書き置き


 クライがまた泣き出した。よく泣くからクライとつけられたその患者は、人目を気にせずに泣き出す。どうにも発作的なものらしい。もうじき四十だと言っていたが、そんな男が突然わんわんぎゃーぎゃーと泣き叫ぶのだからたまらない。ただでさえ金切り声で精神をすり減らしているところに、同情を誘ってるのかは知らないが、暴力的な声量で泣き声が聞こえてくるのだからたまらない。

 それにこの男、そんなに泣いておきながら、(この病院にいる患者達はみんな同じだが)あっさりと他人を傷つける。暴言も暴力も率先してやる。体の至る所に自傷のあとが見えているが、そんな男が嬉々として高齢の(ただし、同情には値しない)患者を思う存分痛めつける。その時もその時でわーわーぎゃーぎゃーさわぎながら暴力を振るうので、こちらもただでさえ金切り声で精神をすり減らしているのに、大変に精神的なダメージが大きい。ストレスを消すために覚えている限り、その時のさわぎをここに記しておく。


……ぼくがこんなにキズついているのに、どうしておまえはそんなにキレイなんだ、ぼくがこんなにキズついているんだから、おまえもキズついて当たり前だ、うるさいうるさいうるさい、おまえのせいだろ、キズついているなら、うるさい、うるさい、キズついているんだ、泣いているんだ、だからキズつけてもいいんだ、平等じゃない、そうじゃなきゃ、不公平だ、おまえだってキズついて当たり前だ、うるさいうるさいうるさい、言い訳するな、言い訳するな、おまえが悪いんだ、おまえがキレイであってたまるか、おまえはぼくと同じだ、だからキズつけてもいいんだ、うるさいうるさい……


 そしてひとしきりやり終わると、彼はまた泣く。許されないことをしたと悔やんで泣いているのか、泣けば許されると思っているのか、それはあやしいところである。

 その姿をじいっと見る患者たち。全員が同じような姿であっても、クライのことはすぐにわかる。私もその一人だ。うるさくてかなわない、こちらもただでさえ金切り声で精神をすり減らしているのに、だからこうして書いているのに、ストレスはむしろ大きくなっていく。

 医院長がやってきた。クライはその姿を見ると、泣き声を更に大きくして、自傷したあとを見せながら、こんなことを言い始めたのである。


……先生、ぼくはこんなにキズついているんです、どうしてキレイになれないんですか、誰のせいなんですか、ぼくのせいじゃない、だからここにいる他の誰かのせいなんです、ぼくはキレイになりたいんです、ぼくを治してください、どうして他の誰かばかり治そうとするんですか、他の誰かはぼくをキズつけた、だからぼくを治すべきなんだ、ぼくを治してください、キレイにしてください、お願いします。


 医院長は、この病院はステキでキレイなので、クスリを飲めば直に収まりますよと言ったが、クライは納得しなかったようで、床に転がり込んでじたばたし始めた。もうじき四十だと言っていたが、そんな男が突然わんわんぎゃーぎゃーと泣き叫ぶのだからたまらない。

 夕飯が運ばれてきた。が、クライは構わずじたばたした。医院長はとっくに医院長室に移動していたのだが、構わずに「先生、ぼくはこんなにキズついているんです、どうしてキレイになれないんですか、ぼくを治してください、キレイにしてください」とさわぐ。こちらもただでさえ金切り声で精神をすり減らしているのに、どうしてこいつは人のことを考えられないのだろうと、イライラする。病院のルールで、全員がそろわなければ夕飯を食べることは出来ない。

 すると、別の若い患者が分かります悲しいですよねとクライを宥めつつ、みぞおちに拳を叩きつけた。ひざまずいて、胸を押さえてううう、と呻くクライの背中を踏みつけながら、ルールを守らないとみんな悲しいですよねと宥める。鬼ごっこで自分だけ鬼にならないなんて鬼ごっこにならなくて悲しいですよねとクライの脇腹を蹴り飛ばし、仰向けにさせると、下腹部を強か踏みつけながら、宥める。

 クライは痛みのせいか恐怖のせいか押し黙り、その後、夜の食事は速やかに行われた。

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