状況説明


 一応……ほとんど意味があるとは思えないのだが……この病院の「活動」は、きちんと周囲に報告されている。いや、その表現だって、正確ではない。この病院の(一般向けに編集された)「活動」ということになる。この病院は「何もない田舎のどこか」ということで、一日に二本しか出ないというバスを利用し、最寄りのバス停から車で更に一時間半走った場所にある。この病院の存在は県民にもほとんど知られることはなく、関係者以外が詳しい情報を知ることはない。

 ならばわざわざ存在をアピールするような必要がどこにあるのか、ということなのだが、これに関してはむしろ「当の関係者」に対する配慮と呼ぶべきものだ。例えば、ある患者には家族がいる。今までの描写から分かるように、常人が入れるような施設ではなく、原則は面会不可である。しかし、家族は思う。「あの人は回復しているだろうか、あるいは悪化しているだろうか、あるいはとっくに……」とか、「他の人に迷惑をかけたりしていないだろうか」と。その疑問点について一応の回答を出し、安心させるわけだ。三ヶ月ごとに状況報告の手紙を出す。順調に回復している、社会復帰に励んでいる、希望を見出している……少なくとも迷惑はかけていないし、悪化はしていないといった具合の内容を三ヶ月ごとに出すといった感じだ。依頼者に対する名目上のアフターサービス。文章だけでなく、患者の写真を(全身にある青あざが見えないように)撮って添えたり「社会復帰のために地元の子供達と交流している」という設定のもと、子供から患者に対する寄せ書きまで作って送ることがある。道徳の教材としてはあまりに刺激が強すぎるだろうことは明らかだが、そういった心温まる話が一つ二つあった方が、依頼者や周囲も納得して運営費用を出してくれるわけだ。

 と、ここまで理由を説明してきたが、そんなことせずとも、既に社会生活を送るには遅すぎる者たちである。ここに入院するまでにも決して小さくはない迷惑を周囲に及ぼしているわけなので、正直なところ、預けたきりほったらかしにする依頼者も多くいるわけだ。もちろん、全員が全員というわけでもない、悲劇によって心を壊してしまった元・善人を断腸の思いで病院に送った人もいるかもしれない。とはいえ、そんなピュアな心を持つ依頼人は珍しい。大体にとっては勘弁願いたい状態であって、オブラートに包んで、あわよくば黙殺し通したいものなのである。人によってははっきりさせておきたい、言い方を変えれば「図々しい」人もいる。例えば、ある患者の家族の一人が、こんな内容の書簡を返している。

「戻ってこられても困るので、ずっと置いてもらいたいのですが……」

 その内容を見た医院長が苦笑したのは、言うまでもない。

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