書き置き
私は気が違っているのかもしれない。市ヶ谷にあるオフィスから、この何もない片田舎の病院にまで来たのにも関わらず、私を悩ませるあの甲高い金切り声が収まらないのである。先生は、この病院はステキでキレイなので、クスリを飲めば直に収まりますよと言ってくれたが、その間もキーキーという声が収まらない。耳鳴りと言えばメニエール病なんかが疑わしいが、私は耳鼻科には寄らなかった。やはり、気が違っているのかもしれない。
こんなことを文章にのせているのは、決して後のことを考えてのことではなく、書いている間だけは少しばかり気が楽になるからだった。ここ数年、私の心ははっきりしない焦りで満たされて、落ち着けたためしがない。色々な人と会話もしていたのだ。最初は彼らの説得を受け止めることが出来ていたのに、その言葉がおびただしい音波の集合にしか感じられなくなってから、途中からぎゃあぎゃあと何もかもうるさくなり、遂には人のものとは思えないあの声が聞こえるようになった。もしかすると、私の耳は人が感じ取れない周波数を聞き取れるようになったのかもしれない。と、同時に人の声の周波数は聞き取れなくなったのかもしれない。
どこかの作家が書いていた。「人は自分が知っていることを意識しなくなった時に、はじめてその事柄を本当に知ったことになる」のだと。私の場合はその逆ではないか。ふとした拍子に、私は当たり前だと思っていることを疑ってしまったのだ。特段意識にもしていなかったことを、わざわざ掘り起こしてしまった。何も気にしなければ良かった。ストレスのせいか、私は小さなことにも気が立っていたのだろう。それで、私はあらゆることに疑いを抱いてしまった。その結果がこれだ。妙に鼻を刺激する臭いが立ちこめる、古い病院にたどり着いたのだ。
全体がコンクリートで出来ている、威圧的であることを何一つ隠そうともしない、年季の入った病院。老朽化のせいか、壁の各所にひび割れがあって、何度もそれを埋めようとした形跡も見受けられる。継ぎ接ぎのパッチワークのような院内にはそれなりの数の患者と、先生、看護師が数名いた。院内には常に誰かしらの叫び声が聞こえるような有様だったが、私は彼らが自分の思いを声に捧げているように、こうやってとりとめの無い文章を書くことで気を整えていていくのだろう、不愉快な金切り声のする中で。
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