しながら抱きしめ合っていたのだった。

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