書き置き
きちんと眠れたのはいつ頃からだろう。少なくともこの病院に入る前から、まっとうに眠れた試しがない。寝る時間はしっかり取られている。皮で出来た手錠とか足錠とかをつけられてはいるが、別にそれがジャマをするわけではない。
ジャマなのは金切り声である。ある時はタカか何かの鳴き声、ある時はおふくろの鳴き声、ある時は世間一般を代表した鳴き声。私の足を引っ張り続けるあの金切り声、誰かの足を引っ張り続ける私を怒っているつもりか知らないが、眠れないことは辛い。眠ることで人は昨日とか今日から断ち切られる。即ち眠れなければずっと不調な自分を洗浄できないことになる。
この病院に不眠の患者はきっとごろごろいるのだろう。たしか、ミナミとかいう患者と話したときには、どうも長年の親友が飛び降りる姿を見てしまったらしく、それ以来、彼の見る夢は公開自殺の場となり、寝ることが恐くなったらしい。けれども、夜眠らなければ、昼起きているときに見るだけのことで、そのせいでこの男は常におびえていて、時たまわめき声をあげる。
何かを判断するチカラも相当弱く、月曜日の作業を木曜日にやろうとして、あのときは、あまりに平然と間違ったことをするので、みんなが一時信じてしまった。今日は木曜日で、月曜日じゃないんだとみんな言うのに、その男は月曜日の作業を月曜日にやって何が悪いのだと平然と間違ったことを言う。あげくの果てには、親友が飛び降りそうだから誰か一緒に来てくれなんてことをのたまう。そんな人はもちろん、ぼこぼこにケられ、ぎゅうぎゅうに詰められる。
自分もじきにそうなるのではないかと気が気でならない。みんな姿が似ているし、みんな同じような姿なので、自分は彼らと同じように叫んだり、ウソをついたり、知らないうちに誰かをキズつけるかもしれない。 いつになったらちゃんと眠れるようになるのだろう。医院長にクスリの量を更に求めたこともあったけれど、先生は、この病院はステキでキレイなので、クスリを飲めば直に収まりますよと言ってくれた。その間もキーキーという声が収まることはない。クスリの量を増やしてくれと言ったら、真面目な顔になって、クスリを増やして無理矢理押さえ込むことはカンタンなことだが、それは治ったとは言わない。バッグに荷物を無理につめ込んで、ジッパーが閉まったから、バッグに収納できたとは言わないでしょう。それと同じことだと言っていた。それはきっと正しいのだと思うのだが、果たして時間があるのだろうかと、うたがいを抱かずにはいられない。
何度も医院長につっかかると、職員にサルぐつわをつけられてしまうことは知っている。そんな目にあった患者を何人もみてきた。トウダという患者はその常連のような人で、これは医院長が決めたワナだ、インボウだ、よってたかってオレたちを殺そうとしているとわめいていた。おまえもそう思うよな、と、ある日、トウダは私にたずねてきた。おまえも何度か医院長に文句をいってただろう、おまえもオレと同じでここがオレたち患者を殺すための場所だって知ってるんだ、といった。私はそれにイエスともノーとも言えなかった。
認めるのも、認めないのも、怖かったのだ。
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