状況説明


 院内の就寝時間は午後九時であり、その際にはすべての患者に拘束具がつけられる。患者からすればとんだ監獄、ディストピアだと思われるかもしれない。しかし、実際のところ、これは患者たちのことを思っての優しさである。起床時でさえ、隙あらば自分や他人を傷つけたくて仕方が無い人達がぎゅうぎゅう詰めに入っている状態なのだから、誰かが無防備な姿をさらせば、一種の祭りが引き起こされる。

 何が起爆剤となるかもわからない。彼らにとっての最後の幸運、または最初の障壁というのは、彼ら自身の思考と行動の不一致である。例えば、声をかけるために肩を軽く叩こうとしたのに、実際に取った行動は全力で肩を殴って転倒させてから、マウントポジションを取って殴り、殴り、殴るようになっているとか。もはや途中からは、彼らのなかで当初の、多少は友好的であったはずの目的は完全に抹消され、なぜ、こんな体勢になっているのかも忘れているかもしれないが、ともかく殴るにはもってこいの状態であるため、殴るわけだ。理由なんてない。

 もはや、患者達にとって、誰かを傷つけることが自分の意図的な振る舞いであるかすらも分からない。無意識のうちに、知らないうちに、もう一人の自分が、誰かが勝手に、自分の口や腕や足を動かして、誰かを攻撃しているのかもしれない。それを覚えてはいないし、何より自分や他人を傷つけたくて仕方がないのだから、意識的であれ、無意識的であれ、利害は一致している。

 彼らの就寝時のやりとりはまた後々で載せることとして、起床時間も午前五時と明確に決まっている。毎日八時間の睡眠を取らせるように医院長が取り決めているのだ。この八時間は眠ることを義務付けている。何もしない、何も出来ない時間である。これを安堵のひとときと思えるのは、院内では限られた人物だけだ。例えば、少しばかり、まばたきよりも僅かに長く目を閉じただけで、生き埋めにされたと感じてしまう人間がいると、この何もさせない時間は、ひたすらに臨死の状態を強制させられるのと同義だ。うっかり、何かの拍子で自分の魂を手放す可能性と戦い続けなければならない。眠ること、自分の意識を委ねることそのものに恐怖を抱く人間もいる、明日そのものに恐怖を抱き、今日が永遠に続けば……と思う人間もいる。何かをすることに対する強迫観念に囚われた人間もいる。

 件の書き置きを残す患者にとって、この八時間は何も書くことが出来ないため、金切り声にずっと耐え続ける苦痛の時間であった。仮に手が使えたとしても、この周りに何もない病院は、照明を落とせばたちまち真っ暗となってしまうので、ほとんど意味などないのだが。厚手のカーテンによって月明かりなどの自然光も遮られ、八時間は完全な闇となる。院内に三十余名の患者のそれぞれのうめき声が響いてゆく……

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